今週は、先月、フランス パリに初出店した日本の靴下専門店。
いかにして、靴下が海を渡ったのか?
大阪が生んだ、世界の靴下物語。
大阪に本社がある靴下専門の会社「タビオ」。 創業は、1968年。
当初は、靴下の卸しを専門としていました。
そんな「タビオ」に 意外な依頼が舞い込んだのは、80年代初めのことでした。
卸してたわけですよ、卸してた中で、三宮の2坪ほどの店が空いたので、そこで靴下を売ってくれという、話がありまして、うち専用の販売員さんをつけて靴下専門のコーナーをつくると。 ただ、世の中にそんなことをする会社も無いですし、市場でもそんな靴下専門コーナーなんてありえなかった時代にですね、そういうオファーがありまして、いやぁ、そんなことやってもいいけど、もうからないしですね。 まぁそこまですごいお願いされたので、じゃあ、その2坪を靴下コーナーでやりますよと。じゃあ、販売員さんも教育しましょうということで、いやいや半分いやいやですね、うちの会長が「まぁ、しゃあないからやってあげましょうと」。
こうして、初の直営店が兵庫県神戸市の繁華街、三宮にオープン。
さらに、84年にはフランチャイズ1号店が、福岡県久留米市に誕生しました。
品質の良さと徹底した在庫管理によって、靴下専門店の数は、どんどんと増えていきます。
そして、追い風となったのは、90年代に巻き起こった あのブーム。
ルーズソックスブームとか、うちはあまり乗らなかったんですけど、靴下が徐々にファッションになり始めたのが90年代という感じでしょうか。
それまでほんと日用品だったわけで。今から考えると少し違和感があると思うんですけど、女性にとって靴下なんて何でも良かったっていう時代から、オシャレのパーツとして、まぁ、若い子たち中心に見られだしたのが、90年代位からだと思っています。
それまでは あくまで脇役だった靴下が、大きな存在感を持ち始めます。
海外への扉も開かれようとしていました。
『1990年代後半には、国内の靴下専門店が200店舗以上となった「Tabio」。
その目は、海外へと向けられます。
もともとはNY。 アメリカに出店しようかという話があったんですけど、それがあまり上手くいかなくてですね。 たまたまその時に、自分の妹がロンドンにホームステイしてまして、そこにうちの会長が遊びにいきまして、日本から持って行った靴下が非常に評判が良かったというので、じゃぁアメリカダメだったし、イギリスで売ってみようかみたいなことで、スタートしました。
入念なリサーチと準備を経て、2002年3月に、「タビオ」の海外一号店をロンドンにオープン。
最初の1年は、販売数は伸びなかったものの、徐々に品質の良さが認められ、リピーターの数も増加します。
この理由について、海外初出店に携わられた、「タビオ株式会社」の代表取締役社長、越智 勝寛さんが指摘するのは、ヨーロッパの人たちの「靴下に対する考え方」。
ヨーロッパで靴下が受けるだろうという中の一つで言うと、靴脱がないからですかね、寝るまで。
誰にも見せないんで、どちらかというと足の袋という感じですかね。日本の靴下の場合は、いかに足にフィットするかというのが重要なんですけど、そうではなくてくるんでればいいんですから、かかとがずれても構わないですし、穴空いてても構わないですから、その文化にうちは靴下もファッションの選択肢として、ライフスタイルの選択肢として選んでくださよ、っていうのを提案していったら、それがドンピシャで当たったという状態ですか。
現在ロンドンに7店舗を展開、そして先月には、ファッションの都、パリにも、フランス1号店をオープンしました。
世界最大の靴下専門店とかではなくて、世界最大の靴下業者もなるつもりも無くて、世界最高の靴下屋さんになりたいわけです。 規模とかそういうのにあまり興味ないですね、店舗数であるとか、売上高とか。 質で世界の最高になりたいと思っています。 タビオを基準に語られるような、靴下と言えば、「タビオ」と言われるような、そういった、世界の品質基準になりたいということですね。