今週は、今日でちょうどオープンから25年。
渋谷クラブ・クアトロのHidden Story。
渋谷のセンター街をまっすぐ進んだ先。
宇田川町にあるビルの4階と5階で、そのライヴハウスは営業を続けています。
渋谷クラブ・クアトロ。
オープンは、1988年6月28日。
その始まりについて、クラブ・クアトロを手がける、株式会社パルコ、エンタテインメント事業部の佐藤創一さんにうかがいました。
オール・スタンディングで、オープン当初のキャパシティは、500人程度。
その後、改装して、現在はおよそ700人を収容するクアトロ。
当時は、そういうライヴハウスが、特に都心には見当たりませんでした。
ちょうどそのくらいのキャパシティを立脚点にして、それならできるんだけど、他ではできないというアーティストが使い始めてくれた、というのが最初ですね。ブッキングはとにかく、インターナショナル&トレンド、っていうテーマなんで、当時はワールドミュージックとかそういうものが先がけであったと思うんですが、そのあとに来るオルタナティブなムーブメントとか、マンチェスターのムーブメントとか、邦楽でいうと、渋谷系とか、いずれはフジロックさんやサマーソニックさんにつながっていくような、カウンターカルチャー的な、ですけど、メインストリームにものっかっていくようなアーティストを自分たちのなかで反応してセレクトしていくという感覚はありました。
最初の公演をしたのは、Basia。
1988年。渋谷クラブ・クアトロがオープンしたころ。
街の人々の反応は、どんなものだったのでしょうか?
渋谷自体が、新しいムーブメント、タワーレコードができて、のちにHMVもできて、あと各種、アナログを中心にしたレコードショップ。音楽としての街の渋谷が台頭し始めるちょっと前なんですよ。やっぱり街を歩いている方は、クラブクアトロでちょっとお酒を飲んで、これから流行るんじゃないかというアーティストに先行投資して聴いていた、という時代だった。
六本木WAVEとかもそうでしたが、「これから来るんじゃないか」というものにチョイスする時代だったので、クアトロもそういうシーンにはフィットしたと思いますね。
オアシスも、初来日ライヴは、クアトロでした。
オアシス、レディオヘッド、プライマル・スクリーム。
いずれも、クアトロのステージに立ちました。
どの夜にも、バンドがメインストリームへと踊りだす直前の「熱気」が立ちこめました。
そして、はずせないのは、渋谷系。
HMVさんとか、タワーさん、シスコさんもあって、うちがクラブ・クアトロということで、中心になりましたね。うちの小屋で見て印象的だった渋谷系は、フリッパーズ・ギターとか、デビュー直後のオリジナル・ラヴとか、フリッパーズから小沢健二さんとか、スチャダラパーとか。
あの辺のソールドアウトしていく過程を見れたのは、僕らとしても誇りですよね。
渋谷クラブ・クアトロは、オープンから25年。
出演するアーティストのブッキングについて、変化はあったのでしょうか?
これまでに行われた公演は、およそ8,000。
新しい音楽の発見と、普遍的な いい音楽への愛。
東京、渋谷の夜。
幸せな時間が今宵もまた。