2018年01月31日

著書「テンカウント」から学ぶ、”ボクシング”というスポーツとは?

ノンフィクションライターの黒井克行さんをお迎えしています。

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黒井さんの著書「テンカウント」に
ついて教えて頂けますか?
黒井さん「ちょうどこの本を書くきっかけに
なったのが、実兄がプロボクサーだったんですね。
それで不幸なことにリングの上で亡くなることに
なるんですが、それがきっかけになりまして、
兄貴が入り込んだボクシングの世界ってどんな世界
だったのだろうって思ったのが最初なんです。
以降、兄貴のトレーナーだった方をずっと追いかけて
一説の本にしたのが、「テンカウント」なんです。

大学では「テンカウント」を参考文献に、
ジャーナリズム論を教えられているそうですが?
黒井さん「そうなんです。ある女子学生は、
「なんでよりによって血を流すボクシングなの?」
「殴り合って何が面白いの?」と聞いてきました。
(でもこの本を読んで貰って)自分の本をこういう風に
言うのは大変恐縮なんですが、「心を打たれました!」
「いい本をありがとう!」と言ってもらいました。
どこに彼女、彼らが打たれたかと言いますと…
もしかするとボクシングをやった人にしかわからない
世界かもしれませんが、この本の主人公が言うんです。
“ボクシングは紳士のスポーツである” と。
紳士のスポーツでなければ、ただの喧嘩であって殺し合い
でしかないと。そういうフェアな気持ちでやるということが、
ボクシングの大前提であるということなんですね。」

今夜の選曲:UP ON THE ROOF / BOYZ Ⅱ MEN

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2018年01月30日

闘将 星野仙一監督が選手から愛されるわけとは?  キーワードは”義理人情”

ノンフィクションライターの黒井克行さんをお迎えしています。

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先日亡くなった星野仙一監督、
たくさんの選手、関係者から尊敬されていた
と思いますが、そのお話について聞かせてください。
黒井さん「星野さんにまつわる追悼番組だとかを
いろんなメディアでやられていると思うんですが、
それだけ星野さんに対する評価があった
ということではないでしょうか。」

特に星野さんに感謝しているのは、
殴る蹴るといったスパルタ指導を
受けた選手だったようですが?
黒井さん「例えば、中日時代に中村武志というキャッチャーが
いたんですが、この人は特に殴られたんです。
殴られて殴られて、ヘルメットが被られないぐらい…(笑)
ただ、殴ることによっての見せしめというのも
あるんですね。つまり周りに対する見せしめだったかもしれません。
星野さんは、殴る蹴るもあるんですが、どちらかというと
“義理人情”なんですよ。例えば、トレードとかで自分の
チームから他所に出すときにですね、星野さんは
ちゃんとフォローをするんです。有名な話だと
中日から巨人にトレードになったという時に、
名古屋駅に選手を見送りに行くんですね。
そして、引退するっていう選手にもですね、
いろんな就職の世話だとかもするんです。
そういうところが同性にもモテるんじゃないですかね。」

今夜の選曲:A THOUSAND MILES AWAY / BOYZ Ⅱ MEN FEAT.TAKE 6

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2018年01月29日

マラソン、高橋尚子と小出監督の壮絶な練習の裏にあったエピソードとは?

ノンフィクションライターの黒井克行さんをお迎えしています。

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最近、黒井さんはスポーツの中でも指導者に
興味を持たれているそうで、「新潮45」では、
“「人を育てる」流儀”という連載も行なっています。
黒井さん「結局選手が栄光を掴むというのは、
彼らのパフォーマンスだけではなく、
“指導力”無くしては語れないということなんですね。
この選手の陰に、この監督の指導アリ!というのが
確実にありますね。2人3脚です。」

ここでは、小黒と知り合うきっかけになった、
高橋尚子(Qちゃん)と小出監督のお話を聞かせて頂けますか?
黒井さん「ひとことで言うと”信頼”ですね。
Qちゃんがなんで金メダルを取られたかというと、
世界1の練習、考えられない練習を熟していたからなんです。
それがなぜできたかというと監督に対する”信頼”が
あったというのが1番なんですね。
この関係には当時、誰も入り込めない感じでした。」

黒井さん「あそこ(Qちゃんが練習していたボルダー)は
アスリートの聖地と言われているんですね。
マイルシティで高地トレーニングに良いということで、
要するに心肺機能を鍛えるマラソンランナーがいっぱいいました。
ただQちゃんはそこでもやって、さらにそこから
2000m上がって、3500mでトレーニングしたんです。
そこでは誰もトレーニングしてないんですね。
ここが小出と高橋の凄さなんです。
どういうトレーニングだったかというと、
22、23km永遠登りっぱなし、下は砂利道でって
ところを3500mでやるんですよ。これは
男子の選手でもすぐに逃げ出したくなるメニューなんです。
監督言ってましたけど、鼻水流しながらやって
親、兄弟には見せられてない顔だって言っていました。
それぐらいの凄さ。今まで言われていたスポーツ科学とは
言えないような精神論的な部分もあったと思います。」

今夜の選曲:WHY DO FOOLS FALL IN LOVE / BOYZ Ⅱ MEN FEAT.JIMMY MERCHANT

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2018年01月25日

1月29日から2月1日は

ノンフィクションライターの黒井克行さんをお迎えします。

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1958年北海道旭川市生まれ。
早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経て、
ノンフィクション作家として独立され、
人物ドキュメントやスポーツ全般に
わたって執筆活動をされています。
主な著書に『高橋尚子夢はきっとかなう』、『テンカウント
『工藤公康プロフェッショナルの矜持』などがあります。

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2018年01月25日

【Podcasting 第566回 】若林雅人さん

今回のポッドキャスティングは、
1月22日から1月25日放送分、
美術作家の若林雅人さん

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2018年01月25日

小黒一三との再開は、たまたま乗ったタクシーの中 !?  美術作家”若林雅人”が運転手をしていた理由とは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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近年の音楽活動の方は如何でしょう?
若林さん「フラメンコギターをずっとやってきましたけど、
それをちょっと今は置いて、ハウスミュージックを
やっています。それでそのハウスミュージックの中に
ギターを取り入れた音楽を”岡田さん”という
男性と一緒に作っているんです。ハウスミュージックに
すごい詳しい方で、彼がコンピューターの方をやって、
僕が生ギターを弾いています。それをミクスチャーして
新しいものを作れないかなということを今は作っています。」

小黒一三と久々に再開したのが、
若林さんが運転するタクシーの中だったそうですが、
その時のことについて詳しく教えてください。
若林さん「突然、小黒さんが現れてパッと手を
挙げられたのでもうこれは逃げられないなと…(笑)
でもその時、小黒さん優しかったですよね。
小黒さんは最初気づかなくて、ちょっと走り出してから
私が「小黒さんですよね?」って声かけたら、
小黒さんは「あんた誰?」って聞かれたので、
車止めて「小黒さん、若林ですよ」って言ったら、小黒さんに
「バカやろー!」って言われて1万置かれましたよね(笑)」

小黒「僕が心配したのは体だよね。いい歳になって
タクシー運転手もやって大変なんじゃないかって…
でも、タクシードライバーって楽しいでしょ?」

若林さん「最初は大変だったんでした。
1日に30組〜40組ぐらい乗せるんですけど、
そうすると1人ずつ乗せても30、40人の人には
会えて、それが月で500人ぐらいの人とお会いできるんですね。
中には、知り合いも乗ってきたりするのですが、
1番困っちゃうのは、フラメンコのファンの人が
乗ってきちゃうこともあるんですよね。そうすると
小黒さんと同じリアクションで「なんで〜?」っていう
リアクションなんです。(笑)
この仕事を始めたきっかけっていうのが、
どうやったら東京に慣れるだろうかっていうのが
目的だったんですね。例えばこのJ-waveの
スタジオから東京の夜を見たときに、
すごい光の海が待っているでしょ?
そういう風な作品を作るにはどうしたらいいのだろうって
いう時のリサーチとしてこの仕事は最高だったんですね。」

今夜の選曲:SUNSHINE RAIN SPECIAL EDIT1 / 若林 雅人

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2018年01月24日

滞在先のロンドン・チェルシーアートカレッジで 起こった珍エピソードとは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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ロサンゼルスで美術、マドリッドで古典絵画、
ロンドンで彫刻と様々なことを学ばれていますが、
率直にいかがでしたか? 日本との違いなどは?
若林さん「ロサンゼルスは、コマ単位で、
デッサンをやったぐらいで、あとは独学でした。
マドリッドで1番ビックリしたのは、
今あるかわかりませんが、裸のデッサンです。
日本でやったら、1時間1000円とかで
やったりするんですけど、マドリッドだと
年間1000円ぐらいで、1日8時間、
好きな時間に勝手に入って裸体デッサンをできるですね。
男の人もいれば、お婆ちゃんも若いモデルさんもいて、
みんなスッポンポンで立っているわけです。
それをみんな普通に書いて、自分の好きなデッサンを
書いたら帰るってことをしているんですね。
なんでこんなに自由なことができるんだ?って思いました。」

「それからロンドン。ロンドンは教育に関して素晴らしくて、
例えば、私は“チェルシーアートカレッジ”って
ところにいたんですが、そこは元々、
レンガでできた工場だったんですね。
そこを中で仕切って、1人ずつスタジオがあるって感じなんです。
その時に、私はギター好きだったのでスタジオの中で
ギターを弾いて作品を作るってことをしていたんですね。
でも天井が筒抜けだから、音が抜けちゃって迷惑だったんです。
そうしたらある時、「ちょっとうるさいんだ」と言われました。
それで、シーラって言う学部長に
私から「なんとかできないか?」とお願いしたんです。
そうしたらテクニシャンの音楽専用教室が空いたから
使っていいよと言われて、そこを使ったんですね。
ひとつ面白かったことがあって、大学に入って
最初に作った作品がレンガの塀に穴を開けて
自分専用の出入り口を作ろうと思ったんですね。
なんでかっていうとロンドンって壁がレンガで
できるものが多くてすごい重たくて閉じ込められている
印象だったんです。ヤダな… と思って自分だけが
出入りができるようなドアを作ろうと思って、
入学してしばらくしてから、ブロックを壊しはじめたんです。
そうしたらしばらくして、セキュリティの人が来て…
「君はやっているんだ!?」と言うんですね。
私は「違うんだ、これはアート作品なんだ」
「自分専用の出入り口にしたいんだ」って言ったら
「ふざけるな!」と言われました…(笑) それでまた、
シーラになんとかならないかと相談をしたんですが、
「レギュレーションでできないんだ…」と言われたんです。
まぁそこまでは普通だとは思うんですが、
1ヶ月ぐらいしたら、シーラが「ちょっと見せたいものがある」
と言って車に乗せられたんです。ホワイトチャペルの空き地の
方まで連れて行かれたんですが、そしたらシーラが
「あそこに大きなレンガの壁があるでしょ?」って言ってきたんです(笑)
好きなだけいけということで…(笑)  でも優しいですよね、
ここなら文句言われないよって言われて笑っちゃいました(笑)…」

今夜の選曲:BOYS KEEP SWINGING / DAVID BOWIE

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2018年01月23日

四谷で開催中の展覧会「Obsession Conception Possession」、その見どころとは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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若林さんが参加されている展覧会
Obsession Conception Possession」が、
四谷ひろば CCAAアートプラザ ランプ坂ギャラリーで
現在開催されています。
これはどんな展覧会となっているのでしょう?
若林さん「これは代々木上原のギャラリーで、
“20202”というギャラリーがあるのですが、
サウンドアートなどで、マニアの人たちが注目している
ギャラリーです。そこの”藤本ゆかりさん”って方が企画された
展覧会なんですけど、(テーマが)”Obsession Conception Possession”
アート作品っていうのは、思いやこだわりがあって
いろいろ試行錯誤される。それがコンセプトになって、
最終的に第3者、もしくは美術館などに所有されるという
アートを巡る物語をテーマにした、3人のアーティストの展覧会です。」

若林さんの作品「光の行方」
これについて教えてください。
若林さん「これは、2001年から撮影を始めて、
ずっと発表することなく撮り続けてきた写真の作品
なんですけど、小さな懐中電灯をひたすら
くるくると回すんですね。回数にすると2000回ぐらい。
1時間に1枚ぐらいしか取れないので、
一晩で2枚から3枚ぐらいしか取れないんです。
それを東京都内の演奏会場だったりとか、
公園とか。あとは地方行ったりとか、
山奥行ったりとかして撮った写真の作品なんですね。
16年ぐらい撮り続けて1000枚ぐらい撮ったんですけど、
そのうち発表できるのは限られていて、
20〜30枚ぐらいの発表になると思います。」

会期中、1月28日(日) には若林さんによる、
トーク&ギター演奏のイベントも予定しています。

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展覧会「Obsession Conception Possession
会期:2018年1月21日(日)~2月6日(火)10:00~18:00
休み:木曜日
会場:四谷ひろば CCAAアートプラザ ランプ坂ギャラリー
入場料:500円

[会期中イベント]
1月28日(日) 18:00-19:30 若林 雅人 トーク&ギターソロ 1,000円
2月4日(日) 16:00-19:00 古屋 俊彦 トーク ゲスト:佐藤 実 1,000円
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今夜の選曲:SOUND AND VISION / DAVID BOWIE

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2018年01月22日

世界各国で学んだ美術作家の多彩な才能のとは?

今週は美術作家の若林雅人さんをお迎えしています。

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ロサンゼルスで美術、マドリッドで古典絵画、
ロンドンで彫刻と様々なことを学ばれていますが、
日本で学ばれようと思ったきっかけは?
若林さん「芸大を受験をする前に、大学の先生たちって
どういうことを教えているのかってことを
浪人生する前に調べたんです。すると私の
やりたいことって当時大学では教えていなかったんです。
で、最初アメリカに行ってコンセプチュアルアートを学んだんです。
(コンセプチュアル・アーティストの)河原温氏がもともと好きで…。
で次に原点に戻って古典絵画の
勉強しにマドリッドに行ったんです。
古典絵画っていうのは宗教画で板絵に膠(にかわ)を塗って
その上にさらに、布を貼って白い油絵の具なんかで
書いていったりするんです。絵の具の使い方、油絵の具が
基本でしたけど、プラド美術館で3年ほど学びました。」

「ロンドンに行ったきっかけは、マドリッドに
行った時にどうしても現代美術への関心が忘れられなくて…
その時に北九州の赤松に”CCA Kitakyushu”っていう
日本で唯一の現代美術の研究所があるんですが、
それを立ち上げた”中村 信夫さん”が北九州で
1週間セミナーをやっていたんですね。
それに参加したくて、マドリッドから日本に一回帰ったんです。
その時にセミナーで一緒に教えていた先生で、
”ナイジェルノロフ”さんというパフォーマンスの方が
いらっしゃって、ナイジェルさんから「これから
君は日本でどうするつもりだ?」ってことを聞かれた時に、
私は「ちょっと困っちゃっているんですよね」って答えたんです。
そしたら、「ロンドンの大学院に入れるからおいでよ」って
言って頂いたんですね。でも私はそもそも高校出た後、
大学も行かずにふらふらしていたもんですから、
大学院に入れる資格はないんですよね。そしたらナイジェルさんが
「そんな関係ない、僕が入れるから心配するな!」と言うんです。
で、一回ロンドンに遊びに行ってみたんですね。その中で
“チェルシーアートカレッジ”っていうのがあって、
そこに入りたいって言ったら、面接とA4の紙とちょっと書いたら
特待生で合格しちゃったんですね。」

今夜の選曲:お富さん / 歌:堀越千秋 ギター:逢阪剛

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2018年01月18日

1月22日から1月25日は

美術作家の若林雅人さんをお迎えします。

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1965年東京生まれ、
ロサンゼルスのサンタモニカ・カレッジで
美術を学んだ後、スペイン、マドリッドで、
古典絵画技法の研究をされます。
そして、ロンドンのチェルシーアートカレッジ大学院彫刻科で
マスターを取得。美術作家として作品を発表される一方で、
フラメンコギタリストとしても活動をされていらっしゃいます。

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2018年01月18日

【Podcasting 第565回 】渡辺陸さん

今回のポッドキャスティングは、
1月15日から1月18日放送分、
浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さん

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2018年01月18日

浅草の中にある”ペリカン”を大事にするその理由とは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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今回、ドキュメンタリー映画の製作、
二見書房から出版された『パンのペリカンのはなし』の
広報活動の方も担当されているということですが、
この映画、本で何を1番伝えたかったのでしょう?
渡辺さん「パンの美味しさというよりかは、
“ペリカン”っていう店の成り立ちだとか、物語とか…
あとは、浅草という街の話を取ることができればなと
思いました。うちは、”ペリカン”としてのお店ではなく、
浅草の中にある”ペリカン”として成立している部分が
たくさんあるので、浅草という土地にはすごい助けられているんです。
そういうのを見てわかればなと思っていたので、
町内会とか映してくれていてすごい嬉しかったです。」

浅草って言えば「三社祭」、
近年では「サンバカーニバル」なども始まりましたが、
渡辺さんの思う浅草の魅力ってなんでしょう?
渡辺さん「浅草の好きなところ…
こう言うと浅草の人怒るかもしれないですけど、
いい意味で適当なところが好きなんですよね。
歴史のある街ってイメージですけど、
結構新しいもの好きですし、お神輿とかも…
最近ちょっと勉強したんですけど、
結構みんな適当に担ぐ時の服装も変わっているみたいで
そういうところがいいなって思います。
緩いんですよね、面白ければいいってところがあるので。
あと僕が聞いているので、面白かったのが、
(かつて)徳川幕府から、浅草の三社祭は”祭り”として
認められていないということを聞きたんです。
理由は、神田で有名なお祭りが徳川にとっての
お祭りだったらしいんですが、浅草って商人の街なので
それなりに当時も盛えていんたんですね。
で、調子に乗って徳川幕府よりもでかい山車を作ったら
怒られて神輿になったっていう話で…
あ〜当時からこういう感じだったんだなって思いました 笑」

今夜の選曲:HENRY THE GREAT / JACIKE MITTOO

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2018年01月17日

お店を継ぐきっかけになった出来事とは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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2代目店主が以前ソトコトに語ったのが、
後継者の育成が大きな課題だということ。
陸さんが4代目になろうと決めたのはいつ頃だったのでしょう?
渡辺さん「高校生の時に、パン屋になる
ならないの話はふわっとは聞いていたんですが、
おじいちゃん(2代目)からは、「お前が4代目継ぐんだよ」と
はっきりと言われたことがなくて、継いでも継がなくても
どちらでもいいって感じだったので、どっちにも振れるように
(大学は)経済ぐらいにしておこうって思って大学入ったんです。
それで、大学を卒業する前に、おじいちゃん(2代目)が
亡くなってしまったんですね。で、3代目は私の父親ではなくて
母の兄あたる叔父がやっていたんですが、その叔父から、
「おじいちゃん亡くなってお店も大変なんだが、お前が
良ければ継がないか?」と話を頂いて、そこで初めて
「やらせて頂きます」とお返事して入ったって感じですね。」

パン職人として1人前になるにはどれくらいかかるのでしょう?
渡辺さん「少なくとも5年ぐらいはやらないとダメかなと
思います。どんな食べ物もそうだとは思うんですが、
冬の配合と夏の配合は違いますし、配合以外にも
製法とかで多少変化をつけないとダメですし…
やり方自体は正直1週間ぐらいで覚えられると思うのですが、
調整の仕方を覚えるのに1年ぐらいはかかりますし、
調整の仕方が身に付いたからってプロ名乗れるのかって
言ったらダメだよねってなると思います。
私の個人的な話になるんですけど、少しはできるかなって
思ったのが5年ぐらいだったので、それぐらいはかかりますね。」

今夜の選曲:HOT TAMALE / JACKIE MITTOO

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2018年01月16日

コンセプトは、”ごはんのように毎日食べられるパン!” 老舗のパン屋の「味へのこだわり」とは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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二見書房から出版された『パンのペリカンのはなし』にも
綴られていましたが、2週類のパンしか売らないという
こだわりを教えてください。
渡辺さん「(お客さんから)1番言われるのは、
モチモチとしていて美味しいということですね。
それとこれは初代からのコンセプトなんですが、
”ごはんのように毎日食べられるパン”を目指したい
というところから始まっています。初代の時代は、
パンって晴れの日に食べるものというか、あまり常食
するものではなかったんです。でも初代は結構新しいもの好きで、
先見性のある人だったので、毎日食べられるものを
作るっていうのをずっとコンセプトにしてやっていましたね。
実際、私自身も毎日食べられるなと思いますし、
食べて頂いている常連さんもたくさんいらっしゃいますので、
それだけは自信持って誇れることだと思います。」

“ペリカン”という名前になったきっかけを教えてください。
渡辺さん「ペリカンはですね、初代からではなくて
2代目からなんです。初代の時代はお惣菜パンとか
菓子パンとかもやっていたんですけど、2代目で業態を
ガラッと変えて2種類しか作らないということにしたんですね。
その時に、名前とロゴも変えたんです。
“ペリカン”という名前の由来はおじいちゃん(2代目)の
学生の頃のあだ名だったんです。
結構、下顎がしっかりしていた人だったらしく…(笑)
手前味噌ではありますのが、ロゴだったりとか店名は好きなので、
すごい良いもの作ってくれたなと思っています。」

今夜の選曲:KILLER DILLER / JACKIE MITTOO

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2018年01月15日

予約なしでは中々買えない! 老舗パン屋のブームのきっかけとは?

今週は、浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんをお迎えしています。

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まず渡辺さんのお店、”ペリカン”をご紹介いただけますか?
渡辺さん「うちはパン屋としては老舗と言われるんですが、
現在までで創業75年となりました。ただ、75年は浅草の中だと
老舗のうちには入らなくて、100年、200年のお店がたくさん
ありますので全然浅草の中だと、老舗とはあまり言えないんです。
一応紹介して頂くときには、 “老舗のパン屋さん”ということで、
紹介されます。パン屋さんとして珍しいのは、
食パンとロールパンだけの2種類に絞ってやらせて頂いております。

収録時は、焼きたてパンを持って来て頂きました!
1日どれぐらいの量を作られているんですか?
渡辺さん「1日、食パンで言ったら、500本とか、
400本以上は必ず作っていて、
ロールパンは、約4000個は作っています。
(スタジオに持って来たのは)、2斤の食パンになります。
こちらは1つ760円(税込)です。半分に切ってある1斤の食パンが
皆さん1番買われていて、こちらは380円(税込)になります。
見た目も小さくて可愛いですし、手頃なので買って行くお客さんは
多いですね。特にお土産で買われる方が多いです。

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最近は予約無しでは中々買うことができないとお聞きしましたが、
いつ頃から、こんな人気になってこられたのでしょう?
渡辺さん「きっかけは、90年代の前半ぐらいに、
アド街ック天国(テレ東)に出させて頂いたことが大きかったかも
しれないです。ちょうどバブルが終わったぐらいですね。
バブルの時が1番調子悪くて… 多分味覚も
派手なものが好まれて、クロワッサンとか華やかなものが
青山とかに出てきていて、そもそも浅草にあまり人がいない
時期でもありました。でも最近では、スカイツリーが
できる前ぐらいから、人が溢れるようになってスカイツリーの
影響は本当に凄かったですね。」

今夜の選曲:GET UP AND GET IT / JACKIE MITTOO

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2018年01月11日

1月15日から1月18日は

浅草・田原町のパン屋・ペリカン
4代目店主 渡辺陸さんです。

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1987年東京生まれ。成蹊大学卒業後に、
東京製菓学校で学ばれ、2014年に浅草の
パン屋・ペリカンを継いで、4代目店主になられます。
創業75年の昨年に、
ドキュメンタリー映画『74歳のペリカンはパンを売る。』が
公開となり、秘話などが綴られた本『パンのペリカンのはなし』が
二見書房から出版されています。

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2018年01月11日

【Podcasting 第564回 】指出一正さん

今回のポッドキャスティングは、
1月9日から1月11日放送分、
ソトコト編集長の指出一正さん

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2018年01月11日

田中元子さん 著書「マイパブリックとグランドレベル」から考える、 地域を面白くするアイデアとは?

今週は、ソトコト編集長の指出一正さんをお迎えしています。

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最近は東京でも地域性の高い動きが多いように感じますが、
東京ではどこの地域が面白いでしょう?
指出さん「以前は東が面白いという視点でいたんですが、
今は東も西も面白いです。その中でも、墨田の方に
喫茶ランドリー”というのができたんです。そこは、
コーヒーも飲めるんですが、コインランドリーでもあるんですね。
こうやって、街に自分たちのお店を開く運動をやっているのが、
「グランドレベル」という会社やっている田中元子さんです。
彼女は”マイパブリック”を提案しています。
”マイパブリック”というは造語で、自分の公共という意味ですから、
公共を自分化する、もしくは自分で公共のものを
作ってしまうという活動をしているんです。
屋台でコーヒーを振る舞ったりですとか、地元のお母さんたちと
料理教室を開いたりですとか、コインランドリーなので
待っている間にコーヒーを飲んだりとかしていますね。
こういうマイパブリック化みたいなことをしている
墨田・森下エリアなんかは今面白いですね。」


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収録時、田中元子さんの著書「マイパブリックとグランドレベル」を
スタジオにお持ち頂きましたが、”グランドレベル”ということは
1階に秘密があるということでしょうか?
指出さん「そうなんです。これからは1階がキーワードに
なりそうですね。グランドレベルっていうのは、
カッコイイ街やオシャレな街、人に開かれた街っていうのは、
1階から街づくりをしていくっていう考え方を
田中さんは提案しているんですね。
確かに1階にあるお店の店構えを見てみると
セキュリティを大事にしていて、開かれてない面構えが多いんですね。
それを昔みたいに、タバコ屋さんにおばあちゃんが
立っているとかいう形で、開かれている1階を作っていくことが、
実は街を楽しくしていくっていうことを
田中さんは気がついて提案しているんです。」

指出さん「田中さんの本「マイパブリックとグランドレベル」、
私は「ぼくらは地方で幸せを見つける」を書かせ頂いたんですけど、
田中さんがおっしゃられていることと、私の地域を面白くしよう
という視点はローカルであろうと都市であろうと変わらないと
思うんですね。その場所を面白くしていくのは、
誰かにお願いするんじゃなくて、自分の足元レベルで面白いことを
作っていけば良いんじゃないか? と思っている人たちが
街を変えていっていると思います。東京の街を足元、
1階から変える人たちが出てきたので楽しくなってきました。」

今夜の選曲:PAPERBACK WRITER / HERD PEDERSEN

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2018年01月10日

益々加速する地域活性化、地域の魅力を発信する若者たち。

今週は、ソトコト編集長の指出一正さんをお迎えしています。

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ソトコトが地域と関わり合いを持つきっかけになったのは、
島根県だったとお聞きしましたが、最近の島根県との活動は?
指出さん「島根県とは変わらずいろんな事業を
ご一緒させてもらっています。ソーシャル人材育成講座の
“しまコトアカデミー”に始まり、あとは島根の企業さんたちと
東京の若い人たちとが出会う ”しまコトしごとカレッジ”
というお兄さん講座も始めました。(この講座を始めて以降)
いろんな仕事が島根にはあるんだということをわかってくれて、
お互いの距離が縮まったんですね。地域で働くというのは
東京とはまた違ったレイヤーだったりするので、
それを知ってもらう講座を行なっています。」

ソトコト1月号では、”リトルプレス図鑑”という企画が
ありましたが、この企画のカタログとなる
地域マガジンなどは、どういう人が発行しているのでしょう?
指出さん「その地域にUターンやIターンをしている人で、
地域の魅力が発信されていないなと感じている若い人たちですね。
意外とクリエイターたちは各地域に戻っているんですよ。
私が思うに、ここ5年ぐらいで地域にクリエイターがいるようになってる、
しかもその地域に仕事として関わりを持つようになった結果、
印刷物だったりWebメディアだったりが発行されるように
なりました。これは絶えることなく、続々と生まれていて
今日なんかもまさしく、新しいリトルメディアが発刊されました! と
私のSNS上に流れてきたりするんですね。
しばらくはこの形で自分たちの街の良さを、自分たちの視点で
見つけて、それを共有できるように冊子化されていく。
この流れは変わらないんじゃないかと思いますね。」

今夜の選曲:IF I CAN SING A SONG / HERD PEDERSEN

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2018年01月09日

昨年の活動から見る地域の街づくりと魅力。 キーワードは”関係人口”

今週は、ソトコト編集長の指出一正さんをお迎えしています。

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まず2017年の振り返りからですが、
実に去年も全国を駆け回っていたようですね?
指出さん「2017年の前半はセーブしていたんですが、
後半になると加速度が増しまして、
東京には週2日ほどしかいませんでした。
残りの5日間は中山間地域や地方都市で
街づくりしている若い人たちや、
もともと歴史ある街で先輩世代がこれから
この場所をどう変えていくのか? っていう
課題を持った所に伺いまして、
講演会だったり、トークイベントだったり、
ワークショップなどをしていました。
週4日ペースぐらいでやっていたんですが、
手帳を振り返ってみると140回を越えていましたね。」

最近よく耳にするようになった、”関係人口”
地方創生、地域活性化には欠かせない層のようですが、
この”関係人口”について今一度、教えていただけますか?
指出さん「”関係人口”は育ってきている言葉なんですが、
もともと日本には2つの人口がいるんです。
1つは”定住人口”、要するにそこにお住いの皆さんや
移住した皆さんのことです。もう1つは”交流人口”、
この”交流人口”っていうは非常に哲学的な期待が込められて
生まれた言葉で、最初は地域活性の担い手!みたいな
感じだったんですが、今はかなり丸くなって「観光のお客さん」
みたいな感じになっています。要はそこに遊びにくる
一過性の方々ことを観光的な価値観で”交流人口”と言っています。
しかし考えてみたら、観光でもないし、そこに住んでいるわけでもない
真ん中の層がものすごくいるのではないかと言われ始めた。
それが”関係人口”なんです。つまりその街によく足を運んで、
その街の人もよくその人のことを見かけるんだけれども
単に観光で来ているわけでない、街のお手伝いする場合もあるし、
街の空き家回収していたりもする、はたまた
イベントのボランティアをしていたりもする。
(そういった層が)特に若い方を中心に現れ始めたんですね。
20代、30代の方々が街に関わることが面白くて
その街にやっていくるようになってきた、
それを”関係人口”と言うんですね。」

今夜の選曲:OUR BABY'S GONE / HERD PEDERSEN

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2018年01月04日

1月9日から1月11日は

来週は、ソトコト編集長の指出一正さんをお迎えします。

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ますます加速する地域の活性化のお話や、
田中元子さん著書「マイ・パブリック と グランドレベル」に
ついてのお話などたっぷりと伺います。

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2018年01月04日

【Podcasting 第563回 】太田菜穂子さん

今回のポッドキャスティングは、
1月2日から1月4日放送分、
KLEE INC代表でキュレーターの太田菜穂子さん

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2018年01月04日

巨匠 ロバート・フランクとの交流

今週は、KLEE INC代表で
キュレーターの太田菜穂子さんをお迎えしています。

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収録時 スタジオに写真家 ロバート・フランクの
写真をお持ち頂きました。
ロバート・フランクというのはどのような人物?
太田さん「この方は、”写真の神様”と言われた方で、
(彼の作品で)“The Americans” という写真集があります。
初めて手持ちのカメラが使われるようになった時に、
(彼は)それを手にアメリカ全土を回って1冊の写真集を作るんです。
後にその写真集がその後の写真家を変えることになったんですね。
非常に難しい人柄だったと言えばいいのか、
それとも写真に対して誠実だったからかもしれないけども、
写真を売ってお金にするって行為が彼には削ぐわなかったんです。
そのこともあって20世紀の後半から
ほとんど(表には)登場しませんでした。
ところが、1994年ぐらいかな… 横浜美術館で“MOVING OUT”っていう
彼の回顧展が初めて開かれました。その後はいろんな活動をしてまして、
去年は ”Don't Blink” っていう短編映画を作ったり、
(一昨年は)シュタイデルと組んで新聞紙に写真を
刷って展示しました。(そして)展覧会が
終わったらその写真を全部捨てるんですね。いわゆる
自分の写真が高く売られることへのアンチテーゼなんです。
やっぱり写真は見てもらって、考えさせる装置であって
プリントをありがたがるものでは無いってことなんですね。」

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ロバート・フランクとは親しく交流をされていたそうですが?
太田さん「そうなんです。手紙をいっぱい書いてくれて
コミュニケーション取る時に写真を
切手、手紙と一緒に添えていく。
写真を見ながら言葉を交わすことで、
濃密なコミュニケーションが成立するってことを
やってくれていたんだと思うんですね。
なので、送ってくれたのは写真もあれば、
絵や絵画もあるんですが、ビジュアルを見て共通の言語が
成立するっていうのを私に教えてくれました。」

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SHIBUYA - TOKYO CURIOSITY
会 期:2018年1月 2日(火)ー2018年1月 8日(月)
開場時間:11:00 - 20:00
場 所:渋谷ヒカリエ アートギャラリー CUBE 1, 2, 3
URL:http://tokyo-ga.org/topics/2017/12/28.html
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今夜の選曲:neguse/ グッドラックヘイワ

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2018年01月03日

NPO法人『東京画』立ち上げのきっかけとは?

今週は、KLEE INC代表で
キュレーターの太田菜穂子さんをお迎えしています。

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太田さんがキュレーションした、
写真展『SHIBUYA – TOKYO CURIOSITY』が
昨日より渋谷ヒカリエ アートギャラリーで開催。
今回の写真展を主宰しているのが、
2011年に太田さんが立ち上げられた、NPO法人『東京画』。
この団体を立ち上げたきっかけは?
太田さん「2011年に大きな震災がきて、
世界中から日本の不幸を撮りに来ました。
ところが不幸を撮りに来た写真家が発見したのは、
日本人の我慢強さだったり、協調性だったり、
秩序だったんです。私がその時に思ったのは、
画を撮ることにはもう意味がない。
その裏側にあることを撮れる人が写真家になるんだと。
ただ、世界から来た人は次の不幸を撮りに行ってしまった。
だったら、ここに残った私たちで東京を見続けていくのは
どうだろう?って立ち上がったのが ”東京画” です。」

世界を見てきた太田さんの目に、
いまの東京の街、渋谷の街は、
どのように映っているのでしょうか?
太田さん「変わりましたよね…
ただ、いろんな意味で渋谷の街は10年サイクルぐらいで、
ファッションを作り上げた街だと思うんです。
(一方)他のエリアはどうかというと、浅草や銀座、日本橋、新宿…
結構みんな一緒なんです。渋谷だけが著しく変化するんですね。
好きか嫌いかで言ったら、私は苦手なんですけども
すごいなと思うんですね。リサイクルやリフォームが
できる… 変わることに対してたじろがないところが
すごいなと思います。」

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SHIBUYA - TOKYO CURIOSITY
会 期:2018年1月 2日(火)ー2018年1月 8日(月)
開場時間:11:00 - 20:00
場 所:渋谷ヒカリエ アートギャラリー CUBE 1, 2, 3
URL:http://tokyo-ga.org/topics/2017/12/28.html
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今夜の選曲:てくてく様(Lm ver.) / グッドラックヘイワ

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2018年01月02日

写真展『SHIBUYAーTOKYO CURIOSITY』について

今週は、KLEE INC代表で
キュレーターの太田菜穂子さんをお迎えしています。

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太田さんがキュレーションした
写真展『SHIBUYA – TOKYO CURIOSITY』が
本日より渋谷ヒカリエ アートギャラリーで開催。
どのような写真展なのでしょう?
太田さん「写真を見て、みんなで話そう!
という展覧会です。なので写真を見て「これすごいなー」
ではなくて、みんなで写真について話してもらいたい、
そんな展覧会になっています。」

展示されている写真を全て渋谷?
太田さん「全部渋谷ではないです。
渋谷っていうのはある意味 比喩であって、
海外の人からすると”東京”というより”渋谷”って
言った方が今の東京の気分なんですね。」

拝見したのてすが、
交差点や渋谷らしい風景は無いんてすね?
参加されている写真家は何名?
太田さん「そういうのはもうみんな撮っていますから。
写真家がやるべきことは、みんなが見ていないものを
見ていくっていうのが写真家の仕事なんだと思います。
(カメラマンは)現状で85名なんですけど、
経過観察中の人もいまして、それを含めてると
100名ちょっといますね。」

この写真展は11月にパリでも開催予定となっています。


誰もが写真を簡単に撮影できる現代において、
カメラマン、写真家という職業は、
成立しにくくなっている?
太田さん「おっしゃる通りで、写真館が死語に
なったように、写真家も多分死語だと思います。
なので写真家として仕事がしていけるのは、
インフルエンサーみたいな人だと思います。
映像言語を持って世界の人とコミニュケーションを
取れる人であって写真を撮る人ではないんですね。」

太田さんは ”写真は、私の人生のパートナー” とまで
言われていますが、なぜそこまで情熱を持つことができるのでしょう?
太田さん「ご飯を食べたり、空気を吸ったりするぐらい
写真は好きなので、写真がない1日って無いんです。
家の中にも作品を飾っているし、素敵な写真を見つけると
嬉しいと思うし… そういう意味でいうと人生の友ですよね。」

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SHIBUYA - TOKYO CURIOSITY
会 期:2018年1月 2日(火)ー2018年1月 8日(月)
開場時間:11:00 - 20:00
場 所:渋谷ヒカリエ アートギャラリー CUBE 1, 2, 3
URL:http://tokyo-ga.org/topics/2017/12/28.html
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今夜の選曲:風見鶏 / グッドラックヘイワ

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク


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