今週は、登山を始めてから、たった5年でエベレスト登頂を果たした、川崎久美子さんのHidden Story。
川崎久美子さんは、都内のオフィスに勤務する会社員です。
まずは、最初に登山をすることになったきっかけから伺いました。
もともとスノーボードをやっていたんですけど、それで、バックカントリー・スノーボードといって、山に「自分でスノーボードを背負って、登って、滑る」という遊びがあるんですね。
それに興味があって、でも「スノーボードを背負って山に登るということは、相当体力がいるな」と思って、「じゃあ、普通に、一度、山に登ってみよう」と思って、それで登ったのが初めてですね。
初めての登山は、富士山。
トレーニング無しで、いきなり臨んだ日本最高峰でした。
スノーボードがやりたくて始めた登山でしたが、思わぬ展開が待っていました。
初めて登った海外の山がキリマンジャロだったんですね。
日本の富士山が3,776メートルで、そこから急に6,000メートル近い山に登ることになるので、すごく不安はあったんですが、もう本当に「ガイドさんにお任せ」という形で。私が行ったツアーは14日間のツアーだったんですけど、「ケニア山で、まず高所順応して、そのあと、本番のキリマンジャロ」という形のツアーに参加しました。
もう、それ登れたときは、本当に、富士山では感じることができない体の変化とか、そういったものを、高度を体で感じるんですね。例えば、苦しさだとか、むくみが出たりとか。でも、そういうのを順応していく感じも実感できるんですね。「すごく苦しくて、眠れなくても、順応すれば翌日には動けるようになる」とか。
そういう、体で実感するというのが不思議で、それを乗り越えて登ることができたというのが嬉しかったんですね。
ゆっくり歩け、水を飲め。
体が高度に順応していく、その感覚が、川崎久美子さんを強く刺激したのです。
そして、エベレストへの道が徐々にくっきり見えてきました。
去年の春、川崎さんはエベレストへ登頂することを決意しました。
「エベレストに登るには、その前に、8,000メートルの山を登っていなくちゃいけない。その8,000メートルの山を登るには、6,000メートルの山を登らなきゃならない」ということで、1年間に私の場合は3つ登ったんですね。。
自分自身も6,000メートルとか、毎回、未知の世界なので、その時、その時が挑戦なので、今、振り返れば、エベレスト登れたのは登れたと思うんですけど、その6,000メートルのロブチェ・イーストを登る時は、そこが自分のピークだと思っているし、そんな余裕はないし、初めての6,000メートルを登るというのは、緊張もあるし、どうなんだろう、という。毎回そこがゴールというような。「そこが超えられないとエベレストも見えてこない」ということなので、すごい挑戦でしたね、毎回。
今年(2011年)4月、エベレストへ登るため、出発。
一度、6,000メートル級の山に登り、そのあと、いよいよエベレストのベースキャンプへ。
天候を待って、5月23日、いよいよ、その頂点を目指してのアタックが始まりました。
7,000メートルまでは一度順応で登っているところなので、何となく想像はつくので、「またあそこを通るのかな」とかそういう思いですけど、もうとにかく出発したら、毎日毎日前に進むというだけですね。もう毎日、今日はキャンプ2、今日はキャンプ3まで、そこにたどりつくのが毎日の目標みたいな感じですね。
キャンプ3から酸素を吸い出すんですね、もう、7,000メートル超えたあたりなので、吸いっぱなしです、夜寝るときも。
もう、キャンプ4についた段階で、そこが「自分の限界なんじゃないかな」と思いました。キャンプ4について、「6時間後に出発だ」と言われて、「私は、もう、このまま寝たら起きれないんじゃないかとか……やめてもいいかな」と思いました。ここまで来たことで、「すごいな」と思ったんですね。
まあ、でも、上を目指す。「とりあえず、行けるところまでは行こう」と思いましたね。
5月26日、エベレスト登頂成功。
最初の登山から5年弱。川崎久美子さんは、世界最高峰に立ったのです。
川崎さんが登頂成功のカギとして挙げたのは、山岳ガイドとの出会いでした。
山をやり始めたときに、「いつか、エベレストに登れたらいいな」という、漠然とした想いはあったんですけど、「でも、実際に登れないだろう」と思ってたんですね。
登山の技術も無いし、山岳部でも無いし、これから山岳部に入って技術を磨けるわけでは無いし。でも、そういうガイドさんに出会って、そのガイドさんがエベレストを登らせる登山隊を組んでて、それを知ったときに、「自分にもチャンスがあるんじゃいかな」と思ったんですね。で、そのチャンスというのは10年後とかじゃなくて、やりたいなと思ったときに自分ができたという。
タイミングとは「思い立ったそのとき」である。
情熱が導いた、8,848メートルでした。