2020年03月31日

ラグビーとの出会いは? お二人のプロフィールを紐解きます!

元ラグビー日本代表 大畑大介さんと、
車いすラグビー日本代表 池崎大輔さんをお迎えしています。

0330_LOHAS_1.jpg

大畑さんは小学校3年生からラグビーを始められ、
高校日本代表に選出。大学時代から日本代表となり、
海外クラブでもプレーされています。
小学校3年でラグビーを始めるきっかけはなんだったんでしょう?
大畑さん「協調性のない子どもだったっていうことですね、
一番大きなポイントは。僕は大阪生まれ大阪育ちで、
大阪の公立の小学校で育ったんですが、
みんな当時は一番初めに始めるスポーツが野球で、
応援するのが阪神タイガースだったんです。
それがたまらなく気持ち悪くて,,,(笑)
でも、子どもなんで友達欲しいじゃないですか、
友達作りって考えたときに、みんなが興味あるもの、
みんながやっているものに対して、そこに入って行けば、
友達は簡単に出来るけど、僕はそれが出来ない子供だったんです。
けど、友達が欲しい、じゃあどうしようかって考えたとき、
『みんなに興味を持てないならば、
みんなに興味を持ってもらえる人間になろう』と思ったんです。
だから、自分から歩み寄れない分、
向こうから歩み寄ってもらえる人間になろうと。
みんながしてないことで、あいつなんかすごいぞってなったら、
否が応でも距離って縮まっていく。
だから、そういうことをやろうと思ったときに、
自分の父が学生時代ラグビーをしてたことと、
大阪は非常にラグビーが盛んなんです。
国内ラグビーがテレビでよく目にする機会があったということもあり、
自分の中の消去法ですね。野球はしたくないって言う、、、
野球以外の一番近くにあったのが、
ラグビーだったと言うだけで、ラグビー始めたんですよ。
そして、ラグビーしたときの一番初めの練習で、
僕がチームの中で一番足が速かった。
その瞬間、みんなが僕に興味を持って話しかけてくれたんです。
要はラグビーをした瞬間に、僕に興味を持ってくれて、
僕に対して歩み寄ってくれた、って言うのが一番大きなきっかけですね。」

池崎さんは6歳の時に、
手足の筋肉が衰えていく難病を発症して車椅子生活に。
岩見沢高等養護学校時代に、車椅子バスケットを始められ、
2008年に車椅子ラグビーに転向されました。
ラグビーに転向された理由を教えて頂けますか?
池崎さん「僕は15年間車椅子バスケをやっていたんですが、
同じ障がいを持ってる人たちで、スポーツをやる楽しさ、
そこに惹かれてやっていたんです。ですが、
バスケがどんどんレベルが上がっていくにつれて、
手にも障がいがあった僕は、
上手くできないって言うのがあったんですね。
その時に北海道のチームから、
車椅子ラグビーという競技があるよと言われて、
色々訳わかんないことがたくさんあったんですが、
聞いているうちに、車椅子ラグビーっていうのは、
両手両足に障がいを持ってる人がやるスポーツと言われて、
じゃあ自分に出来るんだなと。しかもパラリンピックの正式種目。
やるんだったらパラリンピック目指したりとか、
世界一目指したりとか、そういうところを目標をおいて、
自分の可能性にチャレンジしていきたいなと思い
車椅子ラグビーに転向したんですね。」

staff| 19:52 | トラックバック(0) | カテゴリー:ゲストトーク

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

https://www.j-wave.co.jp/cgi-bin/podcast/mt-tb.cgi/10770



バックナンバー