2009/7/31 音霊シースタジオのHidden Story

今週は、キマグレンのクレイさんとイセキさんが、神奈川県の逗子海岸で運営する、夏期限定のライヴハウス「音霊シースタジオ」のHidden Story。

夏のあいだだけ開かれる海のライヴハウス、「音霊シースタジオ」。
そのアイディアが生まれたのは、6年前の夏のこと。
後にキマグレンを結成することとなるクレイさんの中に、こんな想いが芽生えたのです。

僕、当時、サラリーマンをしていたんですが、海で昼寝をしていたところ、海で働きたいな、と思って。 でも実際、海の家をやるのって大変だろうなと。 そのときに、逗子海岸をはじからはじまで歩いて聞いてまわったんですね。

「おじいちゃん、海の家、もうかるの?」って。

そしたら、「もうかるよ」って言うんでね。
じゃあ、企画を始めようと。
せっかくだったら音楽もからめた海の家にしたい。
で、動いていくうちに、ひとりじゃどうしてもできなくて。 だったら仲のいい友達を誘ってやろうと。それでイセキに声をかけたんです。(クレイ)

僕が即答で、いいよと。 (イセキ)

当時24歳のふたり。
周囲の大反対を押し切って、「海の家 プラス 音楽」という企画が走り出しました。
2005年夏。。。逗子海岸に「音霊」の前身となるライヴハウスをオープン。
Chara、Bonnie Pink、Mihimaru GT、Towa Tei。。。さまざまなアーティストが登場し、それは誰の目にも素晴らしいスタートに見えました。

外からの見え方と中で起きていることのギャップ。

実際こういうこと話すの、あまりないじゃないですか。 や、本当はつらいんだよという話しないじゃないですか。
初年度も外からの見え方はすごくよかったんですよね。 海で、こんだけ立派な建物たてて、すごいアーティストがきて、お客さんも入っているようには見えているので、大繁盛じゃんって。
そんなことないんですよね。 借金地獄ですよね。
笑ってなきゃいけないんで、笑うのを通り越して叫ぶ、みたいなね。
イセキが突然、叫びながら海に飛び込んで行くみたいな。

今思えばドラマみたいですよね、ウォーって叫びながら海に飛び込むイセキを後ろから止める。 まあ、待てよ。 落ち着けって、わかったからって。(クレイ)

クレイさんとイセキさんいわく、「散々な結果だった」という1年目。
出演アーティストのブッキングを進める中で「枠があいたから オーナーとして何とかしよう」ということで誕生したのが、キマグレンでした。

夏が終わってしばらくは、ライブハウスの話題は触れたくもない空気。
でも、ふたりはもう一度挑戦しようと決意します。
2年目、3年目。。。「ひとつの問題を解決すれば、また別の問題が生まれる」という状況。
事態は改善しませんでした。

しかし、そんな日々のなか、あの名曲が生まれます。

もともと、2年目に音霊で会った人がマネージャーになってくれて。 何の契約もしないまんま、「とりあえず曲を作ってみろよ」って。

オレらはそのころ音霊でいっぱいいっぱいだったんで。
まあ、契約してないけど、だまされてもいいやと。
というなかで、インディーズ版の「Life」を出すんです。
それが3年目の夏です。
契約かわしてないけど、いいよね。 スタッフいなくなって、音霊でいっぱいいっぱいだと。それが3年目ですね。(クレイ)

夏季限定で逗子海岸にオープンするライヴハウス、「音霊シースタジオ」。
その運営を手がけるのは、キマグレンのクレイさんとイセキさんです。
    
多額の負債を抱え、しかもスタッフはみんないなくなる・・・という逆風の3年目。
しかし、つらい日々に、光が差し込みました。
それがのちに大ヒットとなる「Life」。

逆境のなか、ふたりの情熱が生んだ1曲に、多くの人が自らの想いを重ねたのです。

音霊の歴史、それはそれとして。 音霊は、普段いろんなライヴハウスで感じていること、プラスアルファなんですよね。 客席が砂地で、波の音が曲間で聞こえて来て。 それで再入場可能なので、海に入ってまた入ったり、エンターテイメントの場所として、海に来る意味があるし、海で音楽を聴くということ。。。ぜひ。 (クレイ)

あと、アーティストさんも、よく一青窈なんかは、「普段はスタジオでやっているけど、ここに来るのは、夏休みなんだよね」と言ってくれる。
夏休みとしていつもと違う気分のアーティストさんをお客さんが楽しむ。
そういう空間を楽しみにきてほしいなと思いますね。(イセキ)

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