2013/2/15 『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』のHidden Story

今週は、アルバム『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』をリリースした矢野顕子さん。
清志郎さんとの出会いから、彼の楽曲への想いまで、じっくり語っていただきました。
» 矢野顕子

矢野顕子さんと忌野清志郎さん。初めて出会ったのは、1980年代の初めのことでした。

『いけないルージュマジック』のころですね。

そのころに、変態よい子大集会という、その当時あった『びっくりハウス』というカルチャーマガジンのイベントがありまして、そのイベントのバンドでやったんですね。そのときに会ったのが最初です。
とにかく彼は言葉少なな人なので、「ああ、矢野です」「ああ、よろしく」その程度だったと思います。なんかちっちゃくて細くて、言葉すくなで、恥ずかしがり屋の男の子、みたいな感じでしたかね。そのときに初めてやったのが『ひとつだけ』です。

矢野さんと清志郎さんが初めて出会ったイベント・ライヴ。
これをきっかけに、ふたりの交流が始まりました。

それから互いのコンサートにゲストで出たり、ちょぼちょぼ交流は続いていて、それからあの頃、ファックスが普及し始めたころで、それでよく、ファックスお手紙交換会みたいなのはやっていましたね。割と一方的ですけど、彼の。「おはよう」だけとかね、あとはほとんど絵が多かったですけど。それで、私のところはそうでもなかったですけど、気を許した者たちは、ファックスの紙を全部使う、相手の紙を全部使わせてしまう方法を編み出しましてね、彼が。それで、延々。その被害にあってる人も多かったようです。

あの、迷惑ったらこの上ないわよね。
今思えば、「あれを取っておけば良かったな」とは思うけど、朝起きると、「またやってるわ」みたいな。

ライヴで競演した夜はいくつもありました。

どれもこれも思い出深いもので……でも、やっぱり、うまくいったときの、ふたりで「本当に良かったね」と、最後は一緒に手をつないでおじぎするわけですけど、そのときの充実感とか、あと、彼がひとりで歌って、わたしが伴奏するときの幸福感。これは格別なものでしたね。

唯一無二っていうの……でも、みなさま、あまり気づいてないかもしれないんですが、彼の素晴らしいところは、すべて言葉が分かるってことですね。彼の歌っているときのね。

彼の言わんとしていることは、彼の歌をよく聞けば分かる訳で、そういうのがわたしはとても気にいっていました。

昨年末。矢野顕子さん、2012年最後のステージでも披露されたのが、アルバム『矢野顕子、忌野清志郎を歌う』に収録された『誇り高く生きよう』。

結果的に彼の最後のアルバムになりましたけれども、彼もそのときには病気をして1回治っての段階でしたが、それはそれはもう、人生に対する考え方は変わっただろうし、体力的にも昔のようにはいかなかったかもしれません。そのなかで、あえて、『誇り高く生きよう』と言える、器の大きさというかね、これがもしかして、辞世の句、じゃないわ、(辞世の)歌、になったとしてもいい。というくらいで作っていると思うのね。

アルバム後半に配置されたのは、『恩赦』、そして『セラピー』。

セラピーという曲もそうですけど、恩赦にしろ、人を許すことの偉大さっていうのかしらね。人を許し、また自分を許すっていうのかしらね。そういう人生の基本が、この『恩赦』のなかにあると思います。

彼の場合、エキセントリックな風貌や特徴ある声とか、ときどき「またそんなこと言って」みたいなね、やりたい放題に見える。そういうのが先にパッと思い浮かんでしまうので、彼がじっくり言いたかったこと、そういうものっていうのは、一般の人たちからすると、意外な面だと思うんですけどね。

清志郎さんの曲をまとめて録音してみて、矢野さんは今、あらためて、こんなことを感じています。

本当に素晴らしい作詞作曲家だなということにつきますね。

彼の場合、人間性とあいまって、職業作曲家としてポンポンと書いているわけじゃないですし、これほとんど全曲おそらく自分のために書いていますから、これは彼の言いたかったことでありますし、それにたくさんの人が共感できる。
そういう曲を書く音楽の力が非常にあったということですね。

エキセントリックで、いたずら好きで、やりたい放題。
でも、その向こう側から聞こえてくるのは、まっすぐな想い。

「忌野清志郎のつくった音楽の力に 耳を傾けてほしい」。
矢野顕子さんはやさしい表情でそう話してくれました。