2009/12/25 難病についての活動を続ける、中岡亜希さんの物語

今週は、難病についての活動を続ける女性、中岡亜希さんの物語。

難病。 治療法が確立していない病気は総じてそう呼ばれます。
このなかで、厚生労働省が「難病」と指定したものについては医療機関への援助が行われ、原因や治療法を見つけるための研究が行われます。
しかし、この指定を受けていない難病が数多く存在するのです。

取材を受けていただいた中岡亜希さんが患っているのは、そのひとつ、遠位型ミオパチー。

告知を受けたのは、2001年の5月のことだったんですが、告知を受ける2年くらい前から、症状として、当時はまさか病気だなんて思わなかったんですが、指先の力が弱くなっているような気がしたり、階段を上るがつらいような気がしたり。 でも、仕事が重労働でしたから、その疲れなのかな、自分に体力がないだけなのかなと思っていたんですが、そのうち症状がひどくなって、ちょっと歩くだけで滝のような汗をかいたり、「これはおかしいな」ということで病院に行ったのが2001年だったんです。


当時、中岡さんは 航空会社で客室乗務員として勤務されていました。

「仕事がきついから疲れているのかな? でも、これはおかしい」

検査を受けたところ、“心臓から遠いところの筋肉から次第に萎縮していく”という病気であることが分かりました。 
遠位型ミオパチー。
100万人に2人か3人。 現在、把握されているだけで、日本に100数十人の患者がいるとされています。
しかし、治療法がないのです。

治療法がないんですね。 だからお薬もないんですよ。 病院に行く必要は基本的にないんですよ。 行っても何もすることがないから。 ただそのときの現状を報告するだけ。

進行性なので、何ヶ月か、半年に1回くらい行って、今はこうですと、先生に報告するくらいしかできないので。 治療ということでは、何もできることがないんですね。

それでも何かせずにはいられなかったというか、告知を受けてから3年間、仕事を続けていたので、会社のなかにジムがあるんですけど、そこに行ってストレッチをしたりとか、できるだけ動かしたらいいんじゃないかなと、ジムのトレーナーとやっていたんですね。

でも3年たって、動いていた体も動かなくなり、動きづらくなり。 ん〜、3年たった時点で京都の実家に帰りました。


中岡さんは実家のある京都に戻りました。
何かをやりたいけれど、何もできない。
もどかしさを抱えたまま、数年が過ぎました。

しかし、インターネットで ひとつの出会いがありました。
同じ病気をかかえる人との交流が始まったのです。

患者会を発足。
さらに、小泉二郎さんとともに、NPO法人「希少難病患者 支援事務局 SORD」を作ったのです。

まずは本当にですね、患者さん自体は孤独で情報もなくて、それでなくても病気と向き合うのに大変な毎日のなかで、それ以上に孤独とも向き合わないといけない。 自分も体験して来たんですけど、そういった患者さんが他にもたくさんいらっしゃるんだということで。 そこを何とかできないのかなという想いで。

患者さんたちが自分たちの病気の情報を知る場所、それから同じ病気の患者さんたちとのコミュニケーションの場を作っていけないのかなと。
システムとして作り上げようと思ったんですね。

それプラス、患者さんの一番目指すところはやはり、治療法、治療薬であるとも思うんですね。
でも、患者さんの少ない、希少疾患というのは、難病指定されていないので、国からの支援もほとんどない。 ほったらかしにされているわけです。

誰からも手を差し伸べてもらえない、そういう病気が何千とあります。
そういった疾患に対して、治療法、治療薬ができるような環境の構築、それができないのかなとSORDとして動いている。 それが大きな柱ですね。


そして、SORDの活動を通して、もうひとつの素敵な出会いがありました。
    

子どもたちにも活動に参加してもらって、活動のなかで子供たちの交流ですごく力をもらうんですね。

自分自身も「頑張らなきゃ」と思っていても空回りをすることもあるし、「人はひとりでは生きていけないんだな」ということも痛感するんですけど、そんな中で活動を頑張ってくれたり、毎日を素直に生きる子どもたちと触れ合うなかで、こんなにも背中を押してもらえるのかと。 「こういう交流を、患者さんにもっと持って欲しい」と思ったんですね。

子どもたちにも、患者さんと接するなかで、いろんなことを考える力を、世の中にはいろんな人がいるということ、自分には何ができるのかということを考えてもらえるきっかけになったらいいな〜と。


自分にはできることがある。
難病をわずらう人と人をつなぐこと。

そして 願わくは、活動を共にする子どもたちの心の中に、優しい気持ちの芽を。
中岡亜希さんの挑戦は続きます。


現在、移動の際は車いすを使う 中岡亜希さん。
きのう、クリスマス・イヴ、「フリー・バイ・フリー・プロジェクト」という会社を立ち上げました。
主な業務は、ヨーロッパから 福祉用具を輸入することです。

自分自身も車イスになって、福祉用具を使う機会が増えていきまして、今手の届くところにある日本の福祉用具は、使いにくいわけではないんですけど、使っていて楽しくないというか、もっとデザイン性とかあればいいのにと思っていたんですね。 ただ使う日用品というだけでなく、使いやすくて、デザイン性のいいものがあればもっと楽しいのに、と思って。

まだ、「もっと頑張って自立していきたいな」っていう想いが強かったんですね。

人の手を借りなければいけないことも増えてはいきますが、それでも、自分にできることの追求はあきらめたくないし、そう思っていたときに、こういう福祉用具が、もっと、あふれるような世の中になればいいなと思ったのが、きっかけでありまして。


弱い立場の人も楽しく過ごせる。 それこそが成熟した社会。
その実現のためには、あなたの心のなかにも 必要なものがあります。

フィンランドとドイツに行って来たんですけど、フィンランドって福祉大国と言われていますが、ヘルシンキとか街の中は、バリアフリーどころか段差だらけで。 道の悪いところが続いていたりとか。 寒い国なので重い扉が2重になっていたりとか。

「大変そうな街だな」と思ったんですが、街を歩いてみたら全然不自由ではないんですよ。
それはなぜかと言ったら、周りの人がすぐに手を貸してくださるんですよね。

若い方たちだけでなく、よぼよぼのおばあさんまでドアを開けてくれるんです。
あ、街がきれいに整備されていなくても、みんなの心の中にそうしたものがあれば、全然不便じゃないし、生活だってできるじゃないと思ったんですね。

逆に日本はどうかな?と。 最近バリアフリーになってきてはいるけれど、まだまだ形だけのような気もするし、みんなの心がついて行ってないような気もするし。
そういうことを考えた10日間でした。

     

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