今週は、英語能力テストTOEICで満点を25回達成した、菊池健彦さん。
菊地さん、実は、34歳でそれまでの仕事をやめ、そのあと独自の方法で英語を学びました。
ご本人いわく「ひきこもり留学」。
その努力の道をたどります。
菊池健彦さんは、青森県出身。
大学卒業後、洋書の販売会社に入社します。
大阪での勤務を経て、仙台営業所で働く日々が始まりました。
本当に向いてなかったんですね。
うすうすは感じていたし、心ある上司は「考えたほうがいいよ」とは言ってはくれていたんですが、決断力はないし、「ひょっとしたらなんとかなるんじゃないかな」と思いながら、ずるずる10年くらい、まったく業績は上げられないまま、30代半ばくらいになって……このままでは、あまりにも仕事ができなかったんでね、30ちょっと過ぎまではいいけど、40、50は無理だなと思いまして、仕事を辞めました。
34歳、会社を辞めた菊池さん。
その後 最初の1年は、ひとり、仙台のアパートで「全く何もしない」という生活。
無の生活です。 何にもしません、最初の1年は。
唯一思い出せるのは『笑っていいとも』。 日曜日の増刊号じゃなく、生で見たいというのがありまして……ずっと辛いサラリーマン生活だったんで、それが夢だったので、1年間それを満喫しました。
1年後。 新しい扉は、近所の小さな本屋さんにありました。
ある日突然、小さなふるい本屋さんに行って、英語の入門書をパラパラと見て「そういえば、就職してからは人から誉められたことはなかったけど、学生時代、英語やロシア語の論文を読んでいたときは速くて正確だと言われたな」と思い出して、それで将来が拓けるとか、そういうことまでは思わなかったんですが、「『笑っていいとも』一本よりはマシかな」と思って始めたんですね。
時間は存分にありました。
海外の雑誌、例えば『Newsweek』を買って、それを隅から隅まで読む。 多いときは、一日に15時間。
英語と向き合う「ひきこもり留学」がスタートしたのです。
食べること、買い物を含めてね。 寝ること、それ以外は全部、英語でしたね。
日本語は読まなかったし、しゃべるのはゼロ。 たまに両親と電話しましたけど、それだけ。 6年ちょっとくらいかな、お金が完全になくなるまで。
特に痛かったのは、最初のころは「10年いけるな」と思ってたんですね、『Newsweek』一冊読むと3ヶ月もってましたから。 でも、最後のほうになると『Newsweek』と『Time』と『The Economist』と全部読んで、あと単行本をちょこちょこ読んで、というのが1週間のスケジュールになって。そうすると、すごくお金がかかるんですよ。 それで10年もたずに……
仕事をせず、ひとり英語を学ぶ日々。 しかし、ついに貯金が底をつきます。
菊池さんは、周囲に勧められて、TOEIC受験を決意。
それを受けるのにもすごく苦労したんですけどね。 なんでかと言うと、身分証明書がない。
免許証で受けられるんですけど、お金がなくて失効していたので。 身分を証明するものが何にもなかったのですごく苦労しました。 テストを受けるのには苦労したんですが、テスト自体は簡単で、びっくりしました。
あまりにも簡単で。
一回目の受験で970点。
その後、満点990点を実に25回。
今は、英語を教える立場となりました。
そして、菊地さんが強調するのは、学ぶことの喜び。
何歳になっても、どんなことでも出来ます。
お金に関しては、いまだに厳しいですけど、でも、1994年から勉強を始めてからは、生きるのが楽しいですね。 ひきこもってたときも楽しかったです。
ガンジーが残したとされる言葉。
「明日死ぬかのように生きろ。 永遠に生きるかのように学べ」。
30代半ばで仕事を辞めて、無の生活。 そんな菊池さんに力を与えたのは、学ぶことだったのです。
最後にひとつだけ。
仙台でひとり勉強していた日々、両親と話す以外、日本語を話さなかった頃のエピソードを教えていただきました。
心残りだったことがあるそうですが……
近所のスーパーに、6時45分くらいになると、その日のお肉とか野菜が半額とか7割引とかになってね、それを狙い撃ちにして買いに行って……
D「なるほど、スーパーだから、特にしゃべらなくてもいいんですね?
» TOEICスペシャリスト 菊池健彦しゃべりたかったんですけどね。 すごくきれいな……20代後半くらいの人が来て。 こっちは引け目があるじゃないですか、僕だけ奥さん方の中でひとりだけ、汚い格好のおやじが、7割引きものしか買わないからね。 でもあっちから「ありがとうございます」と言われると、心が溶けていってね。 いつか、「ありがとう、また来ます」と言いたかったんだけど、それは言えずに終わってしまいました。