2021年07月28日
ミュージックビデオから、音楽映画へ…その変遷とは?
プロデューサーで映画監督の相原裕美さんをお迎えしています。
※リモートでのご出演です。
ーー相原さんは当初ビクターで
スタジオのエンジニアとして
働かれていました。その後、
MVを制作する部署に異動されます。
相原さん:そのあとは、企画ものの
映像や、MVをかなり担当しました。
ある意味時期が良くて、
アメリカのMTVとかが
日本で深夜に流れているのを
ずっとみていました。
小黒:そんな相原さんが
社員時代に見出したのが、
当時新人の岩井俊二監督や
下山天監督だったと。
そういう風に、人を見つける
とかプロデュース的なことが
お好きなんですか?
相原さん:そうですね、
本来は自分である意味、
才能がないと思っていますので、
だったら才能ある人を見つけて
組み合わせるのが
面白いんじゃないかなと思います。
当時はMVだけじゃなく、
自主映画も多かった。
新しい映像のクリエイターと
仕事がしたいなと思っていて、
そういう流れで、
色々な人を紹介されたり
見出したりしていましたね。
本当、MVも実験的な場所
だったので、そういう所に
新人を当てると意外と企画が
通ったりするんです。
それで全然売れていない
岩井俊二とか下山天とかを
入れてやっていましたね。
ーーその後、相原さんは
2009年にビクターを退社され、
コネクツ合同会社(CONNECTS LLC)
を設立されます。
相原さん:今までずっとやって
きていた音楽映像をやろうと
考えていたんです。
ちょうど、設立した頃ってCDが
全然売れなくなって配信に移行
し始めた時期です。
そうなると、MVの製作費って
すごく下がるんです。
MVだけでは会社が成立して
行かなくなってくるので、
音楽映画をやろうと思って
当時ビクターからデビュー
していたクリープハイプという
バンドがあり、そこに
新人だった松井大吾監督がいて
MVなんだけど、ショートストーリー
曲よりも2、3分長いものを
作ったらすごく評判が良くて
それをまとめた映画を作りました。
そういうところから、
音楽映画をスタートしましたね。
今夜の選曲… おやすみ泣き声、さよなら歌姫 /クリープハイプ