2011/4/22 世界の「絆」事情

今朝は「絆〜あなたのトモダチ、家族、ご近所のストーリー」と題してお送りしていますが、このコーナーでは震災を経験した2カ国をコネクトしてお送りします。

あれから絆は強まりましたか?

ニュージーランド、クライストチャーチ。晝間尚子さん
「より近所との交流が深まりました」

インドネシア、ジャカルタ。規矩田せいじさん
「普段からの強い絆が人々を震災の苦しみから立ち直らせました」

具体的にはどんな活動があったのでしょうか?

ニュージーランド、クライストチャーチ。晝間尚子さん

地震直後に大学生のボランティアグループが結成されて、最大2万人ほどが集まりました。
一輪車とシャベルを持って、液状化がひどい東側のエリアのお年寄りの家などを訪ねて、湧き出てきた泥を毎日片付けてくれました。
また、橋が壊れて2週間ほど孤立してしまっていたので、大丈夫だったエリアの人たちが温かいご飯を炊きだしして、ヘリコプターで一日何往復もして届けていました。

最初の3週間は立ち入り禁止区域内に住んでいて出入りも簡単に出来なかった時に、近所の人が大きいペットボトルに入った水を何本も分けてくれたし、教会では、無料で食事や飲み物を提供していました。
知り合いがいるエリアに顔を出してみたら、そこに住んでいないのに、まるで、友達のように多くの人が話しかけてくれてホっとしました。
クライストチャーチの地震は局地的だったので、被害が大きいエリアと、ほとんど大丈夫だったエリアに分かれます。 なので、大丈夫だった人が被害にあった人に
「うちのシャワーは温水が出ます」「ペットを預かります」「買い出しにいきます」「部屋が開いています」など、積極的に出来ることから協力してくれました。

また、トレードミーというWebサイトで、助けを必要な人と、助けてあげられる人をつなぐサービスを提供していました。

スマトラ沖の地震の起こった当日はどうしていらっしゃいましたか?

インドネシア、ジャカルタ。規矩田せいじさん

2004年12月26日、スマトラ沖のインド洋で起きた地震はM9.1。 大規模な津波が発生し、この津波に襲われた東南アジア、南アジア、アフリカ東部の沿岸部で23万人、震源地に近いインドネシアのアチェ州では13万人が死亡する大災害。
そして、この時、私はタイにいました。
震源地はインドネシアのスマトラ島沖でしたが、震源地からの距離はインドネシアの首都ジャカルタが約2,000キロでバンコクが約1,000キロ。
実はタイの方が近かったのです。

「もともと絆が強かった」というのはどういう事でしょうか?

インドネシアには「ゴトンロヨン(助け合い)」という言葉があります。

集落やコミュニティの合意で奉仕活動に取り組む慣習が由来で、被災地、特にアチェの再生にもその精神は十二分に発揮されたと聞いています。
国も翌2005年4月にアチェに復興再建庁を設立しましたが、事業を進めるにあたってコミュニティの復活を特に重視しました。
同じ集落の人たちにとって、協力し合って生活を立て直すことが、苦しみから立ち直る一番の近道と考えたからです。
復興再建庁は新しい集落の計画作りや建材資材のの選定や、購入費の管理までコミュニティに任せたと言います。
これによって住民の絆はさらに深まったと言います。