2008/6/13 吉田カバン

今日は・・・通勤、通学に使われている方も多いことでしょう、「吉田カバン」のHidden Story。

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通勤・通学のバッグに、オフの日のお出かけに、あるいは、旅行のお供に。吉田カバンが手がけるバッグは実に幅広い世代からの支持を集めています。メインブランドは、「PORTER」と「Luggage Label」。現在、そのすべてのデザインを担当する「企画室」の10人を率いるのは桑畑晃さん40歳。株式会社吉田に入社して以来、デザイン一筋のリーダーが「吉田カバン」の秘密、、、そのコンセプトをひとつ、公開してくれました。

なるべく使いやすいということと、どこかが新しいこと。あとは、まねをしない。バッグのデザインというのは、あふれているというか、どれも完成系に近いとは思うんですけど。そのなかで、デザインばかり考えてって、モノとして使いづらい、というのはあってはならない。カバンって、モノを運ぶ道具なので。道具っていうコンセプトからいくと、なるべく使いやすい。そして、デザインがよければなおいい、という。「うちはカバン屋ですから」とよく言うんですが、その人が荷物があるときに選んでもらえるバッグを作っていきたいというのはありますね。

先代の社長、吉田吉蔵さんが吉田鞄製作所を創業したのは1935年。「PORTERブランド」が初めて世に出たのは1960年代のことでした。圧倒的な人気を得た「TANKER」が発売されたのは、今から25年前、、、1983年。翌84年には、バッテン印が印象的な「Luggage Label」が一躍 大ブームとなりました。そして、、、企画室の桑畑晃さんが大きな転機だったと振り返るのは、1992年の出来事。

藤原ヒロシさん、たまたま共通の友人がいて、いろいろ話す機会があったときに、ヒロシ君が好きな素材がうちにあって「TANKER」っていう素材なんですけど、、、それでヒロシ君が当時のマックブックのケースを作りたい、と。それを気に入ってくれて、当時彼がたずさわっていたGood Enoughというブランドがあるんですけど、そこでダブルネームで品物を作ったことがあるんですよ。そこで、吉田カバンも、裏原でお店を出すような人たちにも認知されて、それが今、マスに受け入れられる大きな一歩だったと思うんですよね。洋服に興味のある子が吉田カバンっておもしろいね、と思ってくれた。

今や、当たり前の言葉となった「ダブルネーム」「コラボレーション」。当時はアパレル業界でもマレだったそうしたスタイルに吉田カバンはいち早く挑戦したのです。サウンドクリエイター、DJとして存在感を示し始めていた藤原ヒロシさんとの共同作業を開始。これが裏原宿をはじめとするファッションの心臓部にインパクトを与え、ふたたび大きなブームを巻き起こしたのです。 吉田カバンのバッグの数々、、、実は、商品として店頭にならぶまでには、何度も試行錯誤が繰り返されています。デザイナーが紙に落としたデザインを職人さんに持ち込み一回目の話し合いがおこなわれます。そして試作品として形になったものを見て最初の調整。何度も作り直した末に、ようやく展示会に出品するバッグができあがります。そこからおよそ4ヶ月、、、商品として世に出る直前まで実際にデザイナーが使って、ギリギリまで直せるところは直す、、、そんな作業がすべてのバッグの裏側にあるのです。

ビジュアルだけで完結しないほうがいい。ビジュアルでイメージはできるんですが、実際に持ってみた時のタッチ感とか軽さとか。今はインターネットでお買い物されるお客様も増えていますがそれでも、店頭で実際に見て触って買われるお客様も多いですよね。そういうところを考えると、自分たちが、タッチ感とか風合いとかを把握していないと、伝わらないことがあると思います。

吉田カバンにたずさわるようになって20年。デザイナーをたばねる桑畑晃さんに質問しました。「これまでに手がけたバッグの数はどのくらいですか?」桑畑さんは笑って少し遠くを見ました。ひとつが完成したら、また次のバッグ、、、日々続く仕事のなか、、、、数は数えていないんだそうです。でも、、、、どのバッグについても 作る際に大事にしていること。この答えは、すぐに返ってきました。

商業デザイナーなんで、僕らは。アーティストではないんですね。ひとつのデザインについて、携わる人がたくさんいるんですよ。職人さん、材料屋さん、営業さん、小売店の販売員さん、買ってくださるみなさん。僕が一番思うのは、職人さんなんですけど、、、作る人が、作っていて嫌なものは絶対によくないと思うんです。作っている人が楽しくないバッグは、多分、ただずまいとしてお店に並んだときにも楽しくなさそうなバッグに見えるような気がしていて。だから、なるべく取り巻く環境にいる人が、みんな楽しいほうがいいかな。なので、僕らとしては大好きなデザインだけど、職人さんが大変だとか、そういうのはやめたいと思って。

数多くの人々に愛されるバッグのデザイナーは「多分」と前置きしながらも、はっきり言いました。「作っている人が楽しくないバッグは、ただずまいが楽しくない」デザイナーの夢と 職人の技。想いと想いがつながったそのとき、「モノを運ぶ道具としてのバッグ」が完成するのです。