2020年09月15日
ピースデーの発起人ジェレミー・ギリーさんと日本の深いつながりとは…。
ユナイテッド・ピープル株式会社代表取締役、関根健次さんをお迎えします。
――ジェレミーギリーさんは2018年に初来日し、
長崎と広島を訪れました。実はジェレミーさん、
日本と縁が深い方です。
関根さん「彼のおじいさんがイギリス軍の兵士で、
日本軍とシンガポールで戦ったんです。
その時に、捕虜になったおじいさんは、ビルマで
強制労働を受け、生き残って大分の収容所に送られます。
収容所では長崎の原爆の火の玉が見えたと言います。
しばらくして、終戦後に引き揚げ船で長崎まで
移動します。長崎の原爆による悲惨な様子を
目の当たりにして、長崎港からイギリスへと戻って行きました。
ジェレミーにも戦争の体験を話していたと言います。
おじいさんは戦争はいけないけど、日本人を憎んでは
いけないと言って、日本人がイギリスに来ると大歓迎
する心の優しい方でした。
ジェレミーが11歳の時に、おじいさんは血液の病気で、
亡くなってしまいます。おそらく被爆による影響だと思います。
役者を続けていたジェレミーは、いつか平和のために活動したいと
思っていたところで、国連に乗り込んでいってピースデーを設立すると
いう話なんですね。」
関根さん「被爆体験をしているおじいさんの孫ということで、
一昨年、ジェレミーを東京・広島・長崎にお連れしました。
広島・長崎では被爆者の方の話をヒアリングしたり、
被爆三世の方と対面しました。
非常に感動的な瞬間だったのは、
かつて敵同士だった日本人とイギリス人の孫と
被爆者のおばあちゃんが涙ながらに手を握って、
『世代を超えてこうして出会い、
友達になれたということは嬉しいよね』と言って、
みんなで泣いたんです。」
今夜の選曲… JOHN LENNON AND THE PLASTIC ONO BAND / IMAGINE