2009/8/28 ケント・モリさんの情熱物語

今週は、マイケル・ジャクソンが認めた若き日本人ダンサー、ケント・モリさんの情熱物語。
ただいま、マドンナのヨーロッパ・ツアーに参加しているケントさんに国際電話でうかがったストーリーです。

2006年春、当時21歳のケント・モリさんは大好きなエンターテイメントの世界にどっぷりつかるべく、アメリカ ロサンゼルスへ。
ミュージック・ビデオ、バック・ダンサー、路上パフォーマンス、さまざまな仕事をしていくなか、ひとつの知らせが舞い込みました。
事務所=エージェンシーに届いたのは
「マドンナがネクスト・プロジェクトのオーディションを開催する」
という情報。

オーディションに行ってみたら、とにかくものすごく人がいるから、俺は、ミュージック・ビデオかなんかと思っていたんですけど、これはもっと大きなプロジェクトだなと感じて。 僕自身、体調悪かったんで、友達が俺やりたいんだって言って、帰りの足がないからケントいてくれって言うから、じゃあやるだけやってみるかと。

「帰りの足がないから、ケント、いてくれよ」友達の一言が、ケント・モリさんの運命を大きく動かすことになります。
6次審査まであるオーディションの3次審査からはマドンナ自身も加わりました。

マドンナが3次審査から現れて、僕が踊ったあとでちょっと呼ばれて。 あなたよかったわよ、ってグー・サインをされて。 それを僕にだけしてきたんで、本当に彼女も気に入ってくれたんだと思って。 気づいたら、オーディション最後まで残って。 結果は後日だったんですが、僕自身は手応えのあるオーディションというか、これはいったなと思いましたね。

手応えのとおり、マドンナのネクスト・プロジェクト、つまり「ワールドツアーでのダンサー」という仕事を手にしたケント・モリさん。
しかし、この「喜び」が、後に彼を引き裂くことになるのです。 

2008年5月、アルバム「Hard Candy」を引っさげてマドンナのワールドツアーがスタート。
それからおよそ8ヶ月間、ケント・モリさんは、このツアーに参加しました。

マドンナのツアーが年末で終わりまして、で、終わる前に、今回のエクステンション・ツアーがあるというのは分かっていたんですね。 全員また集まりましょうということで終わりまして、そのとき、マイケルが何かやるらしいという情報もあったんですね。 マドンナのエクステンション・ツアーのコントラクトが来たのが、2月くらい。 それで僕はサインをしたんですね。 そのあと、3月くらいにマイケルの話を聞いたんです。マイケルが実際に本当にコンサートをやると。オーディションも近いうちにあると。実際、マイケルのオーディションの話が来たのが4月の頭ですね。それでそこに参加する、ということになるんですけど。


マドンナとの契約はあるものの、ケントさん自身、「僕の人生を変えたのはマイケルだ」と語るほど尊敬してやまないマイケル・ジャクソンのオーディション。
今年 2009年の4月、ケントさんはオーディション会場に足を運びます。

初日にカットがあって、2日目もカットがあって、そこからマイケル本人もやってきて審査していくという形なんですけど。その3日目には男女合同でオーディションが進んでいくという形なんですけど。 マイケル・ジャクソンは特別で、結果はその場で聞いたんですね。 僕自身の名前が呼ばれたのは3番目でしたかね、確か。 それで、じゃあ、マイケルに自己紹介してきなと言われて。マイケルのところに歩いていって、Nice To Meet You、マイケルもNice To Meet You。僕は言葉にならなくて。 もう本当に光栄ですって、ボディーランゲージで。 それでケニー・オルテガっていうダイレクターが僕のところにきて、マイケルがキミを一番に選んだんだよって伝えてくれて。マイケル自身が、I Think He’s Funky I Like Himって言ってたと。もうびっくりしましたね。

マイケル・ジャクソンのツアー・メンバーに合格したケント・モリさん。
しかしここで マドンナ・サイドから「待った」がかかります。
契約がある以上、マイケルのツアーには行かせない。
マドンナのプロとしての態度はまったく揺らぎませんでした。

マイケルサイドも頑張ってくれて、聞いた話ではマイケルもマドンナに電話してくれて頼んだんだけど、ダメで。 結局、マイケルの方に行くのは実現せずに終わったんですけど。

5月下旬、マドンナのエクステンション・ツアーのリハーサルが始まりました。 そして、6月25日。
マドンナのO2アリーナでのコンサートを目前に控えたケント・モリさんは、ロンドンにいました。
携帯電話に友達からメールが入ります。
「マイケル・ジャクソンが亡くなった」

次の日、リハーサルがあったんですけど、マドンナももう元気がなくて。 マドンナの現場も、マイケルと仕事をしてきた人が多くて。 いつも通り元気にやろうと思ってもそうならないというか。 マイケルが亡くなった次の次の日は、休みになって、彼女の自宅にダンサーとかスタッフを呼んでくれて。 で、そのときマイケルが流れていて。僕があわせて踊ってたんですね。 そのとき彼女にひらめいたらしいんですね。 翌日リハーサルに行ったら、マドンナに呼ばれて、トリビュート・ゾーンをやるから、そのときに、あなたにマイケルになってほしい、という流れなんですけど。

7月4日、ロンドンO2アリーナ。
本当なら数日後からマイケル・ジャクソンが「This Is It」と題したコンサートを開くはずだった会場で、マドンナのコンサートは初日を迎えました。
コンサートに急遽組み込まれたマイケルへのトリビュート・ゾーン。
ステージの中央には、マイケルに扮したケント・モリさんの姿がありました。

ケントさんのもとに、最近、こんな話が届きました。

ボーイズ2メンのツアーに参加していたレックスという人がいて、そのレックスがマイケルと親密な人で。マイケルのいとこにあたる人と結婚した人で。マイケルが亡くなる1週間前にレックスはマイケルと食事をしていたらしいんですね。 そしたらマイケルが僕は素晴らしいダンサーを見つけたんだよと言ってきたらしくて。 今はマドンナのツアーに参加しているけど、それが終わったら一緒に仕事をしたいんだよねと、それがマイケルが亡くなる1週間前の食事で。 まさか僕の話を、嬉しそうに自慢げに言ってくれていた というのが、僕としては、なんか、もう、すごく嬉しかったですね。