2016年04月29日
5月2日から5月6日は
写真家 小林廉宜さんをお迎えします。
■プロフィール■
1963年福岡県生まれ。九州造形短期大学 写真学科卒業後、
写真家・三好和義氏に師事し、92年に独立。
「世界の森」「未来に残したい風景」などをテーマに
希少な自然や文化を撮り続け、また、
旅先のエピソードを記したエッセイを手掛けるなど、
幅広く活動されていらっしゃいます。
写真家 小林廉宜さんをお迎えします。
■プロフィール■
1963年福岡県生まれ。九州造形短期大学 写真学科卒業後、
写真家・三好和義氏に師事し、92年に独立。
「世界の森」「未来に残したい風景」などをテーマに
希少な自然や文化を撮り続け、また、
旅先のエピソードを記したエッセイを手掛けるなど、
幅広く活動されていらっしゃいます。
今回のポッドキャスティングは、4月25日から4月29日放送分、
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さん。
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さんは元々卓球選手で、
高校から体育寮に入り、大学でも卓球特待生でした。
そんな中、立石さんが高校1年の時に、
現在では日本肢体不自由者卓球協会の選手である、
兄の立石アルファ裕一さんが、家庭の経済事情などを考慮し、
大学進学を諦めていたのだとか。
「僕のために大学を諦めて、卓球を趣味にして、、、、
僕はそれを知らずに卓球をやってて。
大学で関東に行きたいと思った時に両親から、
諦めた兄のことを初めて聞いたんです」
兄の存在を感じながら、プロになるため大学4年間を
卓球に注いだ立石さん。
卒業後、家業を継いで欲しいと両親からの意向もあり、
卓球生活は終わってしまったそう。
実家に戻ると、兄のアルファ裕一さんが、
肢体不自由者卓球で国際大会に行くようになっていたとか!
「今度は、パラリンピックを本気で目指したいという
兄のために、兄のコーチとして一緒に世界に行きたい、
という夢の形になりました」
そんな立石さんの最大の夢は、
「2020年の東京パラリンピックで卓球の会場を満員にする!
そして、自身としても兄と一緒に金メダルを取る!
叶えるために頑張ります」
さらには、2020年で100周年を迎える「立石ガクブチ店」を
もっと日本に広めて、成長していきたい、とも!
今夜の選曲:UFATAKOLPEKA / OREKA TX
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さんの本業は、博多で操業95年の
「立石ガクブチ店」の4代目でもあります。
多くの額縁屋が閉店になる中、立石さんのお父様が、
大量生産ではなく、オートクチュールの額縁を始めたそう。
「通常のものよりも高値にはなりますが、
その絵にあった額装になるように作ります」とのこと。
スポーツ用にメダルと賞状を一緒に飾れるものや、
額縁とフラワーアレンジメントのコラボレーションを母の日に行うなど、
様々な企画もされています。
いつも額縁を持ち歩いてらっしゃる立石さん。
今回スタジオにもお持ちいただきました!
「これを持ち歩いて、顔を入れたり、景色を入れたり。
撮った写真をSNSに載せてもらったり。
海外遠征に行った際も、額縁スナップ写真をとってます」
額縁スナップ写真=額スナは、
5月8日(日)に、東京・丸の内 KITTEにて体験できます。
今夜の選曲:AURKIA ETA INFRENTZUA / OREKA TX
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さんをお迎えしています。
肢体不自由者卓球の国際大会は、
オリンピック前年には増え、昨年は17大会も
開催されています。
きちんと情熱を持ち、国が力を入れている、
ヨーロッパやタイの選手が強い障がい者卓球。
監督もコーチも日本では、全て自費での参加です。
そのため、資金不足で、広報である立石さんが、
監督も兼任する場合があるそう。
「その時に海外のコーチや監督に、
”なんで日本は豊かな国なのに、パラスポーツでは
こんなに後進国なの?”ってよく言われてしまいます」
リオ・パラリンピックの代表選手の中には、
60代の女性選手、別所キミエさんもいらっしゃいます。
4大会連続出場のまさにレジェント!
健常者であれば、実業団などに所属しスポーツを極めますが、
肢体不自由者卓球協会の選手たちは、基本的には、会社に勤め、
通常業務をこなしながら、時間を作り練習します。
「会社の理解がなかなか難しくて、、、。本当にもう、
そのハンデを乗り越えて生き抜いている、という状況です」
今夜の選曲:WE ARE RESDY NOW / OREKA TX
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さんは5人兄弟で、
長男である立石アルファ裕一さんは、
肢体不自由者卓球の選手です。
立石アルファ裕一さんは、
先天性二分脊椎症を患い、手術の後遺症もあり、
つま先の神経は感じにくく、
かかとだけで歩くような生活だとか。
「見た目ではシューズを履くのでわかりにくいんですが、
卓球においては、かなりのハンデです。」
アルファ裕一さんは、中学から本格的に始め、
現在では世界では30位の成績をおさめています。
障がい者卓球では、国際大会での参加は、全て自費。
国からの強化費では、健常者では1億数千万が出ている中、
肢体不自由者卓球協会には、410万円にとどまっています。
年に2回の全国大会運営、合宿での交通費などで
ほぼ無くなってしまうのが現状だとか。
「とにかく、費用ということもありますが、
1番は”とにかく知ってもらうこと”、ですね。
健常者と障がい者の相互理解というのを深めて
障がい者卓球を知ってもらうってことが
1番大切だと思っています」と立石さんはおっしゃいます。
今夜の選曲:AMA LUR / OREKA TX
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さんをお迎えしています。
立石イオタ良二さん、こちら、戸籍上の名前で、
五人兄弟全員にミドルネームがついているとか!
厳密に言えば、日本ではミドルネームは存在しないため、
苗字は立石、名前はイオタ良二になるそう。
障害者の卓球の種類は、大きく分け、
3つの団体に分かれています。1つは、
肢体不自由者の卓球は、立石さんが広報を務めている団体。
もう1つは、知的障がい者の卓球。そして、
パラリンピックからは外れていますが、ろうあ者卓球も。
立石さんが広報を務めている「日本肢体不自由者卓球協会」 では、
年2回の全国大会、無差別級の全日本大会、年数回の
ナショナルチーム強化、新しい人材の発掘、海外遠征などです。
現在300名程度が協会に選手登録していますが、
登録せずに学校や施設で競技しているのは、5000人以上だとか!
「年間に約17大会があります。
国際卓球連盟の中のパラテーブルテニスという部門で、
健常者の卓球の大会と同じで、同じように行われています。」
今夜の選曲:TUTUEZPATA / OREKA TX
日本肢体不自由者卓球協会 広報の
立石イオタ良二さんをお迎えします。
■プロフィール■
1985年生まれ、福岡県出身。幼い頃から卓球に打ち込み、
卓球の名門・柳川高校から専修大学へと進学し選手として活躍。
現在、日本肢体不自由者卓球協会の広報として、
障害者卓球の認知向上に尽力されています。また、家業である
創業95年の老舗額縁屋「立石ガクブチ店」の
4代目でもいらっしゃいます。
今回のポッドキャスティングは、4月18日から4月22日放送分、
寺社フェス「向源」を主催される、
天台宗 常行寺の副住職、友光雅臣さん。
天台宗 常行寺 副住職の友光雅臣さんが主催する
宗派を超えたイベント寺社フェス「向源」は、
2011年にスタートし、今年で6年目となります。
東京オリンピック・パラリンピックの開催は、
2014年に決定しました。その決定の前、
駒沢公園で流れていた各都市のPR映像を見た時、
友光さんは、東京だけ伝統的なものや宗教的なものが
映らなかったことに気づいたそう。
「何か2020年に向けて、文化や宗教的精神性などを
発信したいなっと思っています。五輪が開催される期間にも
少しでもお寺や神社を通じた体験を提供したいなって思います」
現在32歳になる友光雅臣さんが感じるのは、
心を整えたいという人が多い事。
「そんなにロボットみたいに、何があっても動じない自分でいるって、
無茶な話をしているなって。感情を殺して生きて行く事を、
綺麗に”心を整える”っていい方しちゃっているので、、」
もっと自由に感情を表現していく事を高めていたほうがいいと感じるそう。
さらには、”仏教で人を救わなくてはいけない”とは、思っていないそう。
「仏教は、あくまで、その人が前向きになるために、
どう一緒に考えるか、というもので。おいしいものを食べたり、
良い布団で寝たりするのも、生活を良くする方法かもしれません。
大切なのは、仏教・神道・日本文化という全体を通して、
1人1人が元気に生きて行く事です。
それを少しでも助けられればと思います」と友光さん。
今夜の選曲:TRIBUTE TO KING TUBBY / BEATS INTERNATIONAL
天台宗 常行寺の副住職、友光雅臣さんが主催される
今年で6年目となる寺社フェス「向源」では、
100以上のワークショップがあります!
人気なのは「お香を体験するワークショップ」。
すでに売り切れ続出だとか!
今年は、3回行う、宗派を超えたお経のライブ
「声明公演」は、3回とも異なるコンセプトです。
一緒にお経を唱えてみたり、キリスト教の聖歌との比較、
さらにはピーター・バラカン氏と世界の宗教音楽を聞いたり、、、
また、脳科学者・中野信子さんのトークショー「信子の部屋」も!
「2011年始めてから、最初に僕たちが怒られたのは、
住職さんからでしたが、思いを伝えると、理解していただけて。
その後は、近所のお坊さん、年齢の近いお坊さん、上の年代の人、
違う宗派の人、、、その都度、直接会ってお話しすると理解してくださって、
1つ1つきちんと話せば伝わります。」と友光さん。
もともと友光さんは、一般家庭の生まれですが、
常行寺の娘さんと高校時代からお付き合いされていたそう。
「大学時代に就職活動していたら、彼女のお母さんから、
お坊さんにならない?って言われて(笑)
その時、”神様とか信じてないんで分かんないんですよね~”
って言ったら、”うちは仏様なのよ”と言われちゃって!
それすらピンと来なかったんですが。比叡山で修行させていただいて、
なんとか1人前にしていただきましたね。」
知らない世界に飛び込んだ友光さんだからこそ、
宗派を超えた寺社フェス「向源」を開催できたのかもしれません!
今夜の選曲:SUNSET(BIRD OF PREY) / FATBOY SLIM
天台宗 常行寺の副住職、友光雅臣さんが主催される
今年も宗派を超えたイベント寺社フェス「向源」は、
4/29(金)~5/5(木)まで開催されます。
昨年とは違い、様々な場所を回りながら開催されます。
「初日は神田明神で、5日間日本橋、最終日は増上寺でゴールです。
初日に神様に無事をお願いし、最終日に無事の報告し感謝する、
その間は日本文化を伝えるために日本橋で行います。」
神田明神では、正式参拝を行い、神道について学びます。
仏教にはお経、キリスト教には聖書、
イスラム教にはコーランがありますが、
神道には、文字化された教えはありません。
(祝詞は、人間から神への思いであるため)
そんな神道の面白さを知り、
神田祭でのお神輿に触るなどの体験ができます。
日本橋では、主に日本文化を中心とした仏教・神道がテーマ。
「1番今年の新しいポイントとしては、日本橋川に
船をつけてお茶会をしたり、精進料理のメニューを
コレド室町などの飲食店で提供するなどがあります」
2000円~4000円で様々な体験ができます。
最終日5/5(木)の増上寺では、
お坊さんが普段公開されていない場所まで
隅々案内してくれるツアーなども!
さらには、外国からのお客様への対応も万全。
「街中の主なスポットには、QRコードがあって
各国の言葉で説明が受けれたり、ボランティアスタッフにも
様々な言語がしゃべれる方もいらっしゃいます。
坐禅指導や増上寺のツアーは英語でも行います。」
今夜の選曲:DUB BE GOOD TO ME / BEATS INTERNATIONAL
宗派を超えたイベント寺社フェス「向源」を主催される
天台宗 常行寺 副住職の友光雅臣さん。
仏教は、伝統宗派で8つあると言われていますが、
そんな宗派の垣根を超えようときっかけを作ったのは友光さん。
「イベントを始めるにあたって、一緒にやりませんかって
メールを出して、お願していきました」
寺社フェス「向源」が最初スタートした時は
70人程度のイベントでしたが、昨年には6000人規模に!
「神道と仏教は、明治時代以前は一緒にずっとやってきたんですよ。
僕自身も、天台宗比叡山で修行していた時にも、
比叡山を守る神様がいるおかげで修行ができる、と聞いていましたし。
神仏習合で寺社フェスというのは、僕にとってはむしろ自然な形です」
と友光さんはおっしゃいます。
寺社フェス「向源」は、ボランティアで運営しています。
「協力してくださる方も増えています。
お坊さんだと50~60人の方、神主さんも10人くらい。
一般ボランティアは今も募集しています。」
昨年は300人のボランティアが集まったそう!
今夜の選曲:WONDERFUL NINGHT / FATBOY SLIM
東京都・品川にある常行寺は、
友光雅臣さんが住職を継ぐと64代目となる、
歴史あるお寺です。
友光さんは大学時代、ハウスやテクノ音楽を愛する若者で、
渋谷や六本木でDJなどをされていたとか!
「その頃の思いもあって、若者に楽しんでもらいたい
っていうのがあって、フェスを始めました。」
友光さんが主催されている世界最大の寺社フェス「向源」は、
今年で6年目を迎えます。
仏教、神道、日本文化を体験できるイベントで、
宗派を超えたお経のライブ「声明公演」も!
「”向源”は僕が始めた時につけた名前で。
自分自信の原点と向かい合って、目標に向かって欲しい
という思いもあります」と友光さん。
寺社フェス「向源」を開催するきっかけとなったのは、
東日本大震災だったそう。
「東京にいる若者たちも、希望がなく、恐怖や不安を感じていて。
一度お寺でリラックスしてもらおうと、思ったんです」
と友光さん。
今夜の選曲: PRAISE YOU / FATBOY SLIM
寺社フェス「向源」を主催される、
天台宗 常行寺の副住職、友光雅臣さんをお迎えします。
■プロフィール■
1983年東京生まれ。大正大学を卒業。
2008年に天台宗比叡山で修行を終え、
東京品川にあります常行寺の僧侶となり、
現在、副住職でいらっしゃいます。
また、神社フェス『向源』を主催されるほか、
神職と僧侶の勉強会なども開催されています。
今回のポッドキャスティングは、4月11日から4月15日放送分、
音楽プロデューサー、作詞作曲家
かの香織さん。
音楽プロデューサー、作詞作曲家かの香織さんは、
先月、「一般財団法人オーバーザレインボウ基金」を
立ち上げていらっしゃいます。
この団体は、東日本大震災以前より
音楽制作、日本酒造りを通して
恵まれた文化に恩恵を受けていると感じていたかのさん。
そこで、恩返しのために作ったのが、
「一般財団法人オーバーザレインボウ基金」。
活動の1つ、「ワンソングプロジェクト」は、
亡くなる人に、その人が好きだった1曲を届けるというもの。
これは、ご自身の体験からできたプロジェクトでした。
「親が亡くなる直前、2時間前に、親が好きだった曲を歌ったんです。
意識もないんだけど、人間の聴覚って最後まで残るってきいたので」
トレーニングを受けたミュージシャンを増やし、
医療の現場に送り込む事を目指されています。
かのさんが今後目指すのは、「循環していくこと」。
思いを達成するだけでなく、縁にして
恩を返していくことを繰り返していく事を作っていけたら、
と、かのさん。さらに、日本文化が詰まっている
日本酒も応援してほしい!とも。
今夜の選曲:午前2時のエンジェル / かの香織
音楽プロデューサー、作詞作曲家
かの香織さんは、
「一般社団法人 みやぎびっきの会」で理事を務めていらっしゃいます。
「一般社団法人 みやぎびっきの会」では、被災地である
岩手県・宮城県・福島県の沿岸部を中心に、
子供たちの心の支援をされてきています。
“びっき”は、蛙のこと。
故郷に恩返し、という意味で蛙!とのこと。
子供たちの心のケアの支援をされたのは、
後回しにされてしまいがちな部分だと感じたからだそう。
「子供たちはどんどん成長していくけれど、
部活で遠征できない、文化祭ができませんって、、、
そういう細かい所を自分たちが出来るを、重ねてきました」
地元で情報を得ていた「みやぎびっきの会」ならではの
被災地支援のかたちです。
ハワイの支援団体「レインボー・フォー・ジャパンキッズ」と
連携を取り、復興県の子供たちを10日間程度、
ハワイの教育合宿に送るという活動も。
東日本大震災から5年が経った今年。
今後、被災地に必要な事について伺いました。
「今後は、自立に進むきっかけを作る、という事ですね。
どうやって自分たちは生きていくかを考えて、
個性を生かしながら、進むためのきっかけ、支えを作っていきたいです」
今夜の選曲:青い地球はてのひら / かの香織
音楽プロデューサー、作詞作曲家
かの香織さんは、
「一般社団法人 みやぎびっきの会」で理事を務めていらっしゃいます。
「一般社団法人 みやぎびっきの会」では、被災地である
岩手県・宮城県・福島県の沿岸部を中心に、
子供たちの心の支援をされてきています。
“びっき”は、蛙のこと。
故郷に恩返し、という意味で蛙!とのこと。
子供たちの心のケアの支援をされたのは、
後回しにされてしまいがちな部分だと感じたからだそう。
「子供たちはどんどん成長していくけれど、
部活で遠征できない、文化祭ができませんって、、、
そういう細かい所を自分たちが出来るを、重ねてきました」
地元で情報を得ていた「みやぎびっきの会」ならではの
被災地支援のかたちです。
ハワイの支援団体「レインボー・フォー・ジャパンキッズ」と
連携を取り、復興県の子供たちを10日間程度、
ハワイの教育合宿に送るという活動も。
東日本大震災から5年が経った今年。
今後、被災地に必要な事について伺いました。
「今後は、自立に進むきっかけを作る、という事ですね。
どうやって自分たちは生きていくかを考えて、
個性を生かしながら、進むためのきっかけ、支えを作っていきたいです」
今夜の選曲:青い地球はてのひら / かの香織
音楽プロデューサー、作詞作曲家
かの香織さんの地元は、
宮城県栗原市の親善大使「栗原ドリームアンバサダー」を
務めていらっしゃいます。
栗原市は、岩手県に隣接し、
東日本大震災では震度7を記録した場所です。
そんな栗原市で先日、ソトコトの指出編集長との
トークイベントをされた、かの香織さん。
雑誌ソトコト5月号の中にあるレポートで、
“目がさめるような思いをした”と書かれています。
「地元では、若い人がいないね、って暗い話ばっかりで。
そんな中、指出さんから、全国の町おこしの実例を
たくさん教えていただいたんです。田んぼでのワークショップとか、、、
何もないからダメだって思い込んでいた私たちが、
”やれる事ってたくさんあるよね!”と思えたんです」
また、トークが行われたのは、”cafe かいめんこや”。
このカフェはリノベーションされたお店です。
ここ数年では、面白い若者が少しずつ街に戻ってきているそうで、
希望の光を垣間見ている、と、かのさん。
今夜の選曲:魔法にかかれ / かの香織
音楽プロデューサー、作詞作曲家
かの香織さんのご実家は、
宮城県にある造り酒屋「はさまや酒造」!
「はさまや酒造」は、1757年創業で、
250年以上続く歴史ある造り酒屋。
かのさんは、12代当主でもいらっしゃいます。
昔から地元で愛され続く銘柄は「桂泉」だとか。
そして今回スタジオにお持ちいただいたのは、
春の数量限定の生原酒「阿佐緒のさくら」です。
火入れがされていないため、瓶中で発酵され続け、
微発泡のお酒です。1つ1つ手詰されているとか!
造り酒屋で生まれ育った かのさんですが、
日本酒造りの現場には行ってみると、
最初は頭でっかちで、スムーズにはいかなったとか。
そんな中でも醸造に関わると、感動しきりだったそう。
「日本酒の世界、日本文化に本当感動したんです。
森羅万象、生まれてくる全てのものに感謝することから
全てが始まるんです。日本文化の原点が酒蔵にあるんですよね」
今夜の選曲:ばら色の人生 / かの香織
音楽プロデューサー、作詞作曲家、かの香織さんが
プロデュースした「紀尾井町サロンホール」。
東京麹町に80人ほど収容できる、
生楽器を楽しむことができるサロンホールです。
生楽器が出す残響、声の響き、など、
音響が昔から好きだった、かのさん。
そのため、響きにこだわっている場所になっているそう。
「小さいホールだと、音がすぐ跳ね返ってくるから、
嘘つけない。そこでは、リアルな音が聴けるんです」
日本では、世界でも優れた音響設計の技術者がいる一方で、
このようなホールは少ないのも現状。
「なかなか機会がなかったんですけど、時代的に、
そういうことが出来るようになってきたなって。楽しいです」
とも、かのさんはおっしゃいます。
今夜の選曲:BELIEVER / かの香織
音楽プロデューサー、作詞作曲家
かの香織さんをお迎えします。
地元・宮城県・栗原市での酒造り、
震災復興への想いなど、、、たっぷりと伺います。
■プロデューサー■
宮城県出身。大学声楽科を卒業され、
1994年にデビューされ、シンガーソングライターとして活躍。
ポップス、クラシックなど、多方面へのジャンルへの楽曲提供、
音楽プロデュースを手掛けていらっしゃいます。
また、家業の造り酒屋の当主を継がれ、
音楽と酒造りを通じた、地域活性、復興にも尽力されていらっしゃいます
今回のポッドキャスティングは、4月4日から4月8日放送分、
三宅デザイン事務所、代表取締役社長の北村みどりさん。
今週は、三宅デザイン事務所の代表取締役社長の
北村みどりさんをお迎えしています。
国立新美術館で現在開催中の
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」では
映像による展示も充実しています。
ピーター・バラカンさんがナレーションしている
《三宅一生の仕事1960-2015》や、
三宅一生さんが手作業されている映像
《ウォーターフォールボディー》など、見応えがあり、
贅沢なスタッフで作られた映像ばかりです。
また、「ふわふわ」「サラサラ」などが歌詞に入った曲に合わせ、
触れない服の写真が、プロジェクションマッピングで現れるという、
触り心地が来場者にも分かるようにと工夫された
インスタレーション作品もあります。
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」は、
6月13日(月)までです。
みなさん、ぜひご覧ください!
▼ 詳細はこちら
今夜の選曲:SPEED OF LIFE / DAVID BOWIE
三宅デザイン事務所の代表取締役社長の
北村みどりさんをお迎えしています。
三宅一生さんは、様々な素材を開発されてきて、
2010年にスタートし、現在も進行しているプロジェクト
「132 5. ISSEY MIYAKE」でも、新素材を開発されています。
「132 5. ISSEY MIYAKEは、
後ろを向くようなリサイクルではなく、
前に進む”アップサイクル”なんです。
ペットポトルやポリエステルのような再生素材に、
天然素材を足した、新しく開発した素材です」と北村さん。
以前、旅をしている三宅さんから絵葉書を
よくもらっていたという小黒さん。
様々な地で刺激を得る三宅一生さんは、
日々、若いのスタッフと一緒に仕事をされています。
年齢は関係なく、自分の意見を持ち、
その考えを的確に伝えられることが
三宅デザイン事務所では重要なのだとか。
国立新美術館で現在開催中の
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」では、
こども用のパンフレットを作るなど、
次の世代も意識されているように感じます。
北村さんは、21_21 DESIGN SIGHTの代表取締役社長も
兼任されていらっしゃいます。今後について伺うと、
「立派なディレクターがたくさん居ますし、
分かりやすく、みんながワクワクして、未来の可能性に満ちた
動きが生まれるようなことをやっていきたいですね。」
とおっしゃいます。
今夜の選曲:WEEPING WALL / DAVID BOWIE
ゲストは、三宅デザイン事務所、代表取締役社長の北村みどりさん。
国立新美術館で現在開催中の
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」は、
「人間の身体とそれを纏う1枚布」という
デザインの原点であるコンセプトが伝わるような、
3つの部屋から構成されています。
コレクションの命である素材なども展示されており、
三宅一生さんのデザインの繋がりを
感じるものになっています。
展覧会会場には、今回初めて工房から出したという、
プリーツを作る機械を間近で見ることが出来ます。
さらに、毎日 11時~12時は実際に動いてます!
(※金曜日は11時~12時/18時~19時の2回)
今回の展覧会のカタログには、
様々な業界の方々が寄稿しています。
それを読むと、特に海外の方々たちは
三宅一生さんをただの服飾デザイナーではなく、
哲学者のように感じてことが分かります。
「それは最初からで、皆さん、ご自身の職業に
何か三宅の考え方を引き入れていらっしゃるようです。
必要な部分を、三宅の考え方から引っ張ってるって。」
と北村さんはおっしゃいます。
今夜の選曲:A NEW CAREER IN A NEW TOWN / DAVID BOWIE
三宅デザイン事務所、代表取締役社長の北村みどりさん
をお迎えしています。
今までは、プロジェクトが7年~8年ごとに、
完成すると行っていた展覧会。
ですが、国立新美術館で現在開催中の
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」は、
70年代から現在までの仕事が全て詰まった
大規模な展覧会となっています。
この展覧会では、10年程度の準備期間があったそう!
まず行ったのは、膨大なコレクションのアーカイブから、
服を選ぶ作業からスタート。その作業だけでも数年かかり、
その後、何を展示するかを決定していったのだとか。
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」は回顧展ではなく、
未来に向けた展示になっているのも、この展覧会の特徴。
リトアニアから五輪ユニフォームを依頼された折に、
他10カ国のユニフォームも製作し、パリコレで発表されました。
そのユニフォームに、今回は11カ国のものが追加され、
全21カ国の衣装が展示されています。
今夜の選曲:ALWAYS CRASHING IN THE SAME CAR / DAVID BOWIE
三宅デザイン事務所、代表取締役社長の北村みどりさん
をお迎えしています。
先日、三宅一生さんは、フランス政府からの最高勲章である
レジオン・ドヌール勲章 コマンドゥールを受章しました。
この勲章は、民間人の贈られる最高位です。
元フランス文化大臣であるジャック・ラングさんは、
「三宅一生さんがいたからこそ、パリという町を
クリエイションの都にすることが出来た」
と語ってらっしゃいました。
三宅一生さんの仕事を40年あまりに渡り支えてきた
北村さんが構想し、編集に3年以上もの歳月を費やした
大型本「Issey Miyake 三宅一生」が4月8日に発売されます。
今まで、各展覧会のカタログはあったものの、
学生時代から現在まで、三宅一生さんの全ての歴史を
まとめた、このような本はありませんでした。
大型本「Issey Miyake 三宅一生」は、
ネットや展覧会でお買い求めいただけます。
今夜の選曲:SOUND AND VISION / DAVID BOWIE
三宅デザイン事務所、代表取締役社長の北村みどりさん
をお迎えします。
現在開催中の
「MIYAKE ISSEY展 –三宅一生の仕事-」のお話を中心に
たっぷりと伺います。
■プロフィール■
1976年よりISSEY MIYAKEのアタッシェ・ド・プレスとして、
三宅一生の全ての活動に携わり、また、
香水や時計などプロダクトのクリエイティブ・ディレクションと
プロデュースを手掛けていらっしゃいます。
また、2009年より、21_21 DESIGN SIGHTの
代表取締役社長も兼任されていらっしゃいます。
今回のポッドキャスティングは、3月28日から4月1日放送分、
ラグビー ワールドカップ・イングランド大会
日本代表の廣瀬俊朗さん。
先日丸の内MC FORESTで行われた番組公開収録の模様です。
先日丸の内MC FORESTで行われた
番組公開収録の模様をお届けしています。
ゲストは、ラグビー ワールドカップ・イングランド大会
日本代表の廣瀬俊朗さん。
2019年には日本でラグビーW杯が開催されます。
「勝つことも大切ですが、どうなるために勝つのか、
そういうことを全員が持ってやっていけば良いです。
次に繋がっていく、ラグビーをしてほしいと思います」
と廣瀬さんはおっしゃいます。
選手のため、ラグビー界のために、と活動する廣瀬選手。
周りの力も感じているようです。
「ラグビーは今、上昇気流に乗っていますが、
みなさんがずっと支えてくださったお陰ですし。
これから同じように皆さんの力で、支えて欲しいなぁと思います」
また、日本ではまだ日常的に触れるチャンスが少ない
障がい者スポーツのお話も。
「障がい者だろが、健常者だろが関係なくて、
スポーツとして、素晴らしいものです。
そういうものにみんなが触れて、日本が
豊かになっていけばいいなと思います」
今夜の選曲:COULDN’T ASK FOR MORE / MARVIN GAYE