2010/6/25 マイケル・ジャクソン来日秘話

今週は、マイケル・ジャクソン来日秘話。
ソロとして初めてのツアーで来日したマイケル・ジャクソン。その滞在はおよそ1ヶ月半におよびました。ツアーに同行した キョードー東京の小屋敷明さんにお話を伺いました。

1982年に発売されたアルバム『スリラー』は、リリースの2年後の84年になっても売れ続ける、空前の大ヒット。さらに、85年には、USA For Africa「We Are The World」をライオネル・リッチーと共に作曲。まさに、世界が、熱い視線をマイケル・ジャクソンに注いでいました。
87年8月31日、満を持して アルバム『BAD』世界同時発売。 その直後に実現したのが、マイケルのソロとしての初来日ツアーだったのです。

そのころは、いろんな噂が飛び交っていました。

普通のアーティストが日本に来てツアーをしてというそれまでの常識とか経験の中では想像がつかない感じはありましたね。例えば、いろんな動物を飼っているらしいと、大蛇だとか……
そういうのも日本に連れてくるらしいとか、どういう形で対応、受け入れ態勢を、どうなんのかなと思った記憶はありますね。

蛇は来日しませんでしたが、チンパンジーのバブルス君はやって来ました。
87年9月9日、成田から日本に入ったマイケルはキャピトル東急ホテルにチェックイン。

基本的に部屋に入ったら向こうのスタッフに預けますので、中で何をしているのか見る機会はほとんどないんですが、事前の手配のなかで、向こうから持って来たカーゴの中に楽器とか衣装のほかに、身の回りのステレオセットから何からそういうものも入っていて、その中にダンス用のマットもあったと思いますね。
それを着いてすぐ部屋にいれて敷いてと……そのときは立ち会った記憶がありますね。へ〜と。時間があればこうやって自分の部屋で練習するんだと。そう思いながら見ていた記憶がありますね。

9月12日 直後に取り壊しが決まっていた後楽園球場で「BADワールドツアー」がスタート。
日本列島が熱狂に包まれる日々が始まりました。

マイケル・ジャクソン、ソロとして初の来日ツアー。
1ヶ月半にもおよぶ滞在中、マイケルに常に同行した キョードー東京 小屋敷明さんの毎日は、心休まる瞬間のない、緊張の連続でした。 

初来日のときは1ヶ月以上、ツアーが終わってからも1週間くらい滞在しましたから、1ヶ月半近く日本にいたわけなので、その間常にファンに囲まれて移動して……
これはやっぱり本当に危険な場面もありましたね。
1ヶ月半、どっかで事故がないようにと。会場に関してはそれなりに警備や導線を考えたりできますが、オフの日、街中に出て行くときには、なかなかそこまで対応ができない場面があるんで……銀座の並木通りで、ちょっと1時間くらい本屋さんに行って出ようとしたら、当然、出口のところギリギリに車がつけてあるんですけど、まわりが全部群集で通りが埋め尽くされているという。車自体が……群集の真ん中にぽつんと車があるような状態で。これはどうやって車を……とは言っても他の手段で、空中につり上げるわけにもいかないですしね(笑)
そういう場面が結構ありましたね。

おもちゃ屋さん、遊園地、本屋さんにCDショップ。
小屋敷さんいわく、「マイケルは、他のアーティストでは考えられないくらい、やたらと外出。少しは休んでくれないかな、と思った」。
急な外出も多く、警備は困難を極めました。

同行している映像のクルーがいて、ドキュメンタリーの映像を撮っていると。なるべくそれでハイライトとなるシーンを撮りたいと。駅でもみくちゃになっているシーンとか、空港でとか、そうなるとなるべくそういうシーンが撮れるような感じで行こうとするわけですよ。一方、警察は、最短ルートを指定してくる……でも映像的にはもうちょっと遠回りして出たいな、みたいな。で、マイケルのセキュリティの責任者に言ったら「お、わかった」と。でも走り出したら、違うほうをドライバーにですね……
しまいにはバンでサンルーフを開けて、電飾の衣装を着て手を振りながら出るみたいな、ですね。

キョードー東京の小屋敷明さんはその後、88年、再び日本に戻って来た「BAD ワールドツアー」、さらに、92年、93年の「Dangerousワールドツアー」も担当されました。
最後に、心に残るマイケルの姿、伺いました。

今までスーパースターといろいろ仕事をさせていただいたなかでは、極めて……すごくいい人だったというかですね、優しい……そういう印象を持ちましたね。 確かにバブルスを連れて来たり、やっていることは奇異にうつることはあっても……無理難題を言いつけたり、周りの人間をどなったりとか、嫌な顔をしたりとか、そういうことはなかったですよね。むしろ、声が女性っぽい声ですよね、ああいう優しい感じだった、という印象が強いですね。 

  

マイケル・ジャクソン、ソロとしての初来日ツアー、同行されました、キョードー東京 小屋敷明さんのお話を元に構成しました。
人気の絶頂期の来日でしたね……

実は、このBADワールドツアーが、マイケルにとっては生涯初のソロツアーだったんですね。
その始まりが、ここ日本だったわけです。