2009/5/15 星野リゾート 星野佳路さんの情熱物語。

今週は、リゾート再生の達人として知られる星野リゾート 星野佳路さんの情熱物語。

軽井沢で最初の別荘ができたのは、1888年。
そして、そのすぐあとに 軽井沢でリゾート開発をスタートしたのが星野温泉旅館でした。
星野佳路さんは そこから数えて4代目。

実際4代目として帰ってきたのが、1991年ですね。
あのころは、リゾート法というのができて、日本中に大きなリゾートがどんどんできるという時代でしたから、軽井沢は注目もされていましたが、これからどうなるんだろう?という時代でしたね。
当時のざわざわ感というのはバブル期にさしかかっていましたから、どんどん新しいリゾートを作って行こうという感じでした。逆に私たちのような老舗のリゾート会社は競争相手がどんどんできるなかで迷っていた時期でした。

バブル期。
リゾートに参入してくる巨大企業の波を受け、星野佳路さんが最初に立てた方針は、「リゾート運営のプロになる」。
この命題達成のために、大きな鍵となる「人材集め」をスタートします。
4年後、満を持して 軽井沢で所有していたホテルの大改築に着手。
「食」を大事にする「ホテル・ブレストンコート」が誕生しました。
つづいて95年、完成まで10年を要することとなる、星野温泉ホテルのリニューアルが始まりました。

軽井沢というと西洋風なイメージが強いのですが、私たちは最初から日本らしさにこだわりました。コンセプトは「もうひとつの日本」というんですが、経済大国になる過程のなかで、効率性とか経済性の裏で失って来たものがたくさんあるんじゃないか? この問題意識からスタートしたのが「星のや」なんですね。

床にすわって楽しむ客室「床・ザ・リヴィング」、少し暗くした照明、そして、日本家屋の象徴でもある段差をあえて設ける。
老舗ホテルは、日本らしさを表現した「星のや」として生まれ変わりました。
温度調節のために風をうまく通す仕組み、地熱をエネルギーとして使うシステム。
時は2005年。 今のエコブームより一足先に、使用するエネルギーの70%を自給するリゾートが 誕生したのです。

「ホテル・ブレストンコート」に「星のや」、株式会社 星野リゾートの星野佳路さんは次々と自社のリゾートを新しく生まれ変わらせました。
しかし、彼がリゾート再生のプロと呼ばれる理由は、それだけではありません。

リゾート運営がうまいという会社を目指していたんですね。 リゾート法でできた施設と競争するのはやめよう、という方針だったわけですね。 ところが、バブルが崩壊するんです。で、星野リゾートにそんなに運営のプロを目指しているなら、リゾートを再生してもらえないかという話が舞い込むようになったんです。で、2001年に、山梨のリゾナーレという施設を引き受けたのが最初の案件です。

山梨県のリゾート施設「リゾナーレ」。
星野リゾートに その再生を依頼する話が持ちかけられました。
運営だけではなく 所有しなくてはいけない、という条件。
星野社長の決断はにぶります。


僕は慎重なほうなので、すべての再生案件はネガティブ感から始まります。
リゾナーレのときは、良く覚えているんですけど、見に行って、「やっぱりやめようよ」とか言っていたら、「スタッフに会ってくれ」と言われたんですよね。会いに行ったら、スタッフ全員がいたんですよ。
そのときの社員の人たちの印象がものすごく強かったですね。
私たちの運営ノウハウに彼らは期待してるわけです。情熱を感じました。
我々、リゾート運営の達人と言っておきながら、期待してくれる人にこたえなくて、存在意義はあるのかと? 行かなきゃ男じゃないとかいうそういう理論で最後は決まったと思いますね。

「いかなきゃ男じゃない」という心意気でのぞんだ「リゾナーレ」の再生。
最も重視したのは、「サービスの見直し」でした。

お客さんがいったい何を求めているのか?
考え抜いて 出て来たコンセプトは、「大人のためのファミリー・リゾート」。
この方向が吉と出て、2003年のゴールデンウィーク以降、業績は 今なお上昇が続きます。

以後、数々のリゾート再生、リゾート運営を手がけ、「星野リゾート」は、現在、日本全国に18の施設を展開しています。

再生案件をこれだけ取り組んでみて僕が思うのは、軽井沢の星野温泉を引き継いだとき、人材が一番いなかったですよ。
リゾナーレにしろ、小牧温泉にしろ、現地のスタッフ、いい人材はいますよ。
悪いのはスタッフじゃなくて経営者ですよ。

彼らはやる気を持っていますからね。
「やる気を活用してもらえる環境を作れるか」というのが、再生の一番のポイントだと思いますね。

情熱をぶつけることができる環境づくり。
リゾート再生のプロが心に宿す情熱は、それを生み出すために 捧げられているのです。