2024年05月15日
イムジン河、秘話
今週のゲストは作家、作詞家、編集者の松山猛さんです。
今回は、ザ・フォーク・クルセダーズが1967年に発表した自主制作盤『ハレンチ』に収録されている「イムジン河」についての制作秘話を伺いました。
松山さんが中学生の頃は、朝鮮学校の生徒と日本の学校の生徒がしょっちゅう喧嘩をしていたそう。両方に友人が居た松山さんは、この問題を何とかしたいと考え、先生に相談に行きました。
そこでサッカーでの交流を提案され、その他流試合を申し込みに行く役目を松山さんが担いました。
イムジン河との出会いは、この朝鮮学校に行った時。
コーラス部が歌っていたメロディーを忘れられず、鼻歌で持ち帰り、知り合いの朝鮮系の子に確認したところ『それはイムジン河という歌だよ』と教えてもらったそうです。
「その子がね、兄弟がコーラス部だから次会うとき渡すよって、楽譜と朝鮮語辞典っていうのをくれてね。後で知ったんだけどその子、その辞典を一生懸命、新聞配達のバイトをして、買ってくれたらしいんだ。」
また実はこの「イムジン河」は当時は発売中止になっています。
それは、発売の際に作詞者・作曲者を入れていなかったためでした。
というのも、松山さんたちは勝手に民謡だと思っていましたが、しっかりと作者や作曲者が居たそうです。
そんな曲ですが、日韓共同開催のワールドカップの際にまた再発されるようになりました。
松山
「韓共同開催のワールドカップの時に、テーマ曲を探してソニー系のアイダさんっていうディレクターの人が、ソウルに曲を探しに行って。」
小黒
「またサッカー!縁があるね。」
松山
「でもあまり良い曲は無くて、帰りがけに寄った小さいレコード屋で若い店員さんに“日本の方ですか?私日本語で歌える歌があるんです”って言って歌ったのがイムジン河だったの。」
小黒
「へえー!」
松山
「それでアイダさん、あー!これがあった!てソウルから帰ってきて僕にすぐに連絡をくれてね。」