今週は、六本木の国立新美術館で開催中。 『ゴッホ展 VanGOGH The Adventure of becoming an artist』のHidden Story。
『没後120年ゴッホ展こうして私はゴッホになった』
連日、多くの人が詰めかける、人気の展覧会です。
開催への道のり、最初の種がまかれたのは、4年も前。 2006年のことでした。
今回のゴッホ展は、実は2005年に、やはりウチでゴッホ展をやりまして、その2005年のゴッホ展のお礼というのかな、ゴッホ美術館とクレラー・ミューラー美術館にお礼に行った。 そのときに「またやりましょう」となって、それがきっかけなんですよね。
お話をうかがったのは、これまで1976年、85年、そして2005年と3度のゴッホ展を主催してきた東京新聞。 その文化事業部の垣尾良平さんです。
今回に関しては、「やりましょう」という合意ができていたこともあって、割合すんなり進むわけですね。
ただ、あとは、借用料の問題であるとか、コンセプトをどうひくかとか……準備を始めた2006年は、2005年に開催した直後ですから、同じゴッホ展、同じようなテーマで同じような作品で同じところからくる……それはいかがなものかということになりますから。 「どういうコンセプトをひいて、別のゴッホを見せられるか?」ということがその後の議論の中心となるわけです。
「以前と同じようなゴッホ展をやるわけにはいかない」。
新しいコンセプトが必要でした。
今回は、オランダ側から、ゴッホ美術館の学芸課長のシュラールファンフーフテンという人物が、今回は自分がコンセプトを作りたいと言ってくれて、そして彼から出て来たのが『ゴッホがゴッホになるまで』The Adventure Of Becoming An Artist。 これが彼が書いた原稿のタイトルを含めたものなんですね。 ですから今回は、ゴッホがオランダの割合暗めの作品からフランスへ出て行って明るい色になって、印象派とかいろんな作家に影響を受けて、我々がイメージするゴッホの絵を描くまでの技術的な変遷をテーマにしようとなったわけですね。
したがって、2005年の時と作品の借用先は同じですが、1点を除いて作品は全部違います。
六本木、国立新美術館で開催中の『ゴッホ展』。
その準備期間、コンセプトが決まったあとに行われたのは、作品の選定です。
<ゴッホがゴッホになるまで>という内容に沿った作品はどれなのか?
そしてそれは日本に持ってくることができるのか?交渉が始まりました。
貴重な作品の数々。 なかには、所蔵されている美術館の門をいっさい出ないものもあります。
ひとつ言いますと、アーモンドの木っていう作品があって、ゴッホ美術館にあるんですね。
それは、フィンセントがテオの息子、唯一の息子、その名前がフィンセントというんですが、その子が生まれたときにお祝いに描いた絵なんですね。これは……なかなか出ません。 だから当然、「この絵が欲しい」「この絵はダメだ」という押し合いはあります。
それはどんな展覧会でもありますけどね。
開催まで1年を切ったころ、『アルルの寝室』、『種まく人』、『灰色のフェルト帽の自画像』、『アイリス』など、およそ120点のラインナップが決定。
10数ページに渡る契約書が交わされました。
今年9月、ゴッホの作品が何便かに分けて空輸され、日本へ。
一般の方はあまりご存じないですけど、オランダからゴッホの作品を空輸して来ますよね。
物量的にはそんなに大した量じゃない。 乗せようと思ったら飛行機1機に載らないわけじゃない。
でも、いろんなリスクを考えて、何便かに分けます。日本は安全な国だと言われていて、僕は安全だと思っていますけど、絵が普通のトラックに乗って普通の道を走ってるわけですよね。
それも、オランダからすると「絵が載っていると分からないような措置ができんか」という話になったりとか。
ゴッホ展を主催する、東京新聞文化事業部の垣尾良平さんに最後に伺いました。
展覧会を成功させる秘訣とは?
展覧会というのは、いろんなスタッフが一体となって動くんですね。
そういうチームワークのなかでいい展覧会はできるわけで、いかに、すべての人が同じ方向を向いているかというのが展覧会を成功させる鍵になるわけで……
見に来るお客さんにとってもなんだか気持ちが良くて「ああ、良かったね」と、そういうのって雰囲気で分かりますからね。 それが成功の鍵だと思ってますけどね。