今回は今年、日本上陸30周年。ニューヨーク発祥のバッグブランド、LeSportsacの Hidden Story。

多くの方が愛用するレスポートサック。実は、日本で広く知られるようになった道のりには株式会社レスポートサック・ジャパン、代表取締役社長、柏原由佳さんの情熱の日々がありました。まずは、柏原さんとレスポートサックの出会いについて教えていただきました。

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「高校1年のときにアメリカ・ミネソタ州のYMCAにカウンセラーで行ったんです。サマーキャンプで40日くらい、そちらのキャンプで子どもの面倒をみてきたんですけど、そのときにカウンセラーの友達がみんなラルフローレンのポロシャツに レスポートサックのバッグをすごくカラフルに使いこなしていたんです。その当時のバッグって、日本にあったのはだいたい革製品や、黒とか紺とかすごく地味なものしかなかったんですけど、レスポートサックは黄色やパープルにオレンジとか、ものすごくカラフルな元気のある、まるでビタミンCのようなパワフルな色合いで、すごく刺激を受けました。」

その後、大学時代はアメリカへ旅行した際にトランクいっぱいにレスポートサックのバッグを買って帰りました。すると、それを譲ってほしいと言う友人が続出。柏原さんは、本格的に輸入をしたいと考えるようになります。

「ニューヨークにアプローチしたり、そういった形で商品を手に入れようとやっきになっていたんですけど、やっぱり女子大学生がいくらファックスを送ろうと、本国の社長から返事はありませんでした。どうしたら手に入るかなと考えて、その当時、香港にあったレスポートサックのショップの社長さんに連絡をして、『個人輸入をさせてほしい。』ということで、それに応じて商品を送ってもらったんです。そうするとかなりの量が出ますので、そのお店のオーナーの方から『こんなに売られたら、僕たち自分の店で売るものがないよ』と言われてしまって。そんなこともありまして、『ニューヨークの社長を僕から紹介するから。』という、すごくありがたいご紹介があって、ようやく1年後にニューヨークの社長に会うことができたんです。」

レスポートサックの社長に会える。柏原さんは、単身、真冬のニューヨークに降り立ちます。

「その当時の社長は、創業者のメル・シフターの息子のティム・シフターでした。やっぱり最初からショールームには入れてもらえなくて、ホテルのロビーで待ち合わせて、そこで初めて挨拶をさせてもらいました。英語もろくにできませんでしたが、とにかく行かないと、と思って。なかなかハードルは高いものだなと思ったんですけど、毎日毎日、ホテルのロビーで3日間くらい、『日本で私にレスポートサックを販売させてほしい。』という話をしました。当時はプレゼンテーションの資料をきちっと作るということも学んでないですし、経験もなかったものですから、まったくそういうシナリオなしで向かっていったのを覚えています。ただその当時、他の商社さんが一応、商品の権利をお持ちだったんです。でも、実質のところ日本でそんなに販売されていないわけですから、正式な権利をもらえなくても、この商品を私が日本で絶対広めてみせるから試すだけ試してほしいと。ですから、最初は2社で天秤にかけられながら商売を続けたんです。」

柏原由佳さんの、日本での販路開拓。最初はいわゆる、飛び込みでの営業でした。

「基本はひとりで始めましたので、最初は飛び込みで行きました。当時はフィットネスがブームになった最初のころだったんです。フィットネスやエアロビクスのインストラクターの方って、活動的に行動してらっしゃる。そういう方こそ機能的でカラフルなレスポートサックを気に入ってくださるんじゃないかと思って、そういう販路をスタートしました。その次に百貨店さんのフィットネス売り場に展開を始めたんですけど、飛び込みで売り場にサンプルを持っていくんです。当時はタバコのけむりでモクモクっとしていました休憩室に入っていきまして、休憩時間の係長に、その商品の説明をするんです。そのときに『連絡するから』と言われ、私はまだ仕事をしたことがないから、本当に連絡が来ると思って、その日からずーっと電話の前で連絡を待っていて。2ヶ月たっても、3ヶ月たっても連絡が来ないんですよね。」

何とか、当時の西武渋谷店ロフト館に売り場を獲得。レスポートサックの販売が始まりました。

「一番最初にきっかけをいただいたときには、お試しのような形で商品を置かせていただくことができまして、小物が3型とバッグが2型くらいでした。しかも、その商品は各1個しか納品させていただけなかったので、ひとつの商品が売れるともうその商品がなくなるんです。だから、全商品1個ずつダッフルバックにつめて毎日通って、店頭でお客様に売るたびに納品伝票を書いて、地下の納品所に持っていくんです。必ずひとつずつ店頭に商品がある状態を作って、ひとつひとつ売っていったというのが最初でした。」

このあと、さまざまな百貨店での展開がスタート。ショップもオープンしました。こうした状況のなか、ついに本国から正規代理店に指名されたのです。そんな始まりの物語をひもといてくださった株式会社レスポートサック・ジャパン、代表取締役社長の柏原由佳さん。最後に、こんなお話をいただきました。

「何の経験もなかった学生あがりの私がこのビジネスに出会って、仕事をここまでやり続けてこられた。そんなことがきっかけになるようなら、世の中の女性の方たちにぜひ自信を持って、勇気を持って、いろんな志を持ってやっていただきたいなと思います。どんなことでもギブアップするんじゃなくて、解決策を見つけていく。女性が80年代90年代に仕事をするということはとても難しい時代でもありましたし、だからといって30年たった今でも、状況は変わっていますが、育児の問題とか夫婦での役割分担とか、いろんなことで障壁はあると思うんです。でも、いま振り返ってみると、私も10歳の子どもがいますが、ある一定の期間頑張ると、ずっと苦しい時間だけではなくて、必ず次にステージが変わって行く。みなさんそれぞれ大なり小なり同じように感じてらっしゃると思うんですけど、そこは信念とポジティブマインドで解決していく、その一歩一歩が大切なんじゃないかと思っています。」

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ひとりで降り立った、真冬のニューヨーク。飛び込みで営業をした渋谷の百貨店。解決策のヒントは、いつも、ポジティブマインド。カラフルなバッグのなかに詰まっているのは、そんな 明るく前を向く気持ちなのかもしれません。