2011/11/18 『おべんとうの時間』の制作秘話

今週は、日本全国、さまざまな職業の方の「お弁当」を撮影した本、『おべんとうの時間』の制作秘話。

ページをめくると、そこには、いろんな町のいろんな人のポートレートとお弁当。そして、その人が語る自分の物語があります。
そんな本を作ったのは、写真家の阿部了さんと、文章を担当した奥さま、阿部直美さんです。
そもそも、企画の始まりは……

その前に僕は下手の写真をずっと撮っていて、1989年に身近にいる友達を訪れて写真を撮ったんですけど、部屋の真ん中に友達に立ってもらって、そのあと1999年に10年後も撮ろうと思っていたので、99年にもう一回撮ったんですよ。

そのあたりから、お弁当っていうのは……部屋から次にいくときに、弁当っていう箱のなかで自分のなかでも漠然とあったんですね。
「人とお弁当を並べてみたら面白いかな」ということで、撮り始めたのが2000年ですね。

のちに、飛行機の機内誌で連載されることとなるこの企画ですが、当初は、何の掲載予定もなし。
取材依頼もスムーズにはいきませんでした。

基本的に自分が会いたい人。「こういう職業のこういう人に会いたいな」というのが出発点で、電話帳調べて、突然「お弁当ですか?」という電話を差し上げるんですけど、向こうは、何て言うんですか? 突然かかってきた電話に、しばらく沈黙して「……」、そのあと、一通り説明が終わった後、「え、うちは弁当いらないから」ということもありますし、はじめから「お弁当」って言った段階で「うちは弁当いらないから」というのもありましたし。

北海道の競馬場で看護士 兼馬の体重測定をしている方。
徳島県で遊覧船の船頭をしている方。
佐賀県のトンネルの料金所で勤務している方。
そして、こんな出会いもありました。

この中でひとりだけ僕がナンパした人がいるんですよ。
おにぎりの土屋さん、一番最初に出てる大きいおにぎりの人なんですけど。

たまたま、軽井沢でロケ中に機材をかたしていたら、隣りを見たらこのおじさんと目があったんですよね。
このおじさんは、集乳の、各農家さんからミルクを集めてそれを収める仕事をしているんですけど、たまたま車を洗ってたんですよね。たまたま目があって、「このおじさん、いい顔してるな〜」と思って、「この人、お弁当だったら嬉しいな」と思ってすぐ声かけて。

「すいません、昼間何食べてるんですか?」って聞いてみたら「おにぎりだよ、おにぎり」って。こんなに大きいとは思わなかったです。
ソフトボール大ありますね。いつも朝3時くらいに起きて、自分で握るそうなんですが、365日これらしいですね。
それも面白いですよね。

中には、何度か取材に行かれた場所もあって、最初に訪れたときとは、お弁当がガラッと変わっていることもありました。
栃木県の那須で釣り堀を営む秋元さんの場合……

2回行ってるんですが、釣り堀の方なんですけど、釣れない釣り堀っていう名前で。そういう名前つけるくらいだからユニークな方なんですけど……

初め行ったとき、奥様のお弁当で……あらためて、その後、雑誌で連載することになって、話を聞きたいということでお願いしたら、「今は弁当ではない」と本人は言って、「なんで」って聞いたら奥様が体調をくずされたということで。自分で皿の上にちょこちょこっと朝の食卓にあるものを持って行くということで「弁当と言えんの?」とおっしゃったんですが、ぜひお会いしたい、とお願いして。

奥様のお弁当の思い出話をしながら、自分が作った簡単なお弁当を見せてくれた釣り堀の秋元さん。
写真のなかには、家族の時の流れも写り込んでいるのです。

お弁当は作り手も見えてくるところが、家族ですからね。作っている人を通して家族も見えてくるし、家族っていうのは奥さんだったりお母さんだったり、ご本人が作られているケースもありますけど、そういうのも見えてくるので、「面白いな〜」というか、楽しいですよね。

一言でいえば、弁当イコール家族でしょうね。

お弁当は家族である。
大切な人のことを想って作るお弁当。
食べる頃にはさめていても、ぬくもりはしっかりと残っています。

小さいころ、おばあちゃんとか、おふくろのお弁当とか、結構覚えてて。 嬉しかったこととかありますからね。
なんでこんなにお弁当の国なんですかね?
それぞれの物語がね、やっぱりお弁当とポートレートで出てくるんで、それがみなさんに伝われば、それぞれの物語と重ね合わせていただくと面白いかなと思いますね。

普通の人たちの普通の話ってそれぞれのやっぱり、あるんですよ。
生きるってそういうことだと思うんですよね。

阿部了さんが撮影。 奥様直美さんが文章を担当された本『おべんとうの時間』。
取材には阿部さんのお子さんも一緒に行かれるそうです。

「年賀状を書く相手が毎年少しずつ増えていくのが、とても嬉しい」
あとがきには、直美さんのそんな一文がありました。