2012/3/23 立教新座中学・高校の校長。渡辺憲司さんのHidden Story

今週は、立教新座中学、高校の校長、渡辺憲司さんのHidden Story。

去年のちょうど今頃、ひとりの校長先生がウェブサイトで発したメッセージに数10万の人がアクセスしました。埼玉県新座市にある男子校、立教新座中学、高校の校長、渡辺憲司さんが記した「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」という文章。印象的なのは、「時に海を見よ」というフレーズです。

「無理すんなよ」という想いがあるんですよ。
職場でも長いでしょ。60いくつまで。あんまり走るなと、ちょっと立ち止まれと。そういう想いがあったですね。

で、大学っていうところは人生のなかで、束縛されない自由がありますよね。そういう想いが「時に海を見よ」という。大学の友達であれば帰って来て「海を見て来たんだ」というと「おう」と分かり合える。就職したら言えないからね、「どうしたんだ、会社こないで、仕事こないでどこ行ったんだ」「海見てきました」って言えないからね。大学だけだからね、「今日海見たくてよ」「おお」いいじゃない、そんな時って無いって。最高の時間だよ、その時間は。

そういう時間を大事にしてほしいと思った。

「時に海を見よ」という言葉。
津波の被害があまりにも大きかったこともあり、メッセージに使うのには、「ためらい」もありました。

「もう、やめよう」とも思ったね。

それは「海なんか見れない」っていうことがあったよね。
「時に」っていうのは、「たまに」っていう意味なんだけどーそれによって、海と別れられないでしょ。別れられない訳ですよ。そういうものじゃないですよね、自然というのは。常にある、我々が死んでもある。人間が絶対に離れられないものなんです。ーだから「海を見なさい」というのは言わざるを得ないとは思いました。

昨年、卒業式を中止した高校生への言葉。
最後はこんな風にしめられています。

「いかに悲しみの 涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ、大海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。
一途な男になれ。男たちよ。船出の時が来たのだ。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は 真っ白の帆を上げる時なのだ」

» 卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校

長きにわたり、教育の現場に立ち続けてきた渡辺先生。
生徒たちには、弱い立場の人に対する姿勢を教えてきました。

上級生に「はいはい」言うでしょ、よく。先生にも「はいはい!」とか。

あんなのは礼儀じゃないですよ。下級生に、下級生が何かをやったときに、下級生に丁寧な言葉を使ってちゃんと何かを説明できるとか、それが礼儀なんですよ。上からの目線に「へいこら」言うのは礼儀じゃないんですよ。
弱い人に対してちゃんと向かうっていうか、ちゃんと礼儀を……ちゃんとやさしくしてるかとかね、めし食ったあと、食堂の皿はちゃんと洗って返さなきゃ。それが礼儀だよ。

昨年はできなかった卒業式。今年は、先週、行われました。
その前日の取材で、渡辺先生は、「あっぱれ」という言葉を式辞に使うつもりだと教えてくれました。

あっぱれというのは、これはね、語源は「あはれ」なんだよ。

あはれ、これが促音便化してあっぱれなんだよ。つまり、あはれを感じてる奴をあっぱれと言うんだよ。
相手の気持ちになって情思を感じる、あはれを感じる。その強い男に対してあっぱれと言うんだよ。

» 学校長あいさつ(高等学校卒業式式辞) | 立教新座中学校・高等学校

2012年3月14日、立教新座高校、卒業式。
渡辺憲司校長は、贈る言葉に「ムラサキケマン」という花の話を織り込みました。
ムラサキケマンの花言葉は、「あなたの助けになる」。
一本では弱いけれど、仲間がいるとすぐに立ち上がる花なんだそうです。