2017年07月31日

神社巡りの旅からエルサレム旅へ。エルサレムに魅せられたきっかけとは?

女優の鶴田真由さんをお迎えしています。

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6月に発売された鶴田さんの著書
「神社めぐりをしていたら エルサレムに立っていた」
この本を書こうと思ったきっかけは?
鶴田さん「数年前に古事記を読み解きながら
日本を旅するというプロジェクトを始めたんです。
それは前著「ニッポン西遊記 古事記編 」という本に
纏めたんですが、その古事記の旅をしている時に
幾度となくエルサレムという言葉を耳にして、
エルサレムと神社がどういう関係にあるんだろう?と思いまして、
エルサレムまで行ってみました!っていうのがこの本ですね。
ユダヤと関係の深い神社をいくつか巡って、
そのあとにエルサレムに行ったんです。」

鶴田さんはご自身のことを「旅中毒」と語られ、
これまでに50カ国近くの国を旅されています。
鶴田さん流の旅の仕方は?
鶴田さん「やはりその国の文化が見えた方が
面白いですし。その場所のエネルギーを感じられた方が
いいので、なるべく街から離れたところに行くのが好きですね。
現地の事前勉強はあまりしなくて、帰ってきてから、
答え合わせをするって感じですね。
なるべくまっさらに感じるって旅をしたいので、
それほど勉強せずに、とりあえず本1冊だけ持って行って
大枠だけ知って行くって感じですね。

今夜の選曲:TAHABIL TIRBACH / QUARTER TO AFRICA

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2017年07月28日

7月31日から8月4日は

女優の鶴田真由さんをお迎えします。

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鎌倉市生まれ。
1988年に女優デビューされて、
1996年に映画『きけ、わだつみの声』で
日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。
映画やドラマで活躍する一方、ドキュメンタリー番組などで、
世界50ヵ国近くを旅されて、
その経験を綴られたエッセイも発表されていらっしゃいます。

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2017年07月28日

【Podcasting 第541回 】小倉崇さん

今回のポッドキャスティングは、7月24日から7月28日放送分、
編集者で農家の小倉崇さん


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2017年07月28日

8月 渋谷で開催! 親子で楽しめる「トマト祭り」について

編集者で農家の小倉崇さんをお迎えしています。

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来月8月には、恵比寿のビジネスタワーにて、
生活者のための「生活マルシェ」、渋谷の農家では
親子を対象にした「トマト祭り」が開催されます。
小倉さん「油井君はもちろんですけど、「渋谷の農家」
に出て頂いている農家さんにも出てもらいたいと思っています。
特に恵比寿は生活人口がすごく多いんですけど、
街の野菜がどんどんなくなって来てしまっているんですね。
知り合いに恵比寿新聞っているローカル新聞をやっている
タカハシケンジさんって方いらっしゃるんですけど、
恵比寿の生活者にとって野菜は本当に必要なので、
マルシェとしてやってくれないかって誘われたのがきっかけでした。」

「それと、8月の末には渋谷の畑を使って、
トマト祭りをやろうと思っていまして、
畑3面を順次トマトに変えていっているので、
8月の末には鈴なりのように一面トマトになっていると
思いますから、それを子どもたちに収穫してもらって、
食べたり、親御さんにはトマトジュースを
作ってもらったりしようかなって思ったいます。」


今夜の選曲:LOSING YOU / ALISON KRAUSS

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2017年07月27日

有機農家の現状と、農業団体「weekend farmers」の今後の活動について。

編集者で農家の小倉崇さんをお迎えしています。

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現在の有機農家の現状について
小倉さん「確実に農業に関わる方は増えていると思います。
一緒に活動をしている油井君のところでは、
4件ぐらいの飲食店と取引させてもらっているんですけど、
やっぱり野菜が美味しいとシェフが畑に来てくれて、
今度くるときにはお客さんも一緒に連れて来てくれるんですよ。
要は、みんなで食べている野菜を、どんなやつが、どんな思いで
作っているのかっているを知りたいと思ってやって来るんです。
人によっては手伝ってくれるようになる人もいるんですね。
この感じで農業を生業にする人は多くないですが、
農業に関わる人は確実に増えると思いますね。」

今後の「weekend farmers」の活動について
小倉さん「この前、油井君とも話したんですけど、
次の段階として2つ考えていることがありまして、
一つは都市における都市農園を増やしていきたい。
もう一つは、私の本に出てもらったような
農家さんたちと連携をとって自分たち
一人だけはできないようなことをやっていきたんですね。」


今夜の選曲:POISON LOVE / ALISON KRAUSS

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2017年07月26日

農業団体「weekend farmers」の活動について

編集者で農家の小倉崇さんをお迎えしています。

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小倉さんは相模原市 藤野と渋谷、
この2カ所を拠点に農業活動をしていらっします。
相模原市 藤野での活動について。
小倉さん「町長や市長とかユニークとかではなく、
全員ゆるく横に繋がっているところが面白いんですよね。
例えば農業やろうってなると今一緒に活動をしている
油井君とかが中心となってやったり、
森に手入れたいよねって話になると
今度は材木業者の友達が音頭を取って
やったりとかするんですね。それぞれの得意分野を元に
チームが出来ていって横つながりで
やっているんで面白いんだと思いますね。」

渋谷のでの活動について(渋谷の農家)
「藤野にこわだりすぎちゃうと見えなくなる部分も
あると思うんですね。やっぱり農業やるときも
消費地である東京のニーズもしていなくてはならないですし、
東京の人がどういうものを好んでいるのかとかもですね。
あとは僕自身も東京に生まれて、東京が好きなので、
東京と藤野、この間にいるのが1番心地よいってのもあるんですよね。」


今夜の選曲:HOW’S THE WORLD TREATING YOU (ALBUM VERSION) / ALISON KRAUSS/JAMES TAYLOR

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2017年07月25日

カウンターカルチャーとして有機農業を営む。その思いと苦悩とは?

編集者で農家の小倉崇さんをお迎えしています。

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そもそも小倉さんが農業に目覚めたきっかけは、
出版社時代に行った農業取材だったそうです。
小倉さん「元々のきっかけはというと、
全日空の機内誌で面白い企画を
考えろということだったんですけど、
それで山形県の飯豊町が、農林水産大臣賞を
取っていることを知ったんです。
何で取っていたかというと、美しい農村景観という
部門があって取っていたんですね。
それでそこに通ってみようと思ったんです。
でも何も軸なしに行っても意味がないので、
農家さんの暮らしを軸に1年通って、
見える飯豊町というものを切り取っていこうとしたんです。
自分で田植え体験をさせてもらったのはそこが初めてですね。」

経済的に自立するのが中々厳しいとされる有機農業。
それでも有機農業にこだわる理由があります。
小倉さん「単純に付加価値をつけて、
100円で売れるものを500円で売っても
ビズネスとしてはいいと思うのですが、
多分僕らのベースなっているのが、
カウンターカルチャーなんですね。
お金稼ぎたければ、他の仕事をすればいいので…。
できたら野菜なんて当たり前のものじゃないんですか。
青臭い理想って言われればそれまでなんですけども
当たり前の美味しいものを当たり前の値段で
シェアしたいって気持ちがあるんですね。
でも有機って手は掛かりますし、収量も少ないですし、
この前も出荷直前のほうれん草をヒヨドリに
7,8割食い尽くされちゃったりっていうこともあるので、
中々経済的に厳しいものがあります。」

今夜の選曲:YOU’RE JUST A COUNTRY BOY / ALISON KRAUSS

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2017年07月24日

渋谷のビルの屋上で野菜づくり! 都会で農業するそのきっかけとは?

編集者で農家の小倉崇さんをお迎えしています。

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小倉さんは、渋谷のライヴハウス「Shibuya O-EAST」
の屋上で農業を営まれています。
小倉さん「ここの畑は8月で3年目を迎えます。
元々、相模原市の相模湖で、自然栽培の農業をしている、
油井敬史君っていう農家の友人でいるんですが、
彼と知り合って、彼の元に通う内にすごく情熱もって
仕事をしていて本当に美味しい野菜を作っているんですね。
でも、小規模農家さんって中々、経済的に自立することが
難しい現状があるんですね。だったら彼の野菜の
ファンを増やしていきたいと思うようになったんですね…。
最初は相模湖の畑に友人を呼んで農体験したり、野菜食べたり
して遊びながら農業を楽しんでもらっていたんですね。
そうこうしている内に、O-EASTを運営している、
シブヤテレビジョンって会社の方に出会ってです。
その彼から、すごく良い活動をしているから、渋谷でも
何かできないか?っていう依頼がきまして、最初はマルシェの
話があったんですけど、僕たちらしい何か違ったことができない
かなと思っていたところ、ライブハウスの屋上、何もないですけど、
芝生だけ敷いてあるって話を聞きまして、
なら、そこを畑にさせてください! とお願いしまして
この渋谷の農家が始まったんです。」


小倉さんは自身の農業体験を綴った
著書『渋谷の農家』を去年の9月に発売、
今後は台湾でも出版される予定です。

今夜の選曲: YOU WILL BE MY AIN TRUE LOVE / ALISON KRAUSS

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2017年07月21日

7月24日から7月28日は

編集者で農家の小倉崇さんをお迎えします。

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1969年東京生まれ。
大学卒業後、出版社に勤務し、
ファッション誌の編集などを担当された後に、
独立、2007年に設立された『インク・プレス』で、
出版や広告の仕事をしながら農業に従事されていらっしゃいます。

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2017年07月21日

【Podcasting 第540回 】野口健さん

今回のポッドキャスティングは、7月17日から7月21日放送分、
アルピニストの野口健さんをお迎えしています。

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2017年07月21日

アウトドアで生命力を鍛える。 娘との登山談。

アルピニストの野口健さんをお迎えしています。

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人間の生命力を鍛えるには、
アウトドアが1番だと野口さんはおっしゃいます。
野口さん「人間の生命力ってどこでつくのかっていうと
やっぱりアウトドアでつくと思うんですね。
山登るとか川を下るとかしていくと、
必ずプチピンチを体験するとおもうんです。
そういう経験から人は、こうした方が良いとかの
対応力、判断力が本能的に身についていくわけですね。」


「アウトドア感を身につけさせるということを
自分の子どもでも実験していまして、
今、中学2年なんですけど、結構小さい頃から
山に連れて行っているんですよ。
娘が小学4年生の時に冬の八ヶ岳に
連れて行ったことがありまして、
その日はものすごい天気悪くて、-17℃ぐらいだったんです。
これは頂上までは無理だなって思ったんですが、
娘にはそれをつけずに、途中まで登ろうと言ったんです。
登っているうちに、段々寒さで顔も手も
痛くなってきて娘も泣き出すんですね。
でも途中までは登ろうって思って
結局山頂の手前まで行ったんです。
で、娘にここで引き返すこと告げるんです。
娘は、せっかくここまで来たのに引き返すの?って
聞いてきたんですけど、山登りっていうのは、
「して良い無理」と「してはいけない無理」があるんだよって
その時に教えたんです。最大限無理をしないと山は登れないけど、
してはいけない無理をしたら死ぬのは簡単、
ここからはしてはいけない無理だと教えて山を降りたんです。」

「以降、娘との登山も続けていって、去年の12月に
登りきれなかった八ヶ岳にもう1回挑戦して、
一緒に山頂に立ったんですよ。でも娘と握手しようとしたら、
中々握手してくれないんですね。「あれ?嬉しくないのかな」って
思ったら娘がこう言ったんです。「パパ、山登りっいうのはね、
登って終わりじゃなくて降りるまでが山登りなの」って言ってきたんですね(笑)
こいつ!って思ったんですけど、そしたらキリマンジャロ登りたいって
娘が言ってきたので、今年あたりどっかで連れて行こうかなって思っています。」


今夜の選曲: DANCE THE SKA / SKATALITES

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2017年07月20日

有事の際、ルールは時に破ることも必要。その体験談を語る。

アルピニストの野口健さんをお迎えしています。

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熊本地震が発生した際、避難所として、
益城町にテント村を設置。
被災者への支援活動を行っていらっしゃいました。
テント村という形は、これまで事例のなかったことだけに、
開設するまで様々な苦労がったそうです。
野口さん「(開設至るまでは)結構大変で
まず許可は出ないんですよ。これまでに事例がないので、
なんじゃそりゃということになるんですよ。
それで以前に岡山県の総社市で仕事をした時があったんですけと、
その時お世話になった総社市の市長・職員に協力してもらって、
総社市の職員と益城町の市長・職員を説得してもらうんですね。
それでも中々許可は簡単にでない中で、
総社市と野口健サイドで最後まで責任持って運営していきますと
話したら、最後の最後で許可を出してくれたんです。」


野口さん「ところがここから問題があって…
町長からのオッケーもらったので、
大量のテントを持って現場に行ったんです。
でも、避難所を運営している指定管理団体って
また別にいるわけなんですね。その指定管理団体が
今度は認めないぞって話しになるんです。
多分その時は指定管理の方が町より力が
あったのかもわからないんだけど、
もう現場は大混乱ですよね。認めないぞってあちら側は
言ってきて、僕らは町から認めてもらったと
言い張る状況だったんです。
この問題ですごい難しかったのは、彼たちも
彼らなりの言い分があって、公平性をどうするのかって
ことを言ってくるんですね。テント村には最大
600人しか入れない中で、入れなかった人が
いた場合はどうするのかと聞いてくるんです。
それで僕は、入れなかったもなにも
早い者勝ちでいいのでは?と言ったら絶句していましたね。
公平性をどうするかって問題は物資とかにもあるらしくて、
いろんな団体から支援がある中で、同じものが避難者に
1つずつ行き渡らないと返すって話になるらしいんです。
要するに公平性… 全員に同じものが行き渡らないと
配ってはいけないっていうのがあるみたいなんですね。」

「それで僕らと総社市が指定管理の方に提案したのは、
もうルールは破ろうと、ルールを守っていたら何もできない。
これ前提にしないと、全員を助けられなければ、
1人も助けてはならないってことになってしまうと伝えたんです。」


今夜の選曲: LEE HARVEY OSWOLD / SKATALITES

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2017年07月19日

人道支援に必要なスフィア基準とは?

アルピニストの野口健さんをお迎えしています。

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災害時、避難者に対する最低限の
(人権)プライバシーを守る
基準としてあるのが「スフィア基準」。
4月に発売された野口さんの
著書「震災が起きた後で死なないために」にも
この「スフィア基準」について綴られています。
野口さん「これは最初僕も知らなくて、避難所を作る時に、
エベレストのベースキャンプを再現すればいいと思ったんですね。
ベースキャンプも環境の悪いところに数ヶ月いるわけですから…
(避難所もベースキャンプも)心身肉体共に
休めるところでなくてはいけないので、
どうやったら、ストレスがたまらないかっていうのを
僕らはずっと考えるんですよね。
そこでベースキャンプがヒントになるんじゃないかって思って、
キャンプで使ったテントとかを熊本に持って行きました。
実際にテント村には、最大577人入ったんですが、
これまで震災時にテント村という発想がなかったので、
いろんな専門家が見にくるんですね。
その時に専門家のみなさんが口を揃えて
「スフィア基準」と言っているですね。
なんですかそれ?って聞くと「国際的な基準で、
避難してくる人の守らなければならない
最低限の人権(プライバシー)だよ。」って言われたんです。」

「本当にたまたまだったんですが、その専門家の
人が言うにはかなりスフィア基準に合格していると。
どういうことかというと、まず日本の避難所には仕切りがない。
要するにプライバシーがないということなんですね。
それが国際的なスフィア基準には完全に引っかかるんです。
先進国の中でいうと日本は3流国とも言われているそうなんですね。」

「(当時)テント村の人と話したんですけど、
究極のプライバシーってなんだ?ってなった時に、
やっぱり男女ってことになるんですね。
家が壊れるとか、周りにいた人が亡くなるとか
非日常的なことが起きると、
人間の生殖能力って高まるらしいんです。
確かに僕もヒマラヤに登った時にそんな経験があって…
だから人間ってピンチに追い込まれるほど、生殖能力が高まる、
それは震災においても同じなんだそうですね。
そう言うことを踏まえてもテントだったら
究極のプライバシーを少しは賄えるのかなって思っています。」


今夜の選曲: TEACH THE SKA / SKATALITES

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2017年07月18日

「ネパール大地震での支援活動、熊本地震の支援活動に繋がったネパール人からの恩返しとは?」

アルピニストの野口健さんをお迎えしています。

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2015年4月に発生したネパール大地震。
野口さんは当時、現地エベレスト(ヒマラヤ)の
ベースキャンプの入り口で被災されました。
野口さん「僕がちょうどヒマラヤに登っている時に、
81年ぶりの地震が起きました。
平均寿命が50代ぐらいの国なのでみんな地震を
知らないんですよね。耐震っていう概念も
もちろんないので、家なんてどんどん壊れていきます…
当時は、エベレスト(ヒマラヤ)のベースキャンプの
入り口にいたんですけど、震災直後は氷河の一部が
いろんなところで崩壊していました。
それが落ちた衝撃の大きな爆風が
ベースキャンプにも到達しまして、
テントとか全て吹き飛んでいったんです。
破壊力がものすごいので飛行機事故とか思うぐらいでした…
余震もすごくて、登山隊は降りようとするんですけど、
車ぐらいの岩がどんどん上から落ちてくるんですよね…
久しぶりにあれは死ぬかと思いましてたね…」

震災後、野口さんは現地に残り、
精力的に支援活動を行ってきました。
野口さん「しばらく現地に残ったんですよ。
それで何ができるかなぁと思った時に、
みんな家がないのでテントを集めようと。
5月に入ると雨季が始まるんですけど、
標高4000mぐらいのところにあるので、
雨が降るとすごく寒いんですよね。
もちろん避難所もないですし。
それでテントしかないってことになって、
大型テントを集め始めて、ヒマラヤの村々に
届けるという活動をしたんです。」

ネパール大地震から約1年後、熊本地震が発生。
野口さん「最初、熊本はやるつもりなかったんですけど、
そんな時にヒマラヤにいるシェルパ(登山隊)たちから
連絡がきたんです。去年のネパールの時は震災基金を
立ち上げて日本から募金を募って、
テント買ったりとか、家を直すとかしていったんですね。
彼らはそれをよく知っているので、
電話で「今、日本大変なことになっているから、
日本に恩返しがしたい」って日本語で言ってくるんですよ。
それで数万円、彼らからした月収の額を振り込んでくるんです。
もうこれは今回もやるしかないなと思いましてね、熊本の活動も始めたんです。」

今夜の選曲: EXODUS / SKATALITES

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2017年07月17日

避難所にこそテント村を。その可能性とこれからの有事の際に必要な事とは?

アルピニストの野口健さんをお迎えしています。

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4月にPHP新書から発売された
著書「震災が起きた後で死なないために」
この本のサブタイトルは『「避難所にテント村」という選択肢 』
となっています。このサブタイトルにした経緯について
野口さん「熊本地震の時は直下型ということもあって、
家がたくさん壊れましたよね。避難所である体育館も
屋根が落ちたりとかして、避難所として使えないところがあった。
そんなことがあって、(熊本地震は)車中泊が増えたんですね。
だったら、テントしかないだろう?ってところから始まったんです。」

野口さんは去年発生した熊本地震で
テント村の避難所を開設。手応えも感じられたそうです。
野口さん「テントって欧米に比べて身近ではないんですけど、
1つの可能性はあるなと思ったんです。去年は地震が起きてから
慌てて準備したんですけど、もっと事前に準備していれば、
大型テントとか簡易クーラーつけるとかできると思うんです。
それと電気自動車のアウトランナーっていうのがあって、
ガソリン満タンの状態であれば、一般家庭の10日分の電気が引けるんですよ。
このアウトランナーが数台あれば、600人規模のテント村は
余裕で賄えるんですね。なので、これからもっと快適な環境の
テント村の避難所を作っていきたいなと思っています。」

「避難所って基本楽しくなきゃだめだと思うんですよ。
避難所の体育館に行くとどんよりしているんですよね…
でもテントってアウトドア用品なので、色合いが明るかったり、
タープがついていたり、テーブルがあったりして結構豪華なんです。
写真で見るとキャンプ場です。悲壮感もないですし。
どうであれ、避難生活をしなくちゃいけないであれば、
どうやって気持ちを前に持っていけるかっていう雰囲気を
作っていくことが大事だと思うんです。」

今夜の選曲: FOUR CORNERS / SKATALITES

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2017年07月14日

7月17日から7月21日は

アルピニストの野口健さんをお迎えします。

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1973年アメリカ・ボストン生まれ。
世界7大陸最高峰登頂に
25歳で達成し、最年少記録を樹立された後、
アルピニストとして活躍する一方で、
エベレストや富士山の清掃、
熊本地震の支援など社会活動にも尽力されていらっしゃいます。

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2017年07月14日

【Podcasting 第539回 】浜井弘治さん

今回のポッドキャスティングは、
7月10日から7月14日放送分、ファッションデザイナーで、
「うるとら はまいデザイン事務所」代表の浜井弘治さん

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2017年07月14日

ファッションは過程が面白い!浜井流 モノづくりの魅せ方とは?

ファッションデザイナーで、「うるとら はまいデザイン事務所」
代表の浜井弘治さんをお迎えしています。

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浜井さんは山口県内の2つの大学でも
講義をしていらっしゃます。
浜井さん「1つは下関になる東亜大学というところと、
もう1つは山口県立大学ってところですね。
2校ともデザイン系の学科がありまして、
そこではファッションのことについて
少し触れてもらうだけですけど教えています。
例えばこんなワークショップをしています。
今、困っていることや周りの人が抱えている問題を
仕事にしてみましょうっていう課題なんですけど、
面白いアイデアが学生から結構出てくるんですよね。
例えば、今って飽食の時代で物が余るから地域の冷蔵庫を
作りましょうというアイデアなんですけど、
ある人にとっては捨てるものかもしれないけれど、
ある人にとっては必要なものかもしれない。だから、
それをみんなで共有しましょう! というもので、
すごい面白いアイデアだなと思いました。」


ファッションの面白いのは結果よりも過程だ!
と浜井さんはおっしゃいます。
浜井さん「ファッションは結果もそうなんですけど、
過程が特に面白いと思うんですよね。
ファッションって汗かいた部分をあまり見せないじゃないですか?
要するに匠の技っていうものですね。一見みせているようで
誰が作ったとか、どういう知恵で作ったとか見せないことが多いですよね。
昔 小黒さんがやっていた
雑誌とかでもよく過程を見せていましたけど、
それってすごく可能性があると思うんです。
ファッションってまだそれがうまく出来ていないんですよね。
僕はそこに興味があるので、もし僕が本とかを出すなら、
そういうファッションの過程が見える本がいいですね。」


最後に今後のビジョンについて
浜井さん「隈研吾さんがリノベーションした
廃校の中の一室に和紙デニムのインスタレーションを
作るんです。ある種の工場ですね。
廃校をもう1度工場として蘇らせようというもを
これからやっていこうと思います。」

今夜の選曲: SKY BLUE SKY / JEFF TWEEDY

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2017年07月13日

日本人の知恵を形にする。故郷 山口県での仕事について

ファッションデザイナーで、「うるとら はまいデザイン事務所」
代表の浜井弘治さんをお迎えしています。

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多くのデザイナーはファッションの本場である、
欧米で活動する一方で、浜井さんはファッションとは
一見無縁?とも思える地方、故郷の山口県で
現在は活動していらっしゃいます。
浜井さん「もちろん、欧米(のファッション)も
素晴らしい伝統がありますし、良いと思うんですけど、
日本人やアジアのアイデンティティみたいなものを
いつも考えていまして、ありとあらゆるものに
疑問を持つようにしているんですね。
ファッションの中心は何故欧米なんだろうとか、
もしそれがアジアだったらどうなるんだろうとか…
そう考えた時にもう1度、日本人やアジアの知恵を
形にしてみても良いんじゃないかって思うんです。
だから今はこういう地方での活動しているんです。」

故郷 山口県での活動、最初は
街に溶け込むのにも苦労したそうです。
浜井さん「今になってやっと友達ができましたね(笑)
最初は嫌われもんで… 私の考えも全然伝わらなくてですね、
なに言ってんだこの東京もんが! って
面と向かって言われたこともあります (笑)
思ったのが、東京って会議とかでも
言いたいことを言って終わりますよね?
ノーサイドってのが成り立つんですけど、
地方って、やっぱりちょっと引きずるんですよね。
相手の懐に入ることが大事なんだって
ことがその時に痛いほどわかりまして…
そこからですね、山口県のデザイン協会に入ったりして、
お互いに問題意識を共有したり、
痛みを分かち合うようにしたんです。」

今夜の選曲: IN A FUTURE AGE / JEFF TWEEDY

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2017年07月12日

竹を利用して白衣を作る。白衣ブランド「Tiger Bamboo DD」について

ファッションデザイナーで、「うるとら はまいデザイン事務所」
代表の浜井弘治さんをお迎えしています。

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浜井さんは現在、故郷の山口県を拠点に活動しており、
近年では白衣ブランド「Tiger Bamboo DD」を立ち上げています。
ブランド立ち上げになったきっかけは?
浜井さん「実は今、山口県のお医者さんと共同で
白衣の開発を行なっているんです。
「医師のデニム」というのがコンセプトで、
お医者さんにデニムを着せようじゃないかというものです。
そのお医者さんからは「僕に似合うデニム
作ってくれませんか? それでよかったら一緒に売りませんか?」
と最初言われたんです。でもその時僕は、白衣って世の中に
いっぱいあるので、お断りしようと思っていたんですね。
そしたら、その人が「今の白衣は人が着ることを何も考えていません」
「洗濯の都合、病院の都合で作ったような服だ!」と言っていたんです。
その言葉に、ハッとしまして…(笑)
それは確かにそうだなっと思ったんです。
白衣ってサイズ感も含めて誰にも似合わない上に、
ポリエステル100%なんですよね。あれだけ高収入の方が
こんなの24時間着るっていうのもおかしな話だと
思いましてそこからそのお医者さんと2人で
開発が始まって行ったんです。」


「Tiger Bamboo DD」のBamboo(=竹)は
山口県の竹を利用して作られているそうです。
浜井さん「竹は今 竹林公害と言いまして、
多すぎて困っているんですね。特に山口県は、
竹林公害の環境問題がありまして、
今は山・里山という概念がなくなりつつあります。
次世代への引き継ぎがなされていないんですよね。
放っておくと竹林になって、必要な杉の木とかを
死滅させてしまうという話を山口県の
県庁の方から聞きまして、「なんとか山口県の竹を
資源にできませんか?」とお願いされたんです。
でもこれは中々面白いなと思って、
竹を使った服の製作を始めてみたんです。」


今夜の選曲: HUMMINGBIRD / JEFF TWEEDY

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2017年07月11日

日本の知恵を探るとECOに繋がる。 もったいないから生まれる面白いさとは?

ファッションデザイナーで、「うるとら はまいデザイン事務所」
代表の浜井弘治さんをお迎えしています。

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浜井さんの手掛ける洋服には、ECOとの繋がりがあります。
このECO意識にたどり着いたのは
もったいないから生まる日本人の知恵への興味があったそうです。
浜井さん「日本の知恵を探るとECOになぜか結び付くんですよ。
最初からECOをやりたいと思っていたというよりは
日本人の知恵に興味があったんですね。
例えば勿体無いという概念、(日本人には)いつもある
概念なので、素材をどこまでも正しく使うんですね。
で、それを辿って行くとすごい理屈に
たどり着くことがあるんです。その連続の延長戦に
たまたまECOがあったということです。」

浜井さんは故郷山口県で、余った竹の端材を
利用して竹のボタンを製作しています。
浜井さん「竹ってそのままだと弱くて割れたりするのが
一部を炭素化することによって、別物にものになりまして、
プラスチックボタンの倍の強度になるんですよ!
メーカー共同の引き裂きテストもやりまして、
出てもちょっとした数値だろうと思っていたんですけど、
びっくりするぐらいの結果が出まして、みんなで驚いたんです。」

今夜の選曲: DAWNED ON ME / JEFF TWEEDY

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2017年07月10日

和紙を素材にファッションを考える。和紙に魅せられたきっかけとは?

ファッションデザイナーで、「うるとら はまいデザイン事務所」
代表の浜井弘治さんをお迎えしています。

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浜井さんには5月22日に開催された
ロハスデザイン大賞で、
ファッションショーを行って頂きました。
その際に使用した洋服は全て、
和紙の素材できた洋服だったそうです。
浜井さん「実はあの時、全て和紙の
素材でできたもので、ポロシャツやジーンズ、
ブラウス、ハーフコートなどもあったんですが、
全て和紙の素材でできたものを使用しました。」

和紙に魅せられたきっかけは?
浜井さん「最初はポリエステルって素材を自由に
開発してみたかったんですよ。
というのも、ポリエステルって
すごい汎用性が広いじゃないですか?
例えば、下着にもなればアウターにもなる。
暑い時にも寒い時にも使えるんです。
こんな素晴らしいものを1度で良いから
世界の人に広めてみたいって気持ちがあったんですよ。」
「まぁそんなこと簡単にできっこなかったんですけど…(笑)
でももしかしたら、何か忘れられている素材の中で
できるものがあるんじゃないか? とずっと探していたんですね。
そしたら高知県立美術館と島根の方の美術館に
たまたま行く機会あった時に、江戸時代のもので
和紙でできたレインコートを見たんですよ。
これひょっとしたら、軽いし日本人にも身近だしと思って、
試しに和紙でデニムを作ってみたんですよ。
そしたら、タマムシのように軽いデニムができたんです!
しかも軽くて、機能的なんです。これまでのデニムって、
カッコイイんだけど、夏 暑くて、冬 寒いので、
中々快適とは言えなかったんですね。
そこで和紙のデニムから、
和紙に関して可能性を見始めたということです。」


今夜の選曲: LAMINATED CAT / JEFF TWEEDY

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2017年07月07日

7月10日から7月14日は

ファッションデザイナーで、「うるとら はまいデザイン事務所」
代表の浜井弘治さんをお迎えします。

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1964年山口県 下関生まれ。
85年に文化服装学院を卒業され、
テキスタイルのメーカーを経て、三宅一生デザイン事務所に入社、
服飾デザイナーとして活躍された後、独立されて、
2006年に故郷・山口に「うるとら はまいデザイン事務所」を設立、
代表を務めていらっしゃいます。

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2017年07月07日

【Podcasting 第538回 】Rui(山下累)さん

今回のポッドキャスティングは、7月3日から7月7日放送分
Kangarui代表で、アーティストのRui(山下累)さん

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2017年07月07日

「Kangarui」 今後のビジョンについて

Kangarui代表で、
アーティストのRui(山下累)さんをお迎えしています。 

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ケニア ナイロビの人々のファッションについて
「民族衣装はあまり着ていなくて、
インターネットを使えるようになったせいか
インスピレーションを受ける機会がとても増えました。
パリとかニューヨークのファッションを取り入れて、
自分なりのアレンジしていくって人たちが増えていますね。」
「ファッションイベントもたくさん増えまして、
モデルさんたちもすごいカッコイイんですよ。
私自身もメンズウェアをこの前制作したですけど、
現地のカッコイイモデルさんに試着してもらいまして、
すごい評判が良かったです。」


「Kangarui」 今後のビジョンについて
「私の商品がカラフルなのは、ケニア人の
ポジティブな気持ちとエネルギーを
表現していると思っているんですね。
なので、私の商品を買ってくださる方たちにも
そういうい気持ちがちょっとでも伝われば良いな思っています。
あとは今、ケニアで密漁の問題が
深刻になっているんですが、そういう動物たちの
保護活動にも関わっていきたいなと思っているのと、
あとは今販売している商品をケニアだけでなく、
もっと多くの人に届けていけたらなと思っています。」

【「Kangarui」のアート作品・商品】
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今夜の選曲: ALL AROUND THE WORLD OR THE MYTH OF FINGERPRINTS / PAUL SIMON

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2017年07月06日

ケニア ナイロビでの商売、そのこだわりと思い

Kangarui代表で、
アーティストのRui(山下累)さんをお迎えしています。 

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Ruiさんの商品となるアート作品、
お皿などの作品はナイロビで、
バックやクッションなど、
生地にプリントするものに至っては、
日本で製造しているそうです。
Ruiさん「生地のデジタルプリントが、
ケニアには無いんですね。
私のアートってすごいカラフルなので、
ビビットにプリントできる技術は
日本が世界一と聞いていたので、日本で作っています。
やはり良いクオリティの物を作りたいと思っているので、
日本とナイロビで分けて作っています。」

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ケニア ナイロビで、なぜ商売をしているのか?
Ruiさん「いろんな人にどうして、
ナイロビでブランド立ち上げたの? とか
他の国の方が儲かるんじゃない? とよく言われるんです。
それはそれで本当にそうだと思うんですが、
私の夢として、またケニアに戻るということがあったんです。
ケニア自体も新しいものが今たくさん出てきている時期で
クリエイティブな人たちも出てきている中で、
私もそのうちの1人になりたいなと思ったんです。
現地の人は私のことををローカルデザイナーとして
みているんですけど、実際に現地の人に商品を見せたら、
ケニア人もこんなの作れるんだ! すごいじゃん!って
言ってくれまして、それがすごい嬉しかったんです!
これからも頑張ろうと思いました。」

Ruiさんの商品の詳細は下記のリンクから!
オフィシャルサイト【Kangarui


【「Kangarui」のアート作品・商品】
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今夜の選曲: GUMBOOTS / PAUL SIMON

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2017年07月05日

Kangarui設立のきっかけと、ケニアでの商売

Kangarui代表で、
アーティストのRui(山下累)さんをお迎えしています。 

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ケニアを始めとするアフリカは、
貧しいというイメージがありますが、
実際に現地に住まれているRuiさんの
イメージは少し違うようです。
Ruiさん「人はすごい明るいんですよ。もちろん、
日々色々な問題はあるんですけど、多分その問題が
あるからこそみんな毎日を100%に生きようと
思っていると思うんですね。なので、
すごいエネルギーもありますし、最近はアートとか
芸術分野のシーンの方とかも出て来ていて、とても
エキサイティングな場所だと思います!」


日本での就職後、再びケニアに渡ったのが去年の9月。
ケニアでブランドを立ち上げて、
ビジネスを始めたきっかけについて
Ruiさん「4年前はドイツに住んでいたんですけど、
暇な時間がアート作品を好きなように作っていたんですね。
そしたら、全部カラフルで動物の入った
アートになっていたんです。その時に
「あ〜… ケニアが恋しいんだなぁ」って思って…
そのあと日本で2年間住んでいたんですけど、
ケニアにもう1度住んでみたいなと思うようになりまして、
自分の商品を少量作ってマーケットリサーチをしてみたんですね。
そしたら、現地の人は新鮮に思ってくれたようで、
お店の方々が置いてくれたりとか、
直接購入してくれたりとかしてくれて、
これは自分の商品でビジネスが
できるかもしれないって思ったんです。」

【「Kangarui」のアート作品・商品】
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今夜の選曲: I KNOW WHAT I KNOW / PAUL SIMON

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2017年07月04日

グローバルシティズンという考え方

Kangarui代表で、
アーティストのRui(山下累)さんをお迎えしています。 

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Ruiさんは18歳までケニアで過ごされた後、
大学はイギリスのティンガムトレント大学に進学。
グラフィックデザインを学ばれました。
Ruiさん「イギリスの大学卒業してからは、
少しインターンとしてロンドンで働いていたんですけど、
日本に住みたいという思いもあったので、
23歳ぐらいに日本に戻って就職しました。」

大学卒業後の日本に戻った理由として、
Ruiさん「デザイナーとして、(日本は)憧れる場所ですね!
色々なインスピレーションもありますし、
(日本で)学んでみたいなと。あとは、
もちろん国籍も日本人なので、日本のことも
もっと知りたいなという気持ちもありました。」

実際に日本に住んでみてイメージと違ったことは?
Ruiさん「母親の日本語しか学んでいなかったので、
日本がちょっとオバさん日本語で笑われたりして…(笑)
あと1番衝撃だったのが、最初に就職した会社でなんですが、
バックからりんごを取り出して丸噛りしたら、
上司の方に「女の子はそんな風にして食べないよ!」って
怒られて…(笑) 「タッパーに入れて持ってくるんだよ!」って
言われて、日本って色々なルールがあるんだなぁって…(笑)」

日本に在住して、色々な戸惑いもあったRuiさん。
悩んでいたりした時期もあったそうです。
そんな中「グローバルシティズン」という
考え方に辿り着きました。
Ruiさん「日本人から受け入れられなかった
部分も多くあって… だからと言ってケニア人かというと
そうではないし… どこから来たの? と聞かれた時に答えが
中々わからなかったんですね。
そんな中で、そういうことは関係なく、
個人個人みんな違うように、国籍とかも関係なく、
グローバルな人として見て欲しいなと思いました。」

【「Kangarui」のアート作品・商品】
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今夜の選曲: WORLD CITIZEN〜 I WON’T BE DISAPPOINTED〜 / 坂本龍一 + DAVID SYLVIAN

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2017年07月03日

ブランド名への思いと、ケニアで過ごされた幼少期について

Kangarui代表で、
アーティストのRui(山下累)さんをお迎えしています。 

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インテリア&アクセサリーブランド「Kangarui」
このブランドについて
Ruiさん「インテリアグッズやアクセサリーを
作っているんですけれども、自分の作ったアートを
商品にプリントして販売しています。」
「(ブランド名は)ホロホロ鳥という鳥が
スワヒリ語で『カンガ(Kanga)』っていうんですが、
それと私の名前のRuiを合わせて、『Kangarui』ってしたら
なんとなく、オーストラリアの動物みたいで覚えやすい
かなと思ってこの名前にしました!」

※ホロホロ鳥:アルジュエリア、モロッコにあたる、
熱帯地方に生息するキジ科の鳥。


【Ruiさんと「Kangarui」のアート作品・商品】
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Ruiさんはお父さんの仕事の関係で、長く海外生活をされ、
中でもケニアは1番長く過ごされました。
Ruiさん「4歳から18歳までケニアにいて、
その間2年ぐらいはインドネシアいた時期もあるんですが、
主にナクルとナイロビで過ごしていました。」
「ナクルはケニアの中でも4番目に大きい都市で、
インターナショナルスクールもあります。
ここは、黒人やインド人の方が結構いました。
日本人は、ほとんどいなくて、、、(笑)
私と弟とあと2人ぐらいでした。
「父がジャッキーチェンだったとか、ジョークで言うと
信じてくれたりとか、世界で1番すごい文房具を
Ruiは持っていると思われてしょっちゅう盗まれていました (笑)」

今夜の選曲:UNDER AFRICAN SKIES / PAUL SIMON

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