今週は、ちょうど今、季節ですよね、いちご。
そのいちごの代表的な存在、とちおとめの誕生秘話。
いちごの生産量、販売金額、ともに日本一を誇る栃木県。
なかでも、「とちおとめ」は全国のいちご作付け面積の3割を占める 大人気の品種です。
そして、その誕生に深く関わった人物は、栃木県栃木市にある農業試験場にいました。
現在もいちごの研究を続ける植木正明さんは、開発がスタートした当時、1990年のことをこう振り返ります。
それまでは、私どもで開発しました女峰という品種が多く作られていて、全国で50%栽培された品種なんですが、当時、九州で作られたとよのかと全国を2分する形でして、女峰は10年近く作られましたが、その後半、とよのかと比べた場合、果実が小さい、酸味が強い、というのがありまして、やや劣勢になってきたというのが背景にありました。
女峰に代わる、新しいいちごを作る。
農業試験場のメンバーは、この命題に取り組むことになります。
そもそも、品種の開発。 どんな風に進むのかというと。。。
いちごはですね、白い花が咲きます。で、その中のおしべがお父さんでめしべがお母さんです。通常の栽培、例えばとちおとめのハウスでは、全部とちおとめです、お父さんもお母さんも。そうするととちおとめの性格しか出てこないので、違う性格を入れたいものをどちらからに入れるわけですね。
新しい いちごの開発。 そこには大きな壁がありました。
それは、施設の問題。
当時の農業試験場では、4000株のいちごしか育てることができませんでした。 しかし、新品種の出現が期待されるのは4万から5万株に「ひとつ」。
つまり、毎年4000株を作るとすると、10年という月日がかかってしまいます。
でも、そんなには待っていられない。。。
救いの手は、すぐ近くから差し出されました。
農家の方からですね、申し出をいただきまして、ハウスを提供していただいたんですよ、植え付ける。
場内では4000株しか植えられなかったんですが、農家のハウスをお借りして、年間7000株ほど植え付けることができたと。
「とちおとめ」の誕生へ向け、地元の農家の協力を得て、新品種の開発が始まりました。
目指したのは、より果実が大きく、酸味をおさえたいちご。
これを作るために、おしべとめしべをかけあわせ、7000株の栽培がスタートしたのです。
7000株植えたとして、ほとんどふるい落とされてしまうんですよ。だいたい「4年くらい試験場内でふるい落としをして、それでよければ農家さんにも作ってもらう」という形で品種改良を進めているんですが、1年目やって、残るのは200株くらいですよ。
そういうものをずっと食味調査しながら、いいものを残していくと。そういう調査をしているわけですね。
最初の年、7000種類から200種類に絞り込み、さらにその次の年、ここから一気に4種類への絞り込みが行われました。
とちおとめ誕生の日が近づいていました。
90年からスタートしたんですが、90年にかけあわせた中から出ましたので、効率的だったと言えますね。 あとは、運もあったのかもしれないですね。
というのは、「とちおとめ」が出来た“かけあわせ”というのを、次の年とその次の年にやってみたんですが、その中ではいいのが出ませんでしたからね。
開発に携わった、栃木県農業試験場の植木さんいわく、
「幸運のいちご、とちおとめ」。
しかし、その幸運を引き寄せたのは、強い想いでした。
やはり品種を作るというのは、「どれだけ思い入れをできるか」ということだと思うんですよね。 どんな品種を作りたいのか、というのが大事なんですよね。イメージをどう描くか?
ですから、そのイメージもですね、これは無理だろうというレベルのものを思い描くのも重要ですよね。 数年先にできる品種というのも大事ですが、10年後20年後を変える品種をどういうものにするか、20年後のいちごをどうイメージしてそのためにどうするか、ですね。
単純にいえばいちごが好きかどうか、ということですけどね。
大事なのは、20年後のいちごを思い描くこと。
そしてそれは、「いちごがどれだけ好きかということです」と語る植木正明さん。
さらに美味しい品種を目指して、いちごと向き合う日々が続きます。