2008/4/18 笑いにかける男達の物語。

タカアンドトシ、次長課長、博多華丸・大吉、キングコング、オリエンタル・ラジオ、品川庄司、そして、ロンドンブーツ1号2号。人気者の名前がずらっと並んでいるのは、テレビの番組欄ではありません。新宿のとある劇場のパンフレットに今をときめく芸人さんが名を連ねているのです。

その劇場の名前は、「ルミネ the よしもと」。

吉本興業が2001年の4月にオープンした、東京で初めての大規模な劇場です。

そのころは、タレント数も少なかったですし、常設の小屋を持たないプロダクションになっていたんです、吉本興業の東京は。
タレントはみんなテレビを向いていました。大阪で売れて東京でテレビで活躍する先輩を見ていたので、そういう考えしかなかった。そこで劇場を立ち上げなければいけなかったので、まず意識を変えるところから始めなくてはいけなかった。

「ルミネ the よしもと」の立ち上げを担当された比企啓之さんは、当時をそう振り返ります。


013t_08041801.jpg

80年代半ばに吉本興業に入社。以来、大阪の2丁目劇場、なんば花月など さまざまな劇場運営、さらに、いくつものアミューズメント施設を手がけてきた比企さんに託されたのは、東京に 本格的な笑いの劇場を作ること。しかし、風は決して 追い風ではありませんでした。

いわゆる業界の下馬評では、大阪で成功しても東京では無理だろうと。さんまさんにも言われました、「比企、悪いけど無理やと思うで」と。
僕的には、大阪ではテレビでも低予算で体当たりで作れていたんです。テレビの制作もやってましたので。ただ、東京では、例えば、ゴールデンの番組で天下のディレクターが出てくると、僕らでは考えられないようなセットを作ってくれたり・・・
まあ、ものづくりをテレビに奪われていたというか。そんななかで、今度の劇場は、衣装から大道具から絶対に負けないですよ、と。笑いをやるためなら僕らは全身全霊をかけてやるので、どうぞ戻って来てくださいと。それが裏のコンセプトでしたね。

笑いの現場を知る男が、プライドをかけて立ち上がったのです。

7年前の春、東京・新宿にオープンした劇場「ルミネ the よしもと」。劇場を立ち上げた比企啓之さんの胸には、「ものづくりをテレビからもう一度劇場に奪いかえす」そんな熱い想いが秘められていました。
今のような お笑いの隆盛を 誰ひとりイメージできない状況のなか、その情熱が 周囲を動かします。

みんな、それでもしぶしぶながら、「わかりました、やりますわ」と言ってくれたのが嬉しかったですね。今田君とか、大阪のどろどろも知ってるキム兄とかね、男前の風を吹かせて、後輩をメシに連れて行ってなだめすかす、というようなことを東野君とか、藤井君とかみんながやってくれたのが助かりましたね。

オープン当初は 観客動員に苦戦した日もありましたが、比企さんは確かな手応えを感じていました。
「お客さんにウケている。これは行ける・・・」
チケットの売り切れる日がどんどん増えていきました。

この7年間でルミネから出て来た子というのは、すごい数がいます。
やっぱり小屋をやって、そこでくすぶったり、悔し涙を流したりしているうちに、やがて芸人さんのサイクルが世間にあってくるときがあるんですよね。
それと、戦いの場、リングがあって、人の試合見たり、試合終わったあとの顔つき見たり、そのあと自分が出て行ったりみたいな場所があるのがいいんじゃないですかね。

1日3公演、1年間で1000公演以上。
ステージで受ける笑いと、舞台裏の悔し涙と、芸にかけるプライド。
今日も、劇場では さまざまな情熱が交錯します。
そして、その姿を 笑いの仕掛人がそっと見つめているのです。

芸人がすごくいい顔をして、イベントがいい形で終わっての打ち上げもいいんですけど、やっぱりお客さんがバーンバーンと笑ってる感じがいいですね。劇場はなかなか大変な仕事なんですが、そういう瞬間は何のよごれもない感じがします。

人が笑うとき、それは、人生の喜びの瞬間です。
ひとりでも多くの人を笑わせるべく、
今日も劇場の幕が上がります。