今週は、サッカー日本代表 Samurai Blue 本田圭佑選手を追い続けるスポーツライター、木崎伸也さんに伺った、Keisuke Honda の Hidden Story。
雑誌『Number』などで数々の記事を担当されているスポーツライターの木崎伸也さん。
ここ数年は、本田圭佑選手を追い続けています。
本田選手の出会いは、2008年の冬でした。
本田選手が2008年の1月に名古屋グランパスからオランダのフェンロに移籍してきたんですね。
当時、僕はドイツに住んでいまして、主にブンデスリーガを取材していたんですけど、最初の出会いから驚かされたのが、試合後に挨拶をしたら「じゃあ、携帯で電話番号を交換しましょう」と言ってきて。 で、「名前は?」と聞かれて、「木崎だ」というと「いやいや下の名前は何ですか?」って携帯に下の名前を登録しまして。
本田選手って試合後に椅子にどかっと座って、そのまわりを記者が取り囲んで30分くらい話してるんですよね。
その話が面白いし、当時から腕時計を2つしてましたし、なにかもう雰囲気もただずまいも面白いので、ついつい片道3時間くらいでしたけど、通っちゃいましたね。
その後、さらに大きな舞台を求めて、本田選手はロシアのチェスカ・モスクワへ移籍。
そこでの活躍が認められ、2010年、ワールドカップ南アフリカ大会では日本代表の中心としてプレーしました。
しかし、取材陣にはほとんど口を開きませんでした。
木崎さんは、ワールドカップのあと、ロシアへ飛びました。
2010年の7月にロシアに行って、チェスカ・モスクワの練習場の外で待っていて、車が出てきたときに声をかけて、そういうのを直撃取材と言いますけど、アポイント取らずに練習場に行って直撃で聞いて。
ディレクター:アポイントは、取ってないということですね?
第1回のときは、インタビューを申し込んだら断られたんですね。
インタビューを断られたけど行った、という感じで。結局、本田選手はなかなか正式なインタビューは受けないので。
練習場とクラブハウスの間に道路が、公道が走っているので、練習場からクラブハウスに戻る間に話しかけるときもありますし、また車で出てくるときに話しかけるっていう感じで、本田選手の車が出てきたらヒッチハイクのように手を上げて止まってもらって、ウインドウが降りて話す、という感じで。
でも毎回止まってくれるわけじゃないし。
ロシアのマイナス20度の気温のなかでずっと外で待って、なかなかタフな取材でしたけど。
編集者も通訳も同行せず、たったひとり。
アポイントをとらずに臨む、いわゆる「直撃取材」。
約束をしていないだけに、取材を受けてもらえないこともありました。
だからもうロシアに1カ月間くらいいたときもありましたし、結局そのときコメントが引き出せなくて、そしたら一番最後に帰るときに本田選手がいきなり車止めて、「俺のコメントなしの原稿楽しみにしてるから」って言って立ち去って行ったってときもありましたね。
その雑誌は結局、本田選手が表紙で本田選手特集号なのに、コメントが「俺のコメントなしの原稿楽しみにしてるよ」しか載ってないっていう苦しい号だったんですけど。
ただ、その原稿読んでくれたみたいで、個人トレーナーの方が本田選手は帯同しているんですけど、その個人トレーナーの方から電話がかかってきて、「本田選手から伝言がある」と。「俺のコメントなしなのに、やるやんけと伝えといてくれ」と言われたと。
もうひとつ、木崎さんの取材秘話。
2011年の冬、本田選手はケガをして、バルセロナでリハビリを行っていました。
どこでリハビリをしているか、報道陣にはいっさい情報がない中、どうやって取材をすることができたのか?
10日間くらい僕もバルセロナに滞在して取材しに行ったんですけども、どこでリハビリしているかも分からないんで、いろんな病院とかトレーニングジムの施設を、ブログに、本田選手のブログに載っていた写真を手がかりに探して。
で、病院で待ってたら本田選手があらわれて会うことができたんですけど。
リハビリ施設があって、そこに入って行って、ふっとのぞいたら本田選手と目があって、「おー」とか言って「なんでいるの」みたいな感じですごく驚いていたのを覚えてますけど。で、握手して、10日間ちょっとずつ取材して、記事にまとめたこともありましたけど。
世界のさまざまな場所で本田選手と取材という形で交流してきた木崎伸也さん。
今年1月、セリエAの名門、ACミランに移籍会見ではこんなシーンがありました。
僕が、「なんでミランを選んだんですか?」と質問をしたんですけど、そしたら、「心のなかのリトル・ホンダがミランにしろと言った」という名言が出ましたけども。
オランダへは片道3時間をかけて通い、雪のモスクワで待ち続け、バルセロナでは写真を手がかりにリハビリ場所をみつけた木崎さん。
彼の質問だからこそ、強く心に残る言葉「リトル・ホンダ」が出てきたのかもしれません。
言葉っていう意味では、その思考力というか、考えて考えて自分の弱点を補ってきた選手なので、そしてそれが最大の武器なので、自然と言葉が出てくるんでしょうね。
自分の仕事で言うと、「ジャーナリストはジャーナリストの仕事をすればいいんだ」と言われたことがあって、それは選手に気をつかいすぎることもなく、自分の意見を書けと。自分の名前で伝えろ、というのは言われたことがありますね。
6年間、本田圭佑選手を追い続けてきたそのスポーツライターはこう言いました。
「考えることが、本田選手の最大の武器である」
日本代表 Samurai Blue、背番号4。
彼はいま、どんな試合を思い描いているのか?
日本の初戦が2日後に迫っています。