今週は、今年も多くの人が訪れた都市型音楽フェスティバル「サマーソニック」のHidden Story。
都心からおよそ1時間。
幕張での開催がすっかり定着した「サマーソニック」。
今年が10回目の開催でした。
その歴史をひもとくと、産声をあげた年、2000年の会場は、山梨県の富士急ハイランドでした。
翌年、より東京に近い幕張へ。
フェスティバルの性格が大きく変わります。
この年からサマソニに関わるクリエイティブマン・プロダクションの平山善成さんは、柴田悠哉さんとともに、当時をこう振り返ります。
当初の打ち出しとしてあった「都市型」に近づいたんじゃないですかね。 幕張に移って。 富士急も悪い会場じゃなかったんですけど、やっぱりキャパシティの上限が決まってしまうということで、都内近郊で探したら、幕張メッセと通りをはさんでマリンスタジアムがあって。いろんな候補があるなかで幕張もあって。
で、足を使って見ている間にスタジアムとメッセが両方目に入って。これを使わない手はないという。
スタジアムとイベントホールが 通りを挟んで存在する。
しかも、都心からのアクセスが便利。
サマーソニックは舞台を幕張に移しました。
このときは、千葉マリンとメッセで ステージがひとつずつ。
とにかく毎年、別のことをやっている。 年をふまえて、新しいことをやってる。 その辺は目に見えて変化しているのがサマソニだと思います。 ゼロゼロがあって、ゼロワンで2ステージあって、ゼロツーが2ステージ+1ステージになり、ゼロスリーだと3ステージ+1ステージ、ゼロフォーは、ビーチふくめて、5ステージ。 ゼロフォーあたりで今の原型が整ったという感じかな。
この10年。 平山さんと柴田さんが「スタッフの目から見て、あれは大きな賭けだった」と口をそろえるのは、2002年。
ヘッドライナーにガンズンローゼズを起用したことです。
この年はヘッドライナーが大変すぎたから。 ガンズが来たのは事件というか。 本当に来るの?みたいなことが噂されてましたからね。 チャレンジでしたよね。そこでいちかばちかの賭けに出て、それが成功したからそれ以降のゼロスリーとかがあるのかなと思いますね。
ここで失敗してたらやばかったかもしれないです。実際、ガンズって、このあと北米ツアー、全部キャンセルしてるんですよね。 本当に奇跡の、でした。
翌2003年。 初めてチケットが売り切れる日が出ました。
そしてその夜、「伝説」と呼ばれるステージが生まれたのです。
この年は、レディオヘッドのパフォーマンスだよね。 伝説のステージと言われてますけど。 最後にCreepをやったっていうのが、ファンの人たちにも大きいし。 僕らにとっても、サマーソニックでCreepをやってくれたのが嬉しかったというか。
ビッグ・アーティストの素晴らしいパフォーマンスがサマーソニックの人気を決定づけました。
ブラック・アイド・ピーズ、オアシス、グリーン・デイ、メタリカ。
そして、コールドプレイ、リンキンパーク、ビヨンセ、レディ・ガガ。
東京の夏、サマソニには、その年 最も熱い音楽がやってきます。
海外のアーティストとか聞いたことのない人が来ても、常に新しい発見があるというか、いい音楽に触れる機会を提供しつづけるのがサマソニの使命というか。やっぱりライブを見てほしい、というのはありますよね。もちろん様々なアトラクションはあるんですけど、その年その年のシーンを反影したステージがあるので。
日本にいながらにして、海外の今を感じられるのがサマーソニックだと思うので。それでその人の音楽の聞き方だったり、ライブへの行き方が変わったりとか、違うジャンルを聞いてみようと思うきっかけになるなら、やってて嬉しいし、よかったなと思いますけどね。
いい音楽を多くの人に届けたい。
これまで知らなかった音楽に触れてほしい。
そんな想いをのせて首都圏の夏をいろどる 音楽フェスティバル「サマーソニック」。
大きな花火とともに 10年目の夏が終わりました。