20241108 ONAIR
11月の主演
渋谷采郁
長澤樹
ショートストーリーは…『万引き主婦』l
「やりましたよね」
「だから何が?何を?」
万引き犯の夢は、広がる…?

高崎「寺山修司って、僕の高校や大学の頃のある意味アイドル的な存在で。」
寺山修司さんは、1983年に亡くなっているため、高崎さんより上の世代の人たちに人気のあった劇作家。
当時自称“とてもひねくれていた”高崎さんは「みんなが好きなものはダサい」と心から信じていたそうです。
そのため音楽や本は特に、自分の好きなものや人が好きなものを辿っては、
自分なりにルーツを辿っていく作業が楽しくなり、どんどん過去へ過去へと潜っていました。
例えば音楽。そうやって出会ったはじめてのバンドに妙に惹かれたら、スタッフが一緒だったり、その人が好きなものが自分の好きなものだったり…
そういう好きの遺伝子の確認がなによりうれしかったと高崎さんは話します。
小、中学校の頃、本屋さんの文庫のコーナーで索引を見るのが好きだった高崎さん。
そんな頃出会ったのが寺山修司さんだったそうです。
演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」の主宰だった寺山修司さん。
演劇では劇場を飛び出して街に役者がでたり、映画はかなりシュールなものだったり…
特に1976年公開の映画「田園に死す」について高崎さんは、
高崎「もう影響うけまくりでした。同世代にわかるひとはそんなにいなかったかもしれない。
でもたまにわかるひとがいると、急速にそこで仲良くなって。
寺山修司って知的なひとだったからその本とか読んでいると、本当にいろんなものを教えてくれるんです。」
そんな高崎さんのアイドル寺山修司さんがカフカ「審判」を紹介していたのを知った高崎さん。
高崎「なんかこれ僕そのとき、ああ、わかるなあと思ったんです。
なぜかこういうふうに罪の意識を無関係なのに感じてしまうことってあるなあ、と。
そしたら寺山修司はそのことを罪悪感っていうやつには官能的な何かがある。
それは罪悪感の誘惑のようなものだったかもしれない。むしろそれは孤独の愉しみと言っていいかもしれないって書いてて。
なんかおおそうか。今僕がわかると思ってしまったのは、その官能的な魅力に惹かれた痕跡だったのか、と。」
単純に言葉の見つけ方や世界の作り方がかっこいいというあこがれから始まった“好き”だったそうですが、その感覚と出会えた瞬間は大きいですよね。

まだ眠っている海をゆく。
朝を知らない松がそろそろと起きだす頃
新しい朝がくる。
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