今週は・・・きのう手に取った、という方も多いかもしれません!フリーマガジン「R25」のHidden Story。
『フリーマガジン「R25」。株式会社リクルートが2003年10月に立ち上げた新たな事業から生まれたこの雑誌。当時、準備室のスタッフとして集められた、藤井大輔さんは、言い渡されたミッションにがくぜんとしました。
2003年の10月の時点では、僕のミッションって何ですかって聞いたら、首都圏で、100万部はける、活字を読まないM1男性に向けた、全く新しい価値を持ったフリーマガジンをつくろう、っていうふうに言われたんですよね。それを聞いただけで、これは相当難しいなと。99%失敗するなと思うくらい、すごく難易度の高いものだったていうのはありますよね。
活字をあまり読まない、とされているM1男性、つまり、20歳〜34歳の男性に読んでもらうフリーマガジンを作る、、、、それは、藤井さんいわく 「不可能に近いミッション」。しかし、チームは 最初の一歩を踏み出します。
世の中を理解したいって気持ちは根底にはあって、でも世の中を理解するための情報がインターネットにもあるような気がするけど見つけられないし、新聞では難しすぎる・・・そこの中間というのをうまくやっていくと本当に必要とされる情報提供ができるんじゃないかなってなったんですよ。そんな中で、彼らの世の中を理解したいとか、自分がもう一歩成長したいという思いを後押しするようなメディアのタイトルをつけたいなって思ったときに、若い男性って一言で言うけど、何歳ぐらいの人を応援したいのかっていったときに、25歳以上って感じじゃないかなっていうふうに思って。で、「25歳未満は見なくていい」それぐらいの強いメッセージで、25歳というのが男の子の迎える社会人としての扉みたいな感覚で受け取ってもらえればなと思って、「R25」ってタイトルをその場で思いついたって感じですよね。
インターネットで1万人、対面形式で200人にリサーチを行い、400にも及ぶタイトル案の中から、18禁ならぬ25禁を意味する、「R25」というタイトルに決定。2004年3月に、テスト版が発行されることになります。テスト版とはいえ、配布部数は20万部。記事の内容に自信を持っていたとはいえ、「手渡しのティッシュすら受け取らない男性が、配布場所まで、わざわざ雑誌を取りに行くというのは無理なのでは」そんな考えが、藤井大輔さんの頭をよぎりました。しかし、、、、
ふたをあけてみたら、ほんとに男性の人がとってくれたし、読んだあとの感想がすごくて、「こういうような情報を求めてたんだ」って。「僕の頭の中を見たんですか?僕が知りたかった情報が1ページ目から最後まで全部入ってて、びっくりした!」と。そういう意見が一人だけじゃなく多く返ってきて、その時に手ごたえを感じたのと、あとは手ごたえを感じつつ、これで終わると思ったから、全力でやったけど、これが毎週毎週作るってなった時に、ほんとに作れるのかなっていう現実的な不安とっていうのになりましたよね。
フリーマガジン「R25」。テスト版が好評だったことを受け、2004年7月の創刊に向けて、プロジェクトは、本格的に動き出しました。「創刊への準備を進めるなかで、最も大きなポイントだった」藤井大輔さんがそう振り返るのは、、、
ターニングポイントだったんだろうって、後から振り返って思うときに、「R25」はどこで読んでもらう本なんだろうって考えたわけですね。暇つぶしのときなんじゃないって言ってたんですけど、具体的に暇つぶしっていつなのよって色々考えるじゃないですか。これはやっぱり帰りの電車の中なんじゃないかと。帰りの電車中は仕事でもなく家に帰ったプライベートでもなく、一番隙間があるって言うかね、心のすきまもあるって感じで。
軸が決まれば、あとはどんどんアイディアが生まれました。 「本の配布場所は、駅の改札口を中心に」、「一駅で読めるように、一つの記事は800字」、そんな方針が、どんどん決まります。そして、雑誌の命、、、誌面づくりについての方針は・・・
情報をただ単にたくさん与えるってことにあまり価値は無いと思ってて、ちょっとわかるっていう楽しみですかね、そういうのを提供していくのは、僕の中でのある種の信念っていうところはありますよね。だから知ったかぶりしないっていうとこは結構大きくて、「えっ、それってどういうことなの、わかんない!」って言う風にした途端に、実はその人もわかってなかったりとかして、「う〜ん、じゃちょっと調べてみようか」ってなって、「あぁ、やっぱりそういうことなんだ」ってわかったりするのは、すごく楽しいですよね。そういうのを「R25」を通じてやれたら、いいなぁという風には思ってますけど。
様々なアイディアが詰まったフリーマガジン「R25」は、2004年の7月1日に創刊を迎えました。その日、藤井さんは、相模原鉄道・横浜駅のラックの前で、「R25」創刊号が搬入されるのを待っていました。
搬入された途端に、ドァーっと人が持ってってくれて、こんなに多くの人が持ってってくれるんだって見たときには、うれしいって思いもそうですし、これからこういう人たちの期待とか信頼にこたえなきゃいけないんだなっていう思いと。これは大変なことになったなというのは改めて思いましたよね。
情報をどんなスタイルで人々に届けるのか?「R25」は、その問いへの答えを探し続けます。