2011/12/2 iPodの裏側を見事に鏡のように。磨き職人たちの情熱物語

今週は、新潟県新潟市にある、小林研業。
この会社は、かつて、アップルの携帯型デジタル音楽プレーヤー、iPodの裏側を見事に鏡のように光らせました。
研磨、磨くことにかけては誰にも負けない! 磨き職人たちの情熱物語です。

小林研業が創業したのは、1962年。
社長の小林一夫さんを含め5人で立ち上げた会社でした。
当時、新潟にはおよそ1,700もの「研磨、磨き」にまつわる事業所が存在しました。そこに参入したのが小林研業だったのです。

小林一夫さんは、こう振り返ります。

その時分から簡単なシンプルな仕事はどこでもできるわけですから、とにかくうちは、「他人のできないものをやろう」と、他人が嫌がる仕事をやってきたという記憶がありますけども。

例えばですよ、カレーを食べるとき、よくカレーが器に盛られて、ごはんと別に来ますね。
アラジンの魔法のランプのような。そういうようなものは非常に難しい研磨だったんですね。
そういうのを、かなりやりましたね、ウチは。

そのうち、業界では、こんな言葉が囁かれるようになります。
「困ったら、小林研業に相談しろ」。

さらに、専門の自動研磨機も作り、仕事を拡大。
すべては順調に進んでいるように見えました。

機械を10年強使ったわけですが、あるとき中国の工場を視察させてもらったときに、とにかく頭数が違うんですね。
50人くらいの人間が列をなして研磨しているところを見た時に、「ああ、中国とケンカしても勝てないな」と思って結論を出しまして、それで使える機械なんですけど、1台を残して4台は同業者にくれまして。それでうちは部品関係の研磨に手を出したんですね。

「最大の転換期」と言えるかと思うんですが、とにかく腕を磨こうと。

アップルとの最初の仕事は、iMac。

新潟に以前からアップルの製品を作っている会社があったんですね。
その会社から依頼があったんですが、「作るのはうちで作るけど、研磨をやるところがない。研磨を小林のところでやらないか」と。
「キーボードと画面がありますよね。そこの接続部分」と言えばイメージできますかね? アームで画面が移動するようなものが出ましたよね。そのアームの部分です。

ディレクター:そこを磨いていた?

ええ。なかなか難しいんですよね。シンプルな形状なんですけど「なかなか他所ではできない」ということで。

そして、2001年。いよいよ、iPodが誕生。
新潟の町工場に、その裏側を磨く仕事が舞い込みました。

社長の小林一夫さんに伺いました。
iPodの裏面を磨く際、難しかったのはどんな点だったのでしょうか?

検査が厳しいんですね。
裏の部分で「顔を映した時に歪みが出たもの」なんかは、すべて不良になるわけですから、そういう変形を出さないというのが一番苦労しましたね。

アップル社が「どうして、ここまでこだわるのかな」という部分がありましたね。
例えば、ピアス部分、脇には穴があいたりしているわけですね。 スイッチの部分だったりとか、そういう部分のダレも注意されましたね。角がダレてくるとダメなんですね。 例えば、2ミリくらいの穴があいていた場合、その角が鋭利なものになっていないと製品としてはダメという。
ところが、表面から力を入れて研磨をするので、当然、ダレるんですね。 もう時間をかけるしかないと。 力任せでやると全てダレるよと。

それと「力」っていうのは個々によって違うわけですから、教えるのに苦労するんです。 機械だったら何気圧でとボタンひとつでやってくれますよね。 でも、人の腕力というのは「このくらいで」というのを伝えるのが難しいんです。

小林研業が手がけたiPodの数……およそ4年間で、なんと数百万台。
そこには、こんなHidden Storyも。

アップル社からは、鏡面という依頼はなかったんですよ。最初は。

「800番グレードでいいですよ」と。 「2段階くらい下の仕上がりでいいですよ」という依頼だったんですね。
ところが、我々が、知らず知らずうちに、良いものに仕上げていったということなんですね。
結局、最後は、1,000番グレードが最高だと思うんですが、最後は1,000番グレード、もう鏡ですね。

小林研業の技により、アップルからのリクエストを超えるレベル、鏡のようなiPodの裏面が作られたのです。

磨きのプロ、小林一夫さんに最後にこんな質問。
小林さんの仕事の哲学とは?

寝ておっても目が覚めるときがありますね。納期があるわけですから。
自分はよく考えながらメシを食っておって、思いつくと、メシをやめて工場へ走っていってトライして寝る、ということもありますからね。

自分はうちの若い連中にも言うんですが「いい加減な仕事をやるな」と。
絶対に、自分の納得いくまでやろうということで、こだわってやってますけど。

能率を上げるのはそのあとで良いと。 まず第一は良いものをあげようと。

「能率はあとでいい。とにかく良いものを作ろう」

新潟に町工場をかまえる、磨きのプロ。
受話器の向こうで、その目がキラリと光ったような気がしました。