今週は、今年、大人気となったテレビドラマ『あまちゃん』の舞台にもなりました、三陸鉄道の Hidden Story。
岩手県の太平洋沿岸を走る三陸鉄道。
北リアス線は、久慈駅から宮古駅まで。
南リアス線は、釜石駅から盛駅まで、合計 107.6キロメートル、26の駅で運行をしていました。
2011年3月11日、震災が起きました。
そのとき、冨手淳さんは、宮古市にある本社にいました。
「列車がどこに走っているかの確認」でしたね。
連絡は運転手と列車指令と連絡とって、列車がどこに止まったかも確認していますので、列車無線がついていますので、それはすぐ分かりますんで。 とにかく列車を止めたんですよ。 とにかくすごい揺れだったので、こっちのほうは。
トンネルで止まった列車もあります。
北リアス線で1本と南リアス線で1本、走ってました。とにかく位置を確認して、安全な位置だと分かったので「とにかく動くな」という指示でした。
救助が行くまで、そこを動かないように指示をしました。
偶然、1本の列車は、トンネルの中、もう1本は、高台で停車しました。
運行中の列車は津波を逃れる事が出来たのです。
しかし、三陸鉄道の線路は大きなダメージを受けました。
3月13日。被害状況の確認が始まりました。
とにかく津波で流されたところは大きな被害を受けてまして、「当分動かせないな」という状況だったんですけど、北リアス線のほうはトンネルが多いので、津波の被害を受けたところ以外の線路は何ともなかったので、「動かせるところは動かせるな」という判断となりました。
震災から5日後の3月16日。
久慈と陸中野田の間で運行再開。
20日には、宮古から田老まで、29日に 田老からさらに2駅進んで小本までの区間を運転することができましたが……ここから先は、予算の問題もあり、難航しました。
そんな中、あのドラマの話が舞い込んだのです。
すごい反響というか、「オープニングからウチの列車が出てくる」ということで、毎日出ていましたので、かなりPRにはなりましたね。
あとは、あくまであれはドラマの話なので、ところが、「本当にやっているのか」という、ある意味でクレームみたいなのも来ましたね。
一番の勘違いが、喫茶リアス。
「あそこで駅長はいつも酒を飲んでる」ということで、「三陸鉄道はあんなことをやってるのか」という電話が来ましたね。
何件も(笑)
ドラマ「あまちゃん」のなかでは、昼間は喫茶、夜はスナックになるというお店「リアス(梨明日)」が駅にあり、重要な舞台となっています。
でも実際は……
あれのモデルがですね、田野畑駅のところに喫茶コーナーがあるんで、「駅に喫茶店があるのは珍しいね」っていう話とですね、普代の駅に、駅舎の隣りにですね、飲み屋さんがあってですね、スナックがあるんですよ。 それを一緒にした上に、「久慈、北三陸駅の中に、ドンと持ってきた」というシチュエーションなんで、全く何もないところから出てきたものではないので。
ただ、「会社でやってる飲み屋ではないです」というところですかね(笑)
「あまちゃん」では、車内で販売される「うに丼」。
これについては……
うに丼って、出てましたよね、ドラマでは。
もともと、久慈駅で「うに弁当」を売ってたんですよ、うちの会社で。
元々その「うに弁当」も車内で販売したこともある。
それを海女さんがやってる。
という風に、脚色して作ったようなんですよ。ディレクター: 実際には今は車内販売はしていないのですか?
お座敷列車とか、こたつ列車とか、いろんな季節に応じてイベント列車をやるんですけど、その時には車内で、予約制なんですけど、あわび弁当とか、ほたて弁当とかの海鮮弁当を販売してたんですよ。
そしたらば、今回「うに丼」がドラマに出てしまったので、お客さんから「うに丼はないのか?」と問い合わせが殺到しまして……この6月から急遽、「うに丼」を追加したんです。
2013年の冬。
三陸鉄道は、全線運転再開を目指して急ピッチで準備を進めているところです。
震災から今日までのことを、冨手淳さんはこう語ります。
列車が動いていないので、収入が全然少なかったという状況で、実は会社を維持するのが大変だったんです。
本当に、「収入をどうやって得るのか」というのが一番の課題だったんです。復旧費がつくまでは、いろんなところから支援があったんですけど、復旧費がついたとたんに「もう三陸鉄道は大丈夫だ」ということで、支援も格段に落ちたんですけど、そこからが大変でしたね。
とにかく動いてないので、切符の売り上げも大幅に落ちてるし、「復旧するまで、会社をもたせられるかな」というのがありましたね。
そして、来年には復旧するんですけど、これからが大変だと思っています。
沿線がすごい被災をしていて、「まだまだ、復興には達していない」と、いうところと、高台移転とかいう事になると、今のところ仮設住宅も駅から離れたところにあって、地元の利用もかなり減っていて、「再開してからも、まだ厳しい道が続くな」と思っています。
最後に、三陸鉄道で、「立ち上げからこれまで30年に渡って働いている」という冨手さんに伺いました。
仕事の哲学としているのは、どんなことでしょう?
鉄道なもので、安全を一番だと思っています。
「安全を確保して、安定的にお客様に提供する」というのがあるんですけども。あとは、今回の震災のときもですね、地震が起きたとき、どうなるか分からない状況だったんですけど、「とにかく、やるだけやってみよう」というところでしたね。
マイナスという事は、考える必要がない程ひどい状況だったので、「どうなるんだろう? 最悪の場合を考える」という状況じゃなく、もう最悪の状況になっていたので、「とにかく、やるだけやってみよう」ということで、今日までやってきました。
最悪の状況を考える必要がないほど、最悪の事態に陥った。
だから、今できるだけのことを やろうと思った。
熱き鉄道マンの想いを乗せて……
来年の春。 三陸鉄道は、全線で運転を再開します。