今週は、 今やニューヨーク、ロサンゼルス、ニュージーランドにパリ、、、海外からも熱い視線が注がれる焼き鳥の自動串刺し機 = 鶏肉に串を刺すマシンの 開発物語。
ベルトコンベアの上を、細長いプラスチックケースにのった鶏肉が流れてきます。そして、一本ずつ上からおさえられてピシュッと ひと差し。
焼き鳥の自動串刺し機。 その国内シェア「9割」をほこる会社が神奈川県の相模原市にありました。
名前は、コジマ技研工業 有限会社。
社員はわずか5人という 小さな会社が、日本国内のみならず、世界からも注目を集めているのです。
一般的に焼き鳥を見た場合には、手刺しの作業で、1時間に100本刺す、というのは超ベテランの仕事なんですね。その1時間に100本刺すというのを1日8時間できるかというとそれは効率が落ちるわけですね。そうすると、その作業っていうのは大変なんですよ。
私たちが何気なく口に運ぶ「焼き鳥」。
実は、串を刺す、という作業に 大きな手間がかかっています。
この負担を軽くするために、コジマ技研工業の代表取締役、小嶋實さんが最初に自動串刺し機を作ったのは、1970年代後半のことでした。
焼き鳥の作業を見ていますと、非常に小さい肉を串をからめて刺していくと。ウェーブをつけて刺すと。なんでそういう方法をとるのかな?という疑問が出ました。それで現場で職人さんの意見を聞くと、1本の串に5個くらい小さな肉を刺していくわけですね。それを強烈な火で焼きますね。そうすると、5個の肉が収縮するわけですね。 肉と肉のあいだにすき間ができてしまうわけです。すると、火をかけているうちに串が焼けてしまう。
焼き鳥の職人さんたちは、鶏肉を縫うように、手首を波のように動かしながら、串を刺していたのです。
この動きをどうすれば実現できるのか?
小嶋さんの試行錯誤が始まりました。
コジマ技研工業の小嶋實さんが開発した焼き鳥の自動串刺し機。
職人さんの「針を縫うような手の動き」をどうすればまねられるのか?
答えは意外なところにありました。
ウェーブをつけて刺すようなというのは、機械でできないことはないけれど非常に高価なものになってしまう。 ですから、目的さえ、ウェーブをつけたようにさせれば、我々は機械屋ですから何でもできるだろうと。 「人間の手の逆をやればいい」という、非常に簡単な。
職人さんが串を刺す動きを 機械で再現するのは、コストがかかりすぎる。
ならば、素材のほうを波打たせればいいのではないか?
小嶋さんは、鶏肉を置くトレーに 波の形をつけることにしたのです。
1号機の開発から10年弱。 1980年代の半ばごろから小嶋さんは 本格的に焼き鳥の自動串刺し機の販売に乗り出します。
しかし、ここに大きな壁が立ちはだかりました。
昭和60年から63年くらいに、本腰を入れてやるということで、全国行脚をしたんです。 そうしたら、先発メーカーの評判が非常に悪い、ということに気がついたと。 もうはじめて2〜3年たっているのでバックもできない。 何度挫折したかわかりませんけど。
実は、他のメーカーが先行して作った「自動串刺し機」の評判が悪く、小嶋さんの機械は当初見向きもされなかったのです。
風向きが変わるのは、2000年ごろ。
居酒屋チェーンから、コンビニエンスストア、スーパーまでさまざまなところから引き合いの声がかかるようになりました。
さらに、最近は、海外からも注文が入ります。
1号機をハワイに。 そしたら、ニューヨーク、ロサンゼルス、アメリカは3件ね。それからニュージーランド。 これがすべて焼き鳥の加工用ってことで機械の注文が。 私が感動したのはね、ニューヨークからの注文は、「焼き鳥弁当」に使うんだって。 ごはんの上に焼き鳥3本のせて、それがニューヨークだからチキンなんとかって名前かと思ったら、ネギマとか、そういう日本語なんですよね、メニューが。 焼き鳥は世界の言葉だと思いました。
自動串刺し機によって、日本の食文化、焼き鳥が 海を越えていきます。
そして、その機械を開発したのは、神奈川県相模原市の小さな会社。
技術者の情熱が支える ものづくりの現場が そこにはありました。