2012/12/14 クリストファー・カレルさんが明かすHidden Story

今月は、音楽のHidden Story月間。
今週は、リリースから25周年!マイケル・ジャクソンのアルバム『BAD』の制作に参加したミュージシャン、クリストファー・カレルさんが明かすHidden Story。

マイケル・ジャクソンが1982年の終わりにリリースしたアルバム『スリラー』は、空前の大ヒットを記録。
世界中にその音楽とビデオクリップが溢れました。

クリストファー・カレルさんとマイケルが出会ったのは『スリラー』の次のアルバムへ、マイケルが動きだしたころ。1本の電話がきっかけでした。

僕は当時、サンフランシスコで映画の音楽を作る作曲家と仕事をしていたんだ。シンクラビアという高度なシンセサイザーを使って作業していたんだけど、そのスタジオに滞在中、友達が買い物に出かけているときに、電話が鳴ったんだ。
だから、僕が電話をとった。そしたら、それがマイケル・ジャクソンからだったんだよ!

カレルさんの友人、ダニー・エイガーさんにかかってきたマイケルからの電話の内容は「ロサンゼルスでサウンドづくりに協力してほしい」というものでした。
友人の答えは、「自分のスタジオを離れたくないから、断る」。

その後、僕はロスに戻った。別の友達がシンクラビアの会社をやってるんだけど、彼はときどきマイケルのところでサウンドづくりをするんだ、と言っていたんだ。
でも彼はシンクラビアの社員だからいつもマイケルのところに行けない。それで、「僕だったらいつも行けるよ」とマイケルのオフィスに提案してみたらどうだろう、と話したんだ。
2週間後、電話があった。マイケルがシンクラビアを教えて欲しいと言っている、と言われたよ。

シンクラビアという、キーボードとコンピューターが一体となったシンセサイザーを使っていたクリストファー・カレルさん。
数日後、マイケル・ジャクソンのもとを訪ねました。

マイケルの家には、別の建物にスタジオがあったんだけど、なんとマイケルは、そこのバスルームにマイクをセットしたんだ。そこの響きがいい、って言うんだよね。
何をやっていたかというと、マイケルはそこですべてのパートを声で歌うんだ。ドラム、ベース、キーボードすべてね。彼はデモテープの作り方をそれしか知らなかったんで、そうやっていたんだ。で、マイケルは、「シンクラビアを使えたら、シンクラビアでデモテープが作れるんじゃないか」ということで、僕が呼ばれたわけだね。

この日から、4年間。クリストファー・カレルさんはマイケルとともに音楽づくりを続けることになります。

『マイケルのサウンドで、グルーブを作るのにとても重要なのは、ハンドクラップなんだ。

手をたたいたときの特殊なサウンド、感覚がビートを作り出す、ということで、ハンドクラップには、相当こだわっていたよ。いいハンドクラップを探して、あらゆるドラムマシーンを試したんだ。でも、マイケルは、自分がバスルームでやったハンドクラップ、それをシンクラビアで録音したのが、最高だって言うんだよね。『BAD』もそうだし、『Smooth Criminal』もそうだし、曲のなかでハンドクラップが聞こえるのは 全部それだよ。

マイケルは、カレルさんとともに、半年以上にわたり、デモテープづくり。
その後、プロデューサー、クインシー・ジョーンズとともにウエストレイク・スタジオに入ります。
でも、しばらくは、カレルさんのシンクラビアを使った作業だけが続いたのです。

ウエストレイク・スタジオにはクインシー・ジョーンズがいたんだけど、6カ月間はスタジオミュージシャンがいっさい参加せずにレコーディングを行っていたんだ。
マイケルが録音するときは、ロサンゼルスの腕利きのミュージシャンが呼ばれるのに、誰も呼ばれない。いったい何が起こっているんだ?とみんな首をかしげていたそうだよ。

アルバム『BAD』の発売から25年。
マイケルとの作業についてカレルさんは、こう振り返ります。

すぐ気づいたのは、マイケルは自分が何がほしいのか、どんな音がほしいのかクリアに分かっていた、ということだ。

僕は、それを言わば、音楽に通訳した、という感じかな。
彼は、「これができてこれもできる、だったらこれもできる?」と聞いてくる。
僕は答えた、「できる、やろう!」。いつもそんな感じだったね。

シンクラビアの前に並んで座り、作ったデモテープはおよそ50曲。
クリストファー・カレルさんは、まるで昨日のことのようにそして、懐かしい友を思い出すような目で、マイケルと過ごした日々を話してくれました。