今朝は、著書『困ってるひと』がベストセラーとなっている、作家の大野更紗さん。
大野さんが困っていることとは?そして、その困難に、どう立ち向かったのか?大野更紗さんの情熱物語です。
大野更紗さんは、1984年、福島県生まれ。
上智大学に進学。大学で課された、「アジアの問題についてフィールドワークをする」というテーマのため、日本に暮らすミャンマー難民の方と会うことになりました。
彼は命からがら日本に亡命してきたような人ですけど、日本に暮らす許可をもらうために何年もかかって……青果市場のようなところで夜中ずっと月曜から土曜まで働いて、日曜は民主化とかアウンサンスーチーさんのことを日本社会に訴えるという活動をしていて、彼の暮らしを見たときに「自分が暮らしている、すぐ隣りの人のことも分からないのに、そんな大きいこと語れるのかな?」という自分への疑問が湧いてきて、それで、まずはせっかく出会ったミャンマー難民の方のことを知りたいと思って、調べ始めるわけですね。
実際、現地に行ったりとか、難民キャンプ、タイには14万人くらいの方がミャンマーから流出しているわけなんですが、そこに行ったりとか……支援とか、研究とか、もっとできるといいなと思って、2008年にそのまま大学院に進学したんですね。
2008年の夏の終わり。大野さんは異変に気づきます。
「疲れてるのかな」くらいにしか最初思わなかったんですけど、体が急に本当に動かなくなったんですね。
まず、布団から自分で起き上がれなくなったのが、最初の「あれ、おかしいな」と思ったきっかけで、どんどんどんどん体じゅうが腫れていって、触られただけで針を刺されたように痛かったりとか、よく分からない、腫れた「しこり」みたいなのが体じゅうにできたりとか。
あと熱ですよね。38度以下に下がらない。どんな薬を飲んでも何をしても、24時間365日、38度以下に下がらないという状態が続いて、本当にいろんな病院に行ったんですけど、どこに行っても、「わからない、わからない」「様子を見よう、様子を見よう」と言われ続けて、それで……そういう医療難民生活を1年間過ごすんですよね。
1年後、ようやく受け入れてくれる病院が見つかりました。
しかし……
「ああ、やっと入院できた」と思ったら、そこからが大変なことの始まりで……
すごい検査の嵐ですとか、麻酔なしで筋肉を切られたりとか、本当にいろんな体験をして、結果的に、なんとかして、診断名を付けて……診断名を付けてからもまた大変なことが始まって。なんていうのかな、私もこうやって発病するまでは、日本は先進国で、世にもまれなる難病を発病したとなれば、それなりの保護を受けられたりとか、それなりの社会保障制度が存在しているのではないかと思っていたのですが、あの、実は全然それがないということがわかり、制度の谷間におちいるという体験を本当にするわけですよね。
難病を発症していると診断された、大野更紗さん。
ご自身の言葉を借りると、「次から次に難がふりかかってくる状況」。
前例のない道を、病いを抱えながら歩くことになりました。
難病を発症するまで、そしてその後の日々を記した『困ってるひと』。
大野さんがこの本に込めたのは、どんな想いだったのか……
教えていただきました。
「日本の医療の現場っていうのが、こういう限界にあるのか」ということも驚いたし、「社会保障というのが、これほどボロボロなのか」というのにも驚いたし、それから「制度とかっていうのが、すごく使い勝手が悪いんだな」というのも驚いたし……
私の場合、診断つくまでに1年ちょっとかかっているんですけど、これは、そんなに長いほうじゃないんですね。中には10年20年30年かかる方もいらっしゃるんですね。適切な診断がつくまでに。それが医療の現状だし……それが現実なんですよね。
それを「こんなひどいことが起きているぞ!」とか、「どうしてくれる!」みたいに、恨み節を書くこともできたかもしれないんですけど、そうじゃなくて、「日本社会のものすごくディープな、望んでも見ることができない、日本社会のマリアナ海溝行きのダイビングチケットを引いた」という風に考えて、私だってつらくって、病院のなかではメソメソ泣いていましたけど、本当に絶望して、たった一人になったときに、やっぱり、「ふと、そこで自分を一歩引いて見た」というか……難民の方を、フィールドワーカーのときに、難民という人たちと関わって来て、本当に困っている人達と付き合ってきて、自分が実際困っている人になって、そのときの自分が残っていたんですよね。自分で自分をフィールドワークしてみた、というか、闘病記というか、どっちかというと冒険記に近いのかもしれないですね。こういう特殊なことを経験して、これを世の中にシェアしたいなと。「シェアするときは面白くなきゃいけんだろ」という(笑
自分の体験を社会とシェアしたいのなら、それは、楽しく読めるものでなければならない。
必死で書いた文章が、人々を惹きつけました。
本当に困ったときって、劇的な状況におかれているときって、こう……私も悩んだんですよ。悩んで絶望しているときって、どんどん社会的に追いつめられていくんですね。
どんどんどんどんおちていくんですね。
社会的にも経済的にも状況が悪化していくんですね、悩んでいるときって。そこでぱっと「困った」ということにして、
具体的に何が必要かを考える。
できることあるんだろうか?できることを調べる。
とにかく、目の前に起きている状況に具体的に実践的にどう対応するかを考える。
というふうに切り替わるんですけど……以前、ある人に言われたんですけど、「困るという表現は非常にいい」と。「悩む」というのは、自分ひとりの個人的な問題になってしまう。でも、「困る」というとオープンになるんです。社会に対して提示することになるわけです。こういうことがありまして、と。悩むとか憂うとかはポエムなんで、すぐできるんです。
だけど、「具体的に対処を考えよう」となると、みんな何かしなくちゃいけなくなるんで大変なんですけど、それこそが不条理に陥ったひとたちに対する具体的な対処そのものですよね。
だから、「困る」って、言っていいんじゃないかと。
「悩む」というのは、個人的なこと。
対して、「困る」というのは、社会へのメッセージ。
「みんな、もっと、「困っている」と 言っていいんじゃないですか」
大野更紗さんの言葉が、様々な状況で困っている人に力を届けています。