今週は・・・現在、ピカソ展を開催中、、、国立新美術館のHidden Story。
2007年1月21日、東京・六本木に新しい美術館が完成しました。国立新美術館。設計は、昨年この世を去った建築家、黒川紀章さん。印象的なガラスばりで流線形の外観。中には 一流のレストラン「ポール・ボキューズ」も入っています。そんな優雅な空気をまとった国立新美術館、、、実は、所蔵品を持たない美術館なのです。
もともとこの美術館が生まれるきっかけというのは、1970年代の後半に、美術家の方、公募団体の方々が自分たちの美術展をひらく会場を国として作ってほしいという陳情があったのが最初だそうです。それまでは上野の東京都美術館がそうした役割を果たしていたわけですね。国立の展示施設を作ってほしいという要望が日展をはじめとする団体からあったのが始まりです。
日本全国で活動する数多くの美術家、、、彼らの作品を展示する場がほしい。広く一般から作品を募集して展示する「公募団体」からの要請が、国立新美術館誕生の原点でした。作品の展示施設としての意味合いが濃く、「所蔵品は持たない」ということが決まっていたのです。
一番難しいのは、オープンの日はいつするんだ、ということですね。オープンの日が決まらないとお貸しするにもお貸しできないんです。建物を造っていくと予算の問題とか工期の問題で延びていきますよね。どこかでえいやと決める必要があるんですが、、、最初は2006年の11月説なんていうのもあったんですけど、それだったら急がないといけないだろうし、なかなかこれは難しいぞと。
最終的には、公募団体については、2007年の4月から会場を貸し出すことを決定。団体への告知が始まりました。さらに、会場の使い方についてのルール作りも急ピッチで進められたのです。国立新美術館の三木哲夫さんは当時をこう振り返ります。
例えば、細かいことでいいますと、東京都の美術館の場合は、フックをつかってそれにかけていきます。ここの場合は、壁がつるっとしています。壁には釘が打てないのでワイヤーでつるすわけですが、ワイヤーだけでも1万本も用意しました。普段の美術館活動では見えてきませんが、そういう作業が準備期間の中でおこなわれていたということですね。
2007年1月にオープンした国立新美術館は、広く人々の作品を展示する施設であること、、、これを大きな目的にした美術館ではありますが単なる展示場で終わらせるわけにはいきません。
国立新美術館の英語表記については、私たち準備室で決めてもよかったようなので、National Art Center, Tokyoとしたんですね。National Art Centerというと大きく構えられますね。展示だけじゃなく、資料を集めたり、活動を広く理解していただけるんじゃないかなと。パリには国立のポンピドーセンターなんていうのがありますし、National Art Centerという言葉の中に可能性が含まれているかもしれませんね。
「アートにまつわる情報にできるだけ接してほしい」そんな想いから、国立新美術館は、図書室の機能を充実させました。また珍しいプロジェクトとしては、これまでに開催された美術展のカタログ収集を推進。さらには、ワークショップや講演会も盛んに開催されています。
やっぱり美術っていうのが素晴らしいと思いますし、そういう美術が垣根が高いとあまり触れてもらえない。ものづくりを一緒にやりましょう、ということじゃなくて、その垣根を少しでも低くする。その方法のひとつとして、作家と一緒に考えるとか、一緒にモノを作るとか、そういうことをやってるんですね。美術館って人が来ないと全然意味がないですし、いくら名画があっても見ていただかなければ仕方ないですしね。
「美術家たちに広く開かれた展示場であること、たくさんの人に アートに触れてもらうこと、それが国立新美術館の目指すことです」そう語る 特認研究員・三木哲夫さん。 最後に、知られざる美術館の裏側をひとつ教えていただきました。
もともとは公募団体のための展示施設です。そうすると1万点にも及ぶ作品が動くんです。入ってきて、そこで荷解きをされて審査を受けて、入選されたものは上で展示される。落選したものはそのまま帰っていくわけですね。ですから、例えば、この美術館、正面から来られると波打った形になってますが、バックヤードに回ると完全にキューブなんですね。何百台というトラックが来ても荷さばきができるシステムを作ってるんですね。
ひとつでも多くの作品を、ひとりでも多くの人に。National Art Center, Tokyo 国立新美術館は 先月、のべ入場者数500万人を突破しました。