今週は、世界で活躍したテニス・プレーヤー、杉山愛さんのHidden Story。
世界ランキング、シングルス8位、ダブルスは1位。 これは、杉山愛さんがそのキャリアのなかで記録した最高ランキングです。 まさに世界を舞台に戦った杉山愛選手。
最初にテニスをしたのは4歳。スクールに通い始めたのは5歳。 そして、テニスの遠征で初めて海外へ行ったのは、14歳のときでした。
とにかく遠征が楽しくて楽しくて、海外の選手、外国人選手と試合ができるのも楽しかったんですけど、それ以外に、日本のチームで一緒に行っても、私は日本人のチームと一緒には居ずに、海外の選手と練習したり食事したりトランプをしたり、海外の選手と交流があったので、それがのちにプロになっても、英語の面とか人に馴染むとか、そういうところにすごく活きていったんじゃないかと思いますね。
だから、海外に行っても日本に帰りたくなかったですね。 ホームシックには一切ならなかったです。
92年、17歳でプロに転向。
今度は プロとして世界を巡る日々が始まりました。
ジュニアのときとは、ただ楽しかった海外遠征。
でも、プロでは空気が違っていました。ランキングを上げるため、そこで繰り広げられていたのは、まさに真剣勝負。
「とまどい」は隠せませんでした。
みんな真剣で、目を三角にして戦っていたので、「ジュニアのときとは全く雰囲気が違うな」というのは感じましたね。
やはり、まずは自分が入りたてのころは、自分自身が知られていないですし、あまり選手を知らないということで、自分の居場所が見つからないというか、「ここは居心地がよくないな」と思っていたのがツアーを回り始めて1、2年のころなんですが……言葉も、もちろんそうですし、その生活に慣れるということもそうですが、ツアーの時間。 例えばその土地土地に行ったら、試合会場とホテルを往復するだけでなく、その土地の美味しいものを食べに行ったり、観光したり、テニスをしている時間も一日のうち何時間って限られていますからね。
それ以外の時間を楽しもうと。
それが楽しめるようになって、ツアーが楽しくなって、自分の居場所が見つかりました。
そして、2000年。
杉山愛選手は、輝かしい成績を上げることになります。
全米オープンダブルスで優勝!
グランドスラムで初のタイトルを獲得しました。
しかしこのとき、まぶしい成果の影で、大きな壁が迫っていたのです。
2000年の夏の終わり、テニス全米オープンダブルスで初めて優勝した杉山愛選手。
実はこの年の初頭、全豪オープンのシングルスでは、ベスト8入り。
周囲からは、実り多き一年を送っているように見えました。 しかし……
自分にとってはですね、全豪のあと、夏くらいには今までのなかで一番のスランプと言いますか、本当にテニスを見失い、自分のテニスを見失い、自分自身も見失い、今までの17年のキャリアのなかで一番辛い時期を過ごしていたので。 ダブルスの好成績の下に隠れていたので、メディアには表れなかったと思うんですが、2000年の終わりは、「もうやめたい」と思うくらい、追いつめられていた時期もありました。
「もう、やめたい」
そこまで追いつめられたとき、杉山選手がコーチを頼むことをしたのは、いちばん身近にいる、その人でした。
そのときですね、2000年の、自分がどこに行っていいか分からなくなったのが、2000年の夏ごろなんですけど、夏過ぎですね、母にコーチを頼むことを決めました。
「ママ、私いま頑張ろうと思っても見えないんだけど、ママには見える?」って聞いたら「見えるわよ」って言ってくれて、「見えるんだったら、母に頼むしかない」と思って母にコーチを頼んだんですね。
ま、本当におかしな話ですけど、ぐちゃぐちゃになっていた当時の私は、打ち方が分からなくなってしまっていて、「あれ?フォアってどうやって打つの?」「バックってどうやって打つの?」と基本的なところから分からなくなっていたので、手出しですね、ボールをポンと出してもらって、動きを確認してフォームを作る、という作業から始まったので。
フィーリングで打つのではなく、しっかり形を確認して打つ。
母との2人3脚で、調子は徐々に回復していきます。
2003年、アメリカアリゾナ州のスコッツデールで行われたステート・ファーム・クラシックで、シングル、ダブルスともに優勝。
杉山愛選手は、この2003年を「最高の年だった」と振り返ります。
壁を越えた先にこそあった、ビッグ・スマイルだったのです。
去年、2009年に引退した杉山愛さん。
最後に伺いました。
「世界で戦うときに大切にしていたのは どんなことですか?」
「どんなところに行っても、その場その場をどれだけホームに感じられるか」というか、私の好きな言葉に『遊戯三昧』という言葉がありまして、遊ぶ、たわむれる、ざんまいと書くんですが、これは「楽しいことをする」という意味ではなくて、「することを楽しむ」という意味だったんですけど、やはり、どれだけテニスが好きでも、大きな目標に向かうと苦しいときもあれば大変なハードルがいくつも出てくると思うんですが、そのときに「ああ大変だな、いやだな」と思うのと、「ここどうやったら楽しめるかな」と思うのではまったくアプローチが違って、意外に大変だと思っていたことが楽しんだことで乗り越えられたりしたので、これは常に自分のなかで思っていて、忘れてはいけないキーワードでしたね。
「ハードルはいくつもある」でも、することを楽しむ。 どんな状況でも楽しむ。
彼女の笑顔がまぶしい理由が少し見えたような気がしました。