今週は、2010 FIFA World Cup 南アフリカ サッカー日本代表 Samurai Blueのキャプテンを務めます、川口能活選手の情熱物語。
1996年7月21日。 ブラジルが沈黙しました。
アトランタ・オリンピック、サッカー。
日本はブラジルに1-0で勝利。
そのとき、ゴールを守っていたのが、川口能活選手でした。
当時、20歳。
予選リーグでブラジル、ナイジェリア、ハンガリーと強いチームが同じグループにいて。 特にブラジル。 ブラジルに関して言えば、高校時代、そしてマリノスにいたときも、オリンピック代表のときもそうでしたけど、ブラジル人のコーチに鍛えられて、指導していただいて、そのブラジルに恩返しできる、という想いと、最強のブラジルでしたから、そのブラジルとゲームができる喜び、そういう想いを胸にブラジルに挑んでいった、という感じでしたね。 まさか勝てるとは思いませんでしたけどね。 え〜。
あれは自分のサッカー人生にとっては自信になったし、自分が、世界で、世界大会でやれるんじゃないかなという、足がかりをつかんだ大会になったとは思いましたね。
人呼んで、「マイアミの奇跡」。
川口選手は、最強のブラジルから勝利を挙げた自信を胸に、98年のワールドカップ フランス大会に臨みます。
98年のときは、ヒデ、それから彰二とともにチーム最年少でワールドカップにのぞんだということで、日本が初めて出場した大会でしたし、僕ら若かったのでとにかく自分のプレーをアピールしよう、という気持ちで臨んでましたね。 もちろんチームが勝つためというのもありましたけど、ワールドカップを楽しんで、そして自分のプレーをアピールしたい、という想いがありましたよね。 やっぱり、初戦のアルゼンチンは強かったし、クロアチアは試合巧者だったし、ジャマイカも勝てるんじゃないかと言われましたが、彼らも日本に勝つためにいろんな戦略を立てていましたし、オリンピックとはまた違った重みを感じましたね。
フランス大会は、3戦全敗。
その後、川口選手は、イングランドのクラブ、ポーツマスに移籍しますが、出場機会に恵まれません。
そして、2002年、日韓共催のワールドカップでは、メンバーに選ばれるものの、控えにまわります。
ワールドカップでも、ヨーロッパのクラブでも試合に出られない悔しさが川口選手の情熱を加速させました。
ジュビロ磐田に移籍。
2006年、ジーコ監督のもとで戦うドイツ大会がやってきました。
2006年大会の前にヨーロッパでプレーしていて、ヨーロッパで悔しい想いをしていて「その悔しさを晴らしたい」という想いで臨みましたね。
結局、予選リーグを突破できなかったんですけど、自分のなかでやるべきことはやったと。 その状況のなかでベストは尽くしたつもりだったんですけど、チームとしては機能できなかったなと。
自分はその時、31?まだ30でしたかね、本来、チームをまとめる立場だったんですけど、非常にまとめるのが難しい状況でしたので。キャプテンの宮本がいて、絶対的な存在であるヒデがいて、多くの素晴らしい選手がいてクオリティのあるチームだったと思うんですけど、最後の最後でチームとして機能できなかったのが悔やまれますよね。
クロアチア戦でPKを止めるなど、個人としては輝きを放ったワールドカップ ドイツ大会。 しかし、チームを団結させることはできませんでした。
川口選手は悔しい想いを再び力に変えます。
「もう一度、ワールドカップで戦いたい」
南アフリカへ向け、アジア予選が始まりました。
2010 FIFA ワールドカップ 南アフリカ アジア予選。
当初は正ゴールキーパーとして出場していた川口能活選手ですが、2008年、先発メンバーから外れます。
さらに、翌年3月、岡田武史監督は、川口選手を代表メンバーからも外しました。
メンバー落ちしたときは本当に悔しかったし、ついにこの時が来てしまったという。
ただ、これで終わりじゃないので……うん、また代表に呼ばれるように、とにかくアピールするしかないなと。 ショックでしたけど、ここで落ち込んでいてもしょうがない。
サッカーができないわけではないので、ここからまた挽回してやろうと思いました。
しかし、さらなる試練が川口選手を待っていました。
2009年9月、Jリーグ 京都戦で骨折。
いや、もう、足が折れた瞬間に悔し泣きしたし、もう、ね、これで半年以上サッカーができなくなるのかと思ったら……
ほんとに……代表復帰に向けてアピールしつづけてきて、そこで足が折れて、緊張の糸が切れてしまったのか、家族の前で泣き崩れたと。
非常に悔しくて……泣き崩れてしまったんです、家族の顔を見た瞬間にね。
懸命のリハビリの末、今年の4月25日、ようやく練習試合で実戦に復帰。
サッカーをできる喜びが心に満ちました。
さらに、代表に選出。
今回は本当に無理だと思ってました。正直厳しいなと。
ゲームに出てなかったですからね、代表からも遠ざかっていましたし。
実はその日も練習試合が入っていたんですよ、でも内転筋に違和感が出て試合を回避したんですよ。 その時点でダメだなと思ったんですね。
さすがに女房も落ち込んでしまって、もうダメかもねと。
気晴らしに外に食事行こうと。そのとき電話があって。
最初誰か分かんなかったんですけど、岡田さんからで。
ぜひ力を貸してくれないかと言われたときには、僕も感極まってしまって。
岡田武史監督は、代表から離れていた川口選手を南アフリカ大会のメンバーに選びました。
そして、主将に指名したのです。
Samurai Blueのキャプテンは、奇跡を呼ぶ男、悔しさを知る男、そして、逆境のなかでも全力を尽くす男、川口能活。
南アフリカ ブルームフォンテーン、日本代表の初戦、カメルーン戦まで、あと3日です。