今週は、若き津軽三味線奏者、浅野祥さんのHidden Story。
» 浅野祥 オフィシャルブログ
浅野祥さんは、宮城県仙台市出身、22歳。
東日本大震災が発生したときは、上京したばかりの妹の家でサイドボードを組み立てているところでした。
故郷のご家族は無事でしたが、実家は地震の大きな揺れで被害を受けました。
結局、数カ月後、「全壊」という扱いに。
自分の実家が全壊扱いなので取り壊すことになりまして、その時に、「床柱で三味線を作ったらどうか」という案が出ました。
その前から、宮城県の僕のアーティストの仲間とゼロワン・プロジェクトというのをやっていまして、それは、実際に波が来てガレキになってしまった木材から楽器を作って音を届けていこうというプロジェクトなんですね。
初めてその活動のなかで出来た楽器というのが津軽三味線で、そこから和太鼓とか、いまではカホーンとかギターとかベースとか、いろんな楽器が出来ているんですけど、そんな活動を先にやっていて、その後に実家を壊すことになったという流れです。僕の父が、実家を壊すことになったんで、「うちの床柱で三味線作れないかな」という言葉を発しまして、「それいいね」ということで、いろんな方に協力いただいて、作ったという感じなんですよね。
床柱から、三味線を作る。
作業はこんな風に進みました。
機械とかが来て家を壊す前に、親戚が集まって、みんなでのこぎりで切るところから始まりまして、立ったままなので、横にこう切らなきゃいけない。
すごく力がいるということでこみんなで交代しながら切りまして、10人くらい集まったんじゃないですかね。そのなかには、「俺も切りたい」という気持ちの方もいらっしゃったと思うんですけど、隣の家のおじさんがきて、「爽快だから俺にも切らせろ」みたいなそんなノリです、はい(笑)
そして、その三味線について、浅野さんはこんな想いも明かしてくれました。
実は僕に三味線を教えてくれたのが、その家に一緒に住んでいた祖父なんですけど、その祖父はもう10年前に亡くなってしまったんですが、その祖父は三味線は趣味で、普段は大工だったんですね。その祖父が建てた家だったので、というのもあって、すごく思い出深いというか、それから、そんな祖父に初めて三味線を教えてもらったころの楽しかった、楽しくてしょうがかなったというんですかね。そういう初心を取っておけるかなという想いもありましたし。
最新アルバム『パレード』には、この三味線によってレコーディングされた旅立ちをテーマにした曲、『Time To Say Goodbye』も 収録されています。
今回こんなことがあって、もちろん震災のことは忘れちゃいけないと思うんですが、単にいつまでも引きずるということではなく、教訓として今後何十年忘れるべきではないと思っていて、こうなったものからみんなで前を向いていこうというか、そこで前を向いて行く方法として、こんな方法もありますよというのを僕なりにこの三味線に込めたというところもあります。
三味線を始めるきっかけとなったおじいさんとの日々。
思い出のつまる実家の柱で作った三味線とともに、浅野祥さんの音楽の旅は続きます。