2009/6/12 「ウルトラス・ニッポン」の情熱物語

今週は、祝 サッカー日本代表 ワールドカップ出場!
代表が戦う場所では、彼らも必ず戦っています、サッカー日本代表 応援集団「ウルトラス・ニッポン」の情熱物語。

青く染まる サッカースタジアムのゴール裏。
ひときわ熱い声援をおくる集団がいます。
その熱は 波のように伝わって スタジアム全体に広がっていきます。
輪の中心にいるのは、金髪の男。 ウルトラス・ニッポンを誕生させた植田朝日さんです。
その情熱の原点は、少年時代に体験した「悔しさ」でした。

応援に行き始めたというか、見に行き始めたのは、小学校3、4年ですかね。 当時、キャプテン翼というマンガがあって、小学校の休み時間はボールを蹴っていて、、、 流れが変わったのは、85年に、メキシコワールドカップ予選というのがあったんですね。それで当時、日本代表が強くて強くて、、、、 そのころ、キャプテン翼というのは現実の先を行っていたんですね。

でも、これで勝って、日本がワールドカップを決めたら、翼君より現実が先に行っちゃうよ、ということで、それはもう興奮ですよね。
それで見に行ったんですけど、結局、日本が韓国に負けて、その翌週、韓国に行ってそこでも負けて、ワールドカップ行けなかったんですけど、子供ながらにすごく悔しさを感じて。。。

植田朝日さんが「運命の試合」と呼ぶのは、ワールドカップ メキシコ大会 アジア最終予選。
85年10月26日 国立競技場でおこなわれた韓国戦です。
あと一歩まで迫った ワールドカップ出場。。。
しかし、超満員にふくれあがったスタンドからの応援もむなしく日本は1対2で敗れてしまいます。
ちなみに、この韓国戦、ベンチには、控え選手として岡田武史さんも座っていました。 試合のあと、東京にはどしゃぶりの雨。
ぬれた応援の小旗があちこちに置き去りにされていました。

90年イタリア大会の予選は、一次リーグで敗退。
94年アメリカ大会は、あのドーハの悲劇。最終戦でイラクに同点に追いつかれ、ワールドカップ出場はなりませんでした。

次にジョホールバル、今度は俺たちの時代だと思っていて。選手達は経験がないと言っているけど、俺たちは経験したし、経験した選手達と一緒に何かを伝えなきゃいけないと思って、ムーヴメントを作らなきゃと思ってフランスワールドカップ予選を戦うわけですが、その中で、サポーターというのが、グランド飛び降りたり、フーリガンだとか、フーリガンが何かも分からずにそういうイメージがついてしまって。。。 そこで思いついたのが、小学校のときの韓国戦のゴミ拾いを思い出して、ブルーのゴミ袋を使って応援すれば、あれを広げてやればスタジアムも青く染まるし、試合が終わったらそのゴミ袋で自分が出したゴミくらい片付けて行けよとか。

ワールドカップ フランス大会 アジア最終予選。
ウルトラス・ニッポンは、ゴミ袋でスタジアムを青く染めました。
植田さんが子供のころに胸を痛めた、韓国戦のあとに捨てられた小旗。
その記憶がヒントをくれたのです。
97年11月16日、ついに、世界への扉をひらく その日がやってきます。

最後、第三代表決定戦がマレーシアのジョホールバルでイランとあって。 1万5千人くらい行ったとされているんですけど、実際、1万人くらいだったかな。 それで、どうやったらホームに見えるかなと思って、いろいろ考えて。 現地の人たちを日本人に見える工夫をすればいいんじゃないかと思って、みんなにグッズ配りまくったり、遠目に青を着てれば日本人に見えるよう作戦を考えたり。マレーシアで何が人気かって調べたら、ドラえもんだっていうんでドラえもんの旗を出したりとか。決定戦に出られると決まってから3日間くらいで手配しないと間に合わないのに、1万人もが国を渡って、それで初出場を決めてあの瞬間に、ひとつの役割を果たしたかなというのはありましたね。

延長にもつれこんだ試合は、118分、中田英寿のシュートをキーパーがはじいたところ、岡野雅行がつめてゴール。
歓喜の瞬間が訪れました。

98年のワールドカップ フランス大会に続いて、2002年は、日本と韓国の共同開催。
世界の国々を招いて、初の自国開催となりました。
サッカー日本代表 応援集団 ウルトラス・ニッポンの植田朝日さんは、ある作戦を考えました。   

32カ国サポーターワールドカップをやろうと。来てくれた人に対して、フットサル大会をひらいたりとか、サポーターボランティアをやろうと。 それはどういうことかというと、英語がしゃべれる人、スペイン語がしゃべれる人がやるオフィシャルのボランティアがあるけれど、その人達は持ち場を離れられなかったり面倒臭いんじゃないかなと思って。 だったら、ウルトラスのTシャツを着て、10都市で開催したんですけど、10都市×200人で2000人。 それに僕と、イメージキャラクターでお願いしたアントニオ猪木さん。 それで2002人。トイレどこ?って言われたら、一緒に行こうぜって連れて行く。

ハローとかオラーとか挨拶だけ覚えて。ルーマニアの人にはゲオルゲ・ハジって言えば、通じるんですよ。
サッカーっていうのは言葉を超えて、世界の共通語じゃないですか。
イタリア行ったら、ナカ〜タとかナカムラって言われるじゃないですか。
イタリアとかスコットランド行ってナカムラと言われたら手をあげるし。
そういうボランティアをやろうと思ったんですよ。

2006年、ドイツ大会を経て、2010年 南アフリカ大会への出場も決まりました。
世界最速でその切符を手にした場所は、ウズベキスタンのタシケント。。。
そこにはもちろん ウルトラスの姿がありました。

アウェイのときに何をするかですよね。 アジアで一番アウェイの戦い方を知っているのは、日本のサポーターだし。 アウェイの国で、応援がまとまっている国というのは少ないんですよ。 そうなると満員でもあちこちから応援してるけど、まとまりがないんですね。 試合前から日本が応援しちゃうと向こうもまとまっちゃうから、始まる前はできるだけシラーッとしてるんです。それで油断させておいて、始まったら一気に盛り上げる。

あとは向こうが静かになったときに、どーんとやれば人数少なくてもまとまりがあるから声がドドーンと聞こえるわけですよ。
アウェイのテレビ中継見てると日本の応援の声が聞こえると思うんですが、あれは聞こえるタイミングでやっているんですよ。

ピッチの上だけでなく、スタンドにも戦術があり、情熱があります。
選手だけでなく、サポーターも戦っているのです。

主役は選手かもしれないですが、スタジアムに一番多いのは選手じゃなくてファンですから。サッカーを文化だととらえているというのはそれで、僕のサッカーって、スパイクをはいてなくてもサッカーなんですよ。サッカーと音楽は世界の共通語だと思うけど、僕がいるゴール裏にあるのは何かっていうと、サッカーで、歌声じゃないですか。 世界の共通語なんですよね。

すべての道は南アフリカへ。
来年、2010年の今頃は、南アフリカにあるスタジアムのゴール裏、さまざまな国の言葉で、応援の歌が響きわたっているはずです。