阪神淡路大震災から18年という区切りの日を迎えました。
そして一昨年の3月11日から1年10カ月が過ぎました。
大きな地震があったあの国では、備えはなされているのでしょうか?
今日も2カ国をコネクト。
インドネシア、ジャカルタ。規矩田せいじさん
「あまりないです」
北スマトラのアチェ沖で発生したM9の大地震と、それによって発生した大津波で22万人が犠牲になりました。
これを教訓に、アチェでは、津波博物館が作られたり、遠くの海や川から津波によって内陸まで運ばれてきた船がそのまま保存されていたり、当時到達した津波の高さを示すポールが市内85カ所に設置されたり、人々が過去の事実を忘れず、防災に対する意識を持ち続けるような取り組みがなされています。
また、津波が来た時の警告発信塔や避難ビルなどが整備されていました。
人々の意識という意味においても、当時は、津波に対する知識がなく、津波の前ぶれである海が沖まで引いたのを見に行ったりする人もいて、このことが犠牲者の拡大に繋がりました。
今では、地震を感じると、あの時のことが蘇り、すぐに山に向かって逃げる、などの行動を取るようになったようです。
首都ジャカルタを含む、アチェ以外での、都市の耐震化や人々の防災意識は、まだまだ低いようです。
ジャカルタでは私の知る限り、2年に1回くらい身体に感じる震度3程度の地震があるのですが、人々は皆パニックになってオフィスビルから飛び出します。インドネシアでは建物の耐震・免震対策が充分に取られていないために、「建物の中にいる方が危険」という意識が人々の中にあるようで、このあたりは日本と違うところです。
また、人々が刹那的な生き方をしているということも、意識としての防災対策が進まない理由のひとつではないか、と私は思います。
都市部のビルを除いて、インドネシアのほとんどの家は、単にレンガを積み上げセメントで固めただけの質素なものです。鉄筋を入れろ、耐震構造にしろ、というのは簡単なことですが、先立つものがありません。
日本にいるとイメージできないかもしれませんが、インドネシアでは「明日死ぬかもしれない。だったら今日1日をがんばって生きよう」と考えて生きている人がほとんどで「いつ来るか分からない災害に備える」というところまで行っていないのです。
将来のことを考える精神的・経済的余裕のある人はほんのひと握りです。
ペルー、リマ。齋藤咲貴さん
「一般に浸透している感じではありません」
ペルー国内では過去に大きな地震が何度もありましたし、昨年1年間でリマ市内だけでも大小あわせて50回以上、揺れているんです。
ただ、市民の中で地震対策が浸透しているかというと別問題で、残念ながらあまりみなさん地震に備えて何かするという事はあまりない様子です。
国全体で防災訓練(Simulacro Nacional de Sismo)というのものが、昨年、数回あったのですが、基本的にはモールやスーパー、映画館などの人が集まる公共施設で防災訓練として避難訓練などをしていました。
ただ、悲しいことに、ポスターなど貼っておいたのがいけなかったのか「その時間は訓練させられるから面倒くさい」とあえてその時間帯を避けて外出する人も少なくなかったのも事実です。
リマ市内の各区役所でも防災訓練を実地していたのですが、こちらはオフィスビルだけでなく、各マンションにも回ったりで積極的に動いていた感じがあります。
私の住んでいるスルコ区では、去年防災リュックを各家庭に配っていました。そのリュックの中には区で作成する雑誌のスペシャルエディションで「地震」をテーマに、今までのペルーの地震を振り返ったり、防災リュックに何をつめるべきかというアドバイスや、他にも、防災リュックとは別にサバイバルボックス(Caja de supervivencia)という地震があった際、避難した後に戻ってこれるようリュックには重くて入れられないものなどを入れる箱を用意したほうがいい……など「何かがあったとき」に備えた情報を集めた雑誌が中に入っていて感心していたんですね。
ただ、これは各区役所レベルで動いているので、他の区でやっていたかどうかわかりません。別な区に住んでいる私の友人にも聞いてみたのですが、家まで防災訓練をしに来た記憶も無いし、防災リュックはもらっていないとのことでした。