今週は・・・今年が創業60周年、「はとバス」のHidden Story。
第二次世界大戦の終戦直後。ひとりの男性が東京都庁をたずねました。その人の名前は、山本龍男さん。目的は、「定期遊覧バス」の営業権を払い下げてもらうためでした。山本さんはこう思っていたのです。「日本を、観光で立て直したい」。
もともと創業当時は、新日本観光株式会社という名前でスタートしています。バスの車体にはとのマークが描かれていたことから、はとバスと呼んでいたそうです。それが昭和38年から、株式会社はとバスと名前もはとバスになったんですが、そもそもは平和の象徴である「はと」を描いていたことから「はとバス」となったんですね。
取材に答えてくださったのは、以前 ご自身もバスガイドを務められていたというはとバスの山田歩さん。バスガイドは昭和24年、1949年の都内定期観光バス第一号から同乗されていたそうですが、、、当時の資料によると、、、
3月19日に運行開始ということで、ガイドは3月14日に5名採用しまして、わずかな期間で研修をして5日後の運行に備えたそうです。また当時はマイクの設備がなく、すべて自分の声でご案内をしていたようで、仕事が終わる頃にはすっかりのどがかれてしまった、という話も聞いていますね。第一号が3月19日の午前9時に上野駅からスタートしたということで、はとバスの社員全員で見送ったそうです。当初はお客さんが2〜3人のときもあったそうですが、戦争が終わって東京の観光ができるようになった、ということで明日への希望も見いだされていたのかなとも思います。
当初は、客足が伸び悩んだはとバス。しかし、創業から10年後、大きな転機がおとずれます。昭和33年、1958年、東京タワー完成。さらに追い風となったのは、それから6年後の1964年、、、あの「東京オリンピック」が開催されたのです。平和の象徴「はと」を描いたバスが 人々を乗せ、日夜 発展する街=東京を巡ったのです。
はとバスの大きな特徴は、バスガイド。その笑顔の裏には、人知れぬ努力があります。一人前のガイドになるまでの道のり、それは・・・
ウタの試験があったり、地理なども含めた一般常識、面接、朗読などもあったようです。研修自体は、3月の中頃に入社しまして、4月下旬にひとりだちをするんですが、この時期の研修は、身だしなみ、おじぎの仕方、、、、それから200ページ以上ある教本を暗記していくんですね。同時にバスも毎日出しまして、タイミングにあうよう的確に案内して行くよう、昼間はマイクを持ってご案内をして、夜は宿題が出ますので、それを覚えて。寝る間もないくらいです。この繰り返しをして、4月の下旬にデビューをします。
教本を覚えるだけではいけません。どのタイミングでその一行を読むのか。そして、お客さんの目線とバスガイドの目線は左右が逆。さらに、覚えても覚えても、東京の街は広く、、、、時代の移り変わりにともなって、新しいコースもどんどん増えます。首都高速が開通した際には、ひたすら高速道路を走るコース、昭和40年代には、受験生向けに大学巡りのコース。コンピューター・コースという「企業のショールーム」を回るコースもありました。ここ最近で人気があったのは、ホストクラブ・ツアーやホテルで着飾って写真を撮影するドレスアップ・コース。もちろん、外国からのお客様のためのコースもあります。
東京というところは、江戸時代から続く歴史のあるものもありますし、ここ数年で目覚ましい発展をとげた新しいものもありますし、古いものと新しいものを兼ね備えた街なんですね。新しいものも取り入れていきたいし、定期観光バスですので古いものも引き続きお伝えしていきたいですね。
変わり続ける街を見つめ続ける「はとバス」、、、最後にこんな質問を。利用するお客さんに届けたいのは どんなサービス?
東京観光される方、、、地方からいらっしゃる方で、「東京初めてだわ」とか、「修学旅行以来なのよ」とか、、、そういう方にとっては東京ってどうしたらいいか分からない、こわい街、、だからはとバスに乗ったという方も多いんですね。そういう方に安心していただくというか、きっとそこで印象が悪いと東京自体の印象も悪くなってしまいますし、いろんな出会いがありますので、ひとつひとつ大切にしていきたいと思っています。
平和への願いをこめて運行を開始した「はとバス」。人と街をつなぐバスは、創業から60年たった今もあたたかな想いを乗せて 東京を巡っています。