2013/10/11 ドラガン・ストイコビッチの言葉

今朝ピックアップするのは、ストイコビッチ!

名古屋グランパスの監督を今シーズン限りで退任することを発表した、ピクシーことストイコビッチさんです。
ご出身は、当時のユーゴスラビアのニシュという街、現在は、セルビアの南部に位置する都市です。
ちなみに、セルビアは、サッカー日本代表が今夜対戦するチームでもあります。

ストイコビッチさん、世界を驚かせたのは、90年イタリアでのワールドカップ。ですかね?
決勝トーナメント1回戦、対戦相手は、スペイン! ピクシーは2得点! 1点目は、入ってきたクロスにそのままボレーか?と見せかけてトラップ、キーパーのタイミングを外してシュート!! さらに、2点目は、壁をまいてのフリーキック!

延長の末、スペインを下して、ベスト8を決めたのが、ストイコビッチのゴールだったんですね!

ちなみに、このときのユーゴスラビア代表を率いていたのはオシム監督でした。
ストイコビッチ選手とオシム監督が喜びを分かち合ったわけです!

で、イタリア・ワールドカップで活躍して、どこまでいくんだこの選手は?と期待されていたストイコビッチ、そしてユーゴスラビア。
ヨーロッパ選手権、ユーロ92の予選でも、グループ1位。
黄金期を築きそうな勢いでした。

しかし、このころ、ユーゴスラビアは民族間での対立が激化、国内が紛争状態となってしまいます。

この状況を受けて、国連はユーゴスラビアに対しての制裁を決定、国際サッカー連盟FIFAは、92年のユーロ出場権を剥奪。
さらに、94年のワールドカップ予選にも出場することができませんでした。
選手として、旬な時期に国際試合から閉め出されてしまったわけです。

そんな中、ひとつのオファーが届きます。
Jリーグ、名古屋グランパス。そして、名古屋で出会ったのが、いまはアーセナルを率いる名将、アーセン・ベンゲル監督。

ベンゲル監督のもと、名古屋は強くなっていきます。
96年元日、天皇杯優勝!
そのころを振り返るピクシーの言葉。


「持っている力を全部出し、才能のすべてを捧げた。
ベンゲルはベンチの監督で、私はピッチ上の監督。いいコンビだったね」


で、その後、ベンゲルさんは、イングランドのアーセナルの監督になるために退任するんですが、そのとき、ピクシーを誘ったそうんなんですよね。
「アーセナルに来ないか?」

ピクシー……断わりました。

「子どもが学校に行き始めたころだったし、家族に負担をかけたくなかった。
日本にいるほうがハッピーだと思ったんだ」

と、後になって明かしています。

それから17年。今年、アーセナルはプレシーズンに来日。
名古屋と親善マッチを行いました。
ベンゲル監督と ストイコビッチ監督の再会。
あたたかくて、いいシーンでした。

今朝は、ピクシーことドラガン・ストイコビッチ監督をピックアップしました。
あの伝説の「革靴シュート」も印象深いピクシー……
Jリーグの試合中にサイドラインに蹴りだされたボールをストイコビッチ監督がボレー!そのままゴ―ルに入った、という……

2008年に名古屋の監督に就任して、今シーズンが6季目。
一番の思い出は、「2010年のリーグ優勝」と語っています。

選手として、監督として、日本のサッカーファンを楽しませてくれたピクシー。
ありがとうございました!