アメリカ、メジャーリーグ・ベースボールの昨シーズンのワールド・チャンピオン。 ボストン・レッドソックス。
優勝を決めた瞬間にマウンドにいた上原浩治投手。
一度は引退を考えた上原投手。 その復活劇の舞台裏を担当トレーナーが公開します。
上原浩治投手のパーソナル・トレーナーを務めるのは、内窪信一郎さんです。
内窪さんが上原さんを担当することになったのは、2010年。 実は、その前の年にアメリカに渡った上原投手ですが、最初のシーズンは怪我で棒にふりました。 そこで、トレーナーを交代。 上原さんと内窪さんは、再起をかけて、ボルチモア・オリオールズのキャンプへ 乗り込んだのです。
最初は風当たりが強かったですね。
2009年の上原さんの成績があったんで、最初ヘッドトレーナーに挨拶しに行った時も、まともに挨拶してもらえなかったからですね。 それは非常に辛かったですね。
普通は、「はじめまして、なになにです」と言うと思うんですけど、言っても「はい」で終わったんで。
それじゃそれから会話も進むわけないし。逆境から始まって、すぐオープン戦でまた怪我しちゃって、それでチームが開幕して5月に入ったときにメジャーに合流したんですね。 そこでも、今度は、右ひじがおかしくなって。
最初の、2010年の前半は辛かった思い出しかないですね。
ちょうど上原さんも、その時に「引退」を考えられたと言ってましたけど。
上原さんの表情も忘れられないし。
まさに、逆境。
会話さえ交わせないほど、2人は追いつめられました。
復調のきっかけは、監督交代。
シーズン終盤、上原投手はクローザーとして起用されました。
翌年、テキサス・レンジャーズへ移籍。 レギュラーシーズンでは成績を残しましたが、ポストシーズン、3試合連続で ホームランを打たれます。
一番ひどかったのは、2012年のレンジャーズのキャンプのオープン戦の1試合目でホームランを打たれたんですね。 その時に新聞で書かれたのが、前の年のプレーオフでの3試合連続ホームランから、「4試合連続ホームラン」って書かれたんですね。
これを見た時は、僕もカチンときて「これ、絶対どこかで見返さないといけないな」と思いましたね。
せっかく、こっちは心機一転やろうと思ってるのに。
それが2012年のスタートでしたね。
スタートはつまずきましたが、2012年は好成績で終了。
その冬、名門、ボストン・レッドソックスから 声がかかりました。
栄光の昨シーズンを振り返る前に、内窪信一郎さんの仕事内容を。
ストレッチというか、治療、マッサージをしたり、トレーニングの補助をしたり、「どう、調子を落とさず続けていくか」というのをずっと考えてましたね。
調子は絶対落ちるので、その落ちる幅をなるべく小さくして、それを維持していこうという感じですね。年齢的なものも考えると、連投=続けて投げることだったり、球数だったりとか、プラス、移動が大変なので、体全体のコンディショニングを考えてましたね。
一番簡単なことは、睡眠なんですね。 しっかり睡眠をとることが回復することなので。
あと食事ですよね。 ある程度投げた時には、いいタイミングで食事をとる事と睡眠ですね。
昨年のワールドシリーズは、ボストン・レッドソックスとセントルイス・カージナルスの対戦。
第3戦は「ボストンが守備妨害を取られ敗れる」というまさかの幕切れ。
上原さんも何が起きたのか分かってなかった。 もう負けは負けだし、次切り替えようと。
また一緒のことを始めて――――コンディショニングを維持するためのことですよね。 それは、どんな状況でも、抑えようが、打たれようが、試合後やることは決まってるんですね。 「これとこれをやって、球場をあとにする」っていうことがあるので。軽いストレッチだったりとか、肩回りのストレッチとか、アイシングだったりとか、特に変わったことはやってないんですが、それはずっと続けてますね。
上原さんの1つの能力として「1つのことを続けられる」というのは素晴らしいですね。
なかなか出来ないですね。 一緒のことを、良くても悪くても同じことを続けるというのは。やっぱり活躍できる人、長くできる人というのは、そういうことをしっかりやってるし。
内窪さんは、こんな表現も されました。
「魔法は使っていない」。
そして、これは積み重ねてきたことの成果である。
「本当によくやったな」と思いましたよ。
良かった時のほうが少なかったので。
最初、かなり冷たい対応をされたところから始まったんで。それがあったから僕も頑張れたし、上原さんも頑張ったし、ずっと忘れることはないですね。
何かあったら、そのことを思い出すし、そのとき書いていた治療日記を見ることもあるし。初日からずっと……今日はこういうことをやって、僕の気持ちが入ることもあるし「悔しい」とか……ただ、それが1年後、2年後、すごく 活きてくるので。
「良かった時のほうが少なかった」
でも、だからこそ、想いが喜びとなって弾けたのです
レッドソックス優勝のマウンドにいたのは、背番号19。 Koji Uehara!
最後に伺いました。 38歳、上原投手の今後について。
38歳の体は体です。
ただ、さっき言った、1つのことをやり続ける能力とか、あと一番素晴らしいのは技術が違いますよね。決して体がいいとか、僕が褒められる体ではないと思います。
失礼な言い方ですけど、球が速いわけではないし、でも、それを補うだけのことはやってるし、やり続ける能力があるので、まだまだいけると思います。
人が見ていないところで、ひとつのことをやり続ける。
それは、上原浩治投手のことでもあり、表舞台には登場しないトレーナー、内窪信一郎さんのことでもあるのです。