今週は、サッカー、もうひとつのワールドカップ。
南アフリカで開催された、知的障害を持つ選手による世界大会。
ここに出場した日本代表の挑戦物語。
もうひとつのワールドカップ、INAS-FID。 知的障害者サッカー世界選手権大会。
そもそもどんな大会なのか、日本知的障がい者サッカー連盟の斎藤紘一さんに伺いました。
1994年に第一回大会がオランダでありました。日韓のワールドカップのときに初めて同時開催、同じ場所で同じ年にやる大会としてちょっと変化をしまして、2002年、2006年、2010年……日本、ドイツ、南アフリカという形で世界各国の知的障害者のナショナルチームが参加する大会になります。
この大会の日本代表、監督を務めたのは、小澤通晴さん。
最初に赴任した養護学校で知的障害をもつ子どもたちにサッカーを教え始めてから、19年。
現在も東京都立武蔵台特別支援学校で働く先生です。
今年の春。 日本代表は資金不足でもうひとつのワールドカップへの参加があやぶまれていました。
さらに、合宿のスケジュールは……
みんな社会人で、仕事はなかなか休めない状況なので、土曜日曜の1泊2日で月1回のペースでやる合宿になりました。4月5月6月7月、それから8月の直前の成田で南アフリカに向かった、ということになります。
サッカー日本代表Samurai Blueが熱い戦いを繰り広げた南アフリカの地に、8月、選手団が降り立ちました。
グループリーグ初戦は、8月28日、対戦相手は前回王者のサウジアラビア。
この試合に0−4で敗れた日本。
決勝トーナメント進出は、2戦目のフランス戦の結果次第となります。
フランスも前回ベスト8に入っているチームなので、そことの戦いが本当の大事な一戦になるなと。フル代表で言うデンマーク戦ですね。それがフランス戦になるなと思ってました。
8月下旬から9月にかけて南アフリカで開催された、知的障害を持つ選手によるサッカーの世界大会、もうひとつのワールドカップ。
日本は、グループリーグ突破がかかるフランス戦、先制を許してしまいます。
しかし、ここで、ミッドフィールダー、野澤雄太選手の強烈ミドルが決まります。
残念ながら、フランスに勝ち越しを許し、2-5で終了。
強豪相手にあまりにもくやしい敗戦でした。
もうひとつのワールドカップ。 日本は、9位から11位決定リーグにまわり、最終戦、韓国をやぶって、10位。
日本知的障がい者サッカー連盟の斎藤紘一さんは、大会をこう振り返ります。
最初に5月に関わったときには、「とにかく南アフリカに行く」ということだったんですけど、今、実際に行ってみて、世界とは差はまだあるけれども、世界に通用するチーム作りをするのは、現場スタッフも事務方も一体になってやっていかないといけないなと。
だから、知的障害者サッカーというものが、全国いろんなところで知的障害を持つ人ができる環境づくりももちろんやっていきたいんですが、やっぱりこのチームが もうひとつのワールドカップでどんどん勝ち上がっていくというのは、わくわくする夢というか、そういう捉え方をしていますね。
小澤通晴監督は、大会後、選手にこんな話をしました。
ひとつは、やはり世界の知的障害を持った人たちのトップは、健常の人たちのレベル、プロでやっていると。
我々は今までは特別支援学校の卒業生がプロでやる、というのを考えたことはあまりなかったんですが、世界ではこれが夢ではなく、現実としてあると。
君たちもプロを目指せる! そういう環境にあるし、そういう選手が出てこなければ世界に勝つことができない……という話をしましたね。
南アフリカのサッカー場……そこにはもうひとつのニッポンコールが鳴り響いていました。
そして、その声は、2014年、ブラジルへとつながります。
最後に、日本代表の10番、野澤雄太選手に聞きました。
情熱の源はどこに?
サッカーが好きというのと、やっぱり世界大会で……
世界大会でいい成績を出すというのが目標なんで、それに向けて頑張ってます。
9月下旬の金曜夜。大会を終えて帰国したばかりの野澤選手は早くも練習再開。仲間と汗を流していました。