日曜の深夜。全てのしがらみから離れて
本当に「独り」になっている特別な時間。
人は誰もが不安や悩みを持っているはず。
この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、
明日への活力を求める人への応援メッセージを
発信するラジオ番組です。
EVERY SECOND SUNDAY
25:00-26:00 ON AIR
人は他人と比較してしまう生き物だと思います。
人より、恵まれていると喜んだり、
人より、うまくいかないと落ち込んだり、
SNSが生まれたことで、自分を誰かと比較する機会も増えてきました。
そんな今だからこそ自分の心と対話する時間を大切にしたいと思います。
何をしたいのか、何が悩みなのか、何に希望を持つのか。
その積み重ねが幸せを感じる近道なのではないかと思います。
幸せは、自分の心の中にある。
第77回のゲストは、小巻亜矢さんでした
〜プレゼント〜
番組初となる著書、
『暗闇ラジオ対話集-DIALOGUE RADIO IN THE DARK-』を
番組をお聴きの方の中から2名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、この番組のサイトにある
「MESSAGE TO STUDIO」の欄から
番組の感想をお書き添えの上、ご応募ください。
志村:あやちゃん、こんばんは。
小巻:こんばんは。
志村:真っ暗闇の中へようこそ。
小巻:はい、とても楽しみにきました、よろしくお願いします。
志村:ありがとうございます!実は今まで暗闇の中で、こんな遅い時間に遊んでたんですよね。
小巻:ね、夜遊びしてましたね。
志村:はい、楽しかった。あやちゃんと私とアテンドのなおきという人と3人で、ちょっと動物に例えてキャッチボールしたりしましたね。
小巻:しましたね、面白かったですね!(笑)
志村:面白かったー!(笑)あやちゃんはこんなにチャーミングなのにも関わらず、動物に例えたら何ですか?ってなおきがお尋ねしたら、なんと・・・
小巻:なんと、猪と答えましたー(笑)
志村:どうして猪なの?(笑)
小巻:まあ猪年っていうのもあるんだけれども、本当に常に猪突猛進でもう真っしぐら!っていう、本当にそんな生き方できたかなって思います(笑)
志村:すごいな〜、それって小さい頃からそうだったんですか?
小巻:そうなんです。三つ子の魂で、本当に思い出すとそうですね、物心ついた頃からやんちゃというかおてんばというか、突っ走るタイプです。
志村:どんなおてんばがあるんでしょう??もしよかったら聞かせてください!(笑)
小巻:まずそうですね、ちっちゃい頃は野球をやってたんです。でプロ野球の選手になりたかったんですけど、小学校3年生ぐらいの時かな、男の子にお前バカだな、女はプロ野球の選手になれねえぞって言われてふてくされまして・・・(笑)まずそんな感じのボーイッシュっていうとおしゃれなんですけど、本当に男の子のような女の子でしたね、常に。絶対負けたくないっていう負けず嫌いで、高いところから飛び降りたりするのも絶対男子に負けるもんかで一番高いところから高いところから・・・って飛び降りていて、親に言えなかったんですけど、多分あれ足くじいてました(笑)
志村:私もっとあやちゃんは乙女な感じかと思ってました。
小巻:あー、乙女は1ミリもなかった(笑)
志村:1ミリもなかったのか!(笑)
小巻:1ミリもなかったですね、まあ付き合いでお人形さんごっことかおままごととかしましたけど、いち早く外へ飛び出していって、生まれ育ったところが赤坂だったんですけれど、当時私の子供時代ってマンションが建っていく、なんていうんですか、土地をならしているところがあちこちにあって、その建設手前の広い空き地の泥だらけのところで、もう本当に真っ黒になるぐらいまで遊んでました。
志村:あー、なんか近い思い出かもしれません・・・なんでこんなに汚れてくるんだろうっていうか、ドロドロな状態でお家に帰ったことよくありましたね。
小巻:そうですよね。いやもう本当に恥ずかしいぐらい真っ黒でしたね。
志村:そうですか、いやでも今はね、だいぶ変わりましたね〜、そうしますとね?
小巻:まあ本質は多分変わってないんだと思いますけど、はい(笑)
志村:そう、でもお人柄もだけど、街並みもね!
小巻:あ、街並みはね、そうですね。街並みはもう生まれ育った、それこそ赤坂あたりはもうビルだらけの街になって、空き地にはあっという間にね、次のビルが建ちますしね本当に。遊ぶところがあんまりなくなっちゃったのかなと思いますね。
志村:うーんそうですねー。あーその頃のお外でいっぱい遊んだあやちゃんがだんだん大きくなって、そして・・・え、それ小学校の頃ですよね、きっとね?
小巻:そうですそうです。
志村:中学高校はどうしていらしたんですか?
小巻:中学高校はですね、あのまあプロ野球選手になる夢をくじかれましたので、ふてくされて、それでまあお勉強嫌いじゃなかったので受験をして中高のミッションスクールに行ったので、その中高の6年間はちょっと乙女よりではありましたけど、中身は変わってなかったですけどね、はい(笑)
志村:あー、勝ち気なお嬢さんだったんですね。
小巻:勝ち気な、はい(笑)
志村:へえ、そうでしたか。部活とかなさってました?
小巻:してました。中1中2がダンス部で踊ってまして、中3からフランス語部に入った、これはね「星の王子さま」がすごく好きで、星の王子さまをフランス語で読めたら素敵だなっていう、ただそれだけでフランス語部に入ったんですけれど、結果から言うとね、ミッションスクールだったのでYWCAのボランティア活動とか、そういう方にかなり夢中になって、まあ本当に中1から高2までずっと生徒会をやってましたね。
志村:そうだったんですねー。本当に勝ち気な、どちらかというと中心のところにいらっしゃる感じの、ねえ?
小巻:そうですね、常に割とそのまあリーダーシップっていうことで言うと、そうですね。先生に任されたりとか、なかなかクラスでまとまらないと、じゃあ私やる!みたいなそんなたちでずっとやってきましたねー。
志村:そうでしたか、あーでもそうやってバランスもいいのは、だって「星の王子さま」ってフランス語で読もうってなかなか思わないと思うんだけど?
小巻:そうですよねー。なにかで見たフランス語の「星の王子さま」を読んでその1つのセリフがすごく響きが素敵で、キツネさんが出てきて、日本語で言うと「僕を飼い慣らして」っていうセリフがあるんですけど、それが「アプリヴォワゼモア」っていう、なんかそんなような言葉がすごく素敵で、ちょっと違うかもしれないんですけどそういう「モア」なんですよね、自分、僕をっていうその「モア」にすごくなんかわー素敵!と思って、それではい(笑)
志村:そうだったんだ、なんか私今あやちゃんがサンリオさんにお入りになったその片鱗が見えた気がします。勝ち気さとその美しさを感じていくところっていうのかなー、違うかな?
小巻:ありがとうございます。あ、そうか、季世恵さんにそう言ってもらえるとそうかもしれない、そのものすごく勝ち気で、かたやボランティアとか世の中に対するなんていうんですかね、なんで女はできないことが多いんだろうとか、それこそ今日もね、この素敵なところで一緒にお話をさせていただいてますけど、例えばたまたま障害を持っているというその特徴?がある、同じ人間でいるのに、まあ当時は本当にまだそういうなんていうのかな、ダイバーシティみたいな意識がない時代で、なんでだろう?って自分の中にも偏見とか、そういうものを感じることがあった時に、すごく矛盾?自分に対する怒りみたいなのがある。そういう激しい私がいるのと、また逆に文化というか「星の王子さま」もそうなんですけど、海外の文化もそうですけれど、なんかそういうものに惹かれる自分も確かにいましたね。
志村:あー、そうなんですね。先ほどおっしゃっていた、自分の中にある偏見っぽいものって誰でも持つことがあると思うんですけど、それに対して自分の中にご自身のことを怒りを感じるっていうのは、どのあたりからそういうふうに思われたんですか?
小巻:なんかね、すごく正義感が強かったので、いじめとかも許せないっていう、下級生をいじめている男の子に対して立ち向かっていくようなタイプだったんですよね。でそんなんで今度中高ミッションスクールに行って、偏見と差別を乗り越えてっていうテーマで、女子校の横の繋がりを作りながらみんなでそれぞれ研究したことを発表する場面っていうのがあったんですけど、その時にある障害者の活動をしていらっしゃる先生に、そもそもそういうテーマを選ぶこと自体が欺まんだし差別に満ち溢れてるっていう言葉を投げかけられた時に、ハッとしたんですよね。なんかまあいわゆる上から目線みたいな、自分の中になんかこう言葉にできないんだけれども、それを否定できない、ああ、なんてこう自分で気が付かない罪深さみたいな、そういうものを感じたんですよね。でも他にもそういう似たような経験がいくつかあってね、中2の時にYWCAの活動でミッションスクールで土曜日が学校お休みだったんですけど、その土曜日の校外活動みたいな形であるところの児童養護施設に、いわゆる当時は慰問という言い方をしてたんですよね、今は訪問っていう言い方に変わったと思うんですけれども、でまあなんてことない、行って子どもたちと遊ぶとか、ちょっと先生たちのお手伝いをして書類を整理するとか、そういうことを半日・・まあ半日まで行かないですね、2〜3時間して戻ってくるっていう、ただそれだけの活動だったんですけれど、行く人が1人減り2人減り、最後私と下級生の2人だけになったんですけれど、まあ土曜日やることもないって言ったら本当に失礼なんですけれども、それが習慣になっていたので行き続けていたんですよね。である時同級生に、あやのやってることって偽善だよねって言われたんですよ。で、偽善って言われて、まあ同じクラスのお友達に言われたこともショックではあったんですけど、偽善ってなにかなって、偽りの善じゃないですか。確かに褒められたくてやってるかっていう、ちょっとそういうところはなくはないけれど、別に毎回先生に褒めてくださいって言ってるわけでもなく、自分の中では普通に部活みたいな感じで行ってただけなんだけれど、いやどうなんだろうと思いまして、しばらく半年ぐらい悩んだんですよね。でも辞めることなく行き続けていて、でその日半年ぐらい経った時の土曜日のその養護施設の帰り道に、今日私たちがやったことって、雑巾を3枚縫ったよねって、子供たちと遊んだよね、ただそれだけのことをしてきたけど、その雑巾は誰かの役に立つかもしれないし、私たちが子供と遊んでいる時間、先生たちは他のことがちょっとできたかもしれない。結局それで全てかな?行動したその結果誰かがちょっと楽になったり、誰かがちょっと楽しかったりするっていう、ただそれにレッテルを善とか偽善とか評価する必要ないんじゃないかなって思ったんですよ。
志村:ああ、確かにうーん。
小巻:それがなんかずっと今に至るまで、これってどうなの?っていちいち悩むんですけれど、まあそうですね、やっぱりアクション、行動することがすごく正解じゃないかなっていうのはその時に学んだことがあってね、そんな話をしちゃってごめんなさい・・・(笑)
志村:いや、私今お話伺えてよかったです。
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志村:それでその当時は、将来の夢ってどんな感じだったんですか?なさりたいこととかって・・・
小巻:ね、プロ野球の夢は早くにくじかれ・・・(笑)
志村:そうそうそうそう。
小巻:そうですね、小学校を卒業するときはね、卒業文集に「将来は女性を守る仕事がしたい」って書いてあるんです。自分の中では力では男性に敵わないので、法律で守る仕事っていう、多分弁護士を想像してたんだと思うんですけれど、中学に入ってその法律家になるんだみたいなことは全然意識してなくて、もう部活とか生徒会活動が忙しかったので、まあいよいよ方向性を決める時になって、なんとなく教育なのかな〜って、幼稚園の先生とか学校の先生とかっていうふうに思ってた時期もありましたけれど、明確にこれっていうのは意外となくて、それこそ今はキャリア教育とかね、ビジョンを描こうってすごくいろいろ・・そういう世の中になってますけれども、あんまりとりあえずでしたね。中高の時はとりあえず目の前のことをやってた感じですね。
志村:で、大学生になって、そこから就活が始まりますよね?
小巻:そうなんですけど、あんまり就活も私の時代はそんなにで、大学入ったらすぐに就活みたいなこともなく、そもそも働くのどうするの?って、そんな呑気なことを言える立場だったことが非常にありがたいんですけれど、でもそんな感じでしたからギリギリでしたね。もう大学4年になってどうする?ってなった時に、あ、じゃあやっぱり女性が活躍できる会社がいいかなーとかそんな程度で、でも心の中でサンリオという会社に対する憧れみたいなのは、いちご新聞を読んだ時からずっと消えなくて。
志村:あー、いちご新聞懐かしいー、うーん。
小巻:はい、それでまあいろいろあったけれども、最終的にサンリオに入るという社会人生活がスタートすることに繋がるんですけれど。
志村:その時のね、社長のお話が素敵だったとおっしゃってましたよね。
小巻:そうですね、キャラクターがっていうのは全然なくって、本当にサンリオ創業者の辻信太郎、今は名誉会長ですけれど、もう本当にみんな仲良くっていうことを堂々と会社の理念として言っていらしてて、まあいろいろ作っていたり、映画、当時はキタキツネ物語とか、ちょっとした小さな映画をたくさん作ってたんですけれど、全てのメッセージが本当にダイバーシティであり、すごく心に響いたんですね。メッセージを大切にするからグリーティングカードの事業があり、ちょっとした贈り物があれば人と人とがコミュニケーション取るきっかけになるよねっていうことで30円の鉛筆から、本当に割と単価の安いものをたくさんごちゃごちゃごちゃごちゃ作っていて、で、全てが人と人とを繋ぐ贈り物っていう、そんなメッセージに溢れてたんでね、この「可愛い」を表現するのにキティちゃんとかマイメロディとか、リトルツインスターズとか、当時少し出てきたのがゴロピカドンとかですね、そういうキャラクターがケロケロケロッピとかがいましたけれど。
志村:私あのう、結構入院生活長かったんですね、子供の頃に。で、退院するとかお見舞いとかもらった時なんかに、自分が退院してお礼のお返しとかって時に、サンリオさんにたくさん助けてもらいました。
小巻:ありがとうございます。
志村:なんかやっぱり子供ながらね、そういうの喜んでくれる人いるのいっぱい知ってたしね〜。
小巻:そうですね。
志村:えってことは、やっぱりサンリオさんのポリシーとぴったりだったんですね。
小巻:そうですね、そんな勝ち気な子供時代でしたけど、唯一すごく自分のフェミニンな面があったのは贈り物というか、小学校がですね、ひとクラスが少ない人数で、1年生から6年生までずっとクラス替えのない小学校だったので、クラス中のお友達のお誕生日をみんなお互いに覚えてるような、そんな時だったんですけど、プレゼントって言ってもそんなに豪華なものはお小遣いから買えないので、それでもグリーティングカードだけはあげたいなと思ってたんですよ、子供の頃から。物よりメッセージが大事っていう、そこがすごく自分の元々ある価値観があって、サンリオのやってることにぴったりだったんですね。
志村:あー、本当ねー。なんかやっぱり天職だったんだ。入社なさってどのくらいご結婚されるまでお仕事されてたんですか?
小巻:1年ちょっとなんですよ。そんな入りたくて入ったサンリオだったんですけど、本当に1年半くらいで結婚して退職しちゃったんですね。そうですね、昔はそんな時代でしたねー。
志村:私もそうでした。赤ちゃんできたのですぐに退職したんですやっぱり。もうそれが普通な感じでしたよね。
小巻:そうですね、男女雇用機会均等法の前なので私の場合。
志村:そうー、で、おうちに入られて子育てしていらしたんですね?
小巻:そうですね、はい。結婚した人もまたサンリオの人だったので、サンリオの世界観から離れたことは全然なかったんですけれど、アメリカに赴任したり、子供を育てるのにまた日本に戻ってきたり、そんな結婚生活でした、
志村:そっか。で、また復職なさったんですよね?
小巻:はい、11年間専業主婦をしていまして、きっかけは本当に人生は想定外、もうね、季世恵さんもそうなのでお互いに想定外の人生だねってさっきもお話してましたけど、入りたい会社に入って結婚して海外赴任もしてみたいな、極めて人生としてはとても恵まれた日々だった面もあるんですけれど、長男が生まれて、そして次男が生まれて、三男がお腹にいる時に次男が事故で亡くなるという、そんな不幸な出来事があって、それをきっかけにまあちょっとね、その事故もいろいろと複雑なシチュエーションの事故だったので、夫と別々の道を行こうということで離婚しまして、それで三男を出産した後に仕事を、そうですね、社会復帰というと聞こえはいいんですけれど、生活のためっていうのでもう本当に申し訳ないんですけど別れた夫がちゃんとしてくれていたのですが、自分が母親として子供を亡くしたという経験で、ちょっと精神的に少し自分を見失ってたんだと思うんです。
志村:いやーそれはもうね・・・最も辛いことですものね・・・
小巻:そうですよね、この経験が世の中にそういう経験をされた方がまたたくさんいらっしゃるけれども、できれば一番したくない経験ではありますよね。
志村:ほんっとにそう思います。
小巻:そうなんです、自分が生きていていけないような気がしてたし、ただ子供たちがいるのでもちろん生きてはいるんですけれど、なにかこう自分を追い詰めないと・・・っていうことと、あとは社会のなんでしょうかね、追い詰められるように社会の歯車に飛び込んで行きたかったっていう、そんな思いもあって、それで仕事を始めました。
志村:わかる気がします。あのう、ね、そうなんですよね、人ってもう多くの方がそうなると思うけれども、辛いことがある時って自分の中で孤独感がいっぱいになるじゃないですか。そこから抜け出すのって、なんだろうな、なにかに追い詰められるぐらい頑張らないと保てなくなりますよね。
小巻:そうなんです、その時は思わなかったんですけど、今から思うと異常に?何でも異常に頑張ってたっていう。
志村:そうかー。
小巻:はい、そんなことでしたね、あの時は。
志村:ねー。いやでもそれがきっと、その辛かった経験というのは、なにかに活かされたりしてるものですかね?
小巻:ええ、そうですね、とても活かされてるというか、そうですね、あの出来事がなかったら多分もちろん当たり前に今の自分はないし、まあそのなんですかね、よく社員にも言ったり研修の時にも言うのは、物事は全てケーススタディで、なにか自分にとってのギフトというか、学びとか気づきがあるので、その時は気づかなくてもあれは自分になにを教えてくれたんだろう?って思うことで次に進めるよねっていう話をさせていただくんですけど、仕事上のいろんなことは言うまでもなく全て本当にケーススタディそのものなんですが、誰か身近な人を亡くす経験をケーススタディっていうのはちょっと残酷すぎて、なかなかそこの思い切りは私は今でもできませんけれど、ただそこでも、まあ全て良いことに変えるっていう、聖書のね、中にもある言葉なんですけど、なにか良きことをそこから見つけるとしたら、亡くなった息子は2歳だったんですけど、2年という短い命をじゃあ辛いから私のところにこなきゃよかったじゃないとは思わない。たった2年でもすごくたくさん周りを幸せにしてくれて、愛するということを教えてくれたその2年は尊いので、私の元に2年の寿命を持った息子が生まれてきたことはやっぱり感謝しかないし、私の元に生まれてきてこの経験を与えてくれたということはやっぱり良きことというふうに思うことで次に進めるなっていうふうに、何年も経ってからね、そう思えるようになったんですよね。なので全て、その時はなかなか厳しくてもあれがあったせいでじゃなくて、あれがあったお陰でって思えると、とても自分が前向きになれるなって、そんなことを教えてくれた出来事でしたね。
志村:そうでしたか。いやありがとうございます、大切なお話をいただいて。
小巻:とんでもないです。
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志村:あのう、こういうことってないに越したことは全然ないんだけども、あったらそれはそれで時間が経つ内に自分の大切な深い深い大きな経験ではなくて、もっと特別な、言葉にできないような
小巻:そうですね・・・まあそうですね、あのうなんていうんですかね、本当に言葉にするのはとっても難しいですけれど・・・この今生でというか、今生きてる中でね、そういう経験を与えられるっていうのはやっぱりそれなりの大きな大きな意味を持つ出来事なので、その出来事に見合うだけの自分になりたいなっていう、成長する、なんていうんですかね、きっかけになるというか、時間はかかりましたけれど、今は受け止めて活かすというかですね、命の大切さとか出会い?いろんな出会いが人生ある中で、本当に子供と出会えたことも感謝だし、今の会社の仲間もそうだし、季世恵さんもそうですし、出会いって本当に尊いし、うーん、運命的というか、全員に出会えるわけじゃないので、世界何十億の・・・なのでね、ご縁を感じてご縁を大切にしたいなっていうふうに思うようになりましたね。
志村:あー本当ですね。テーマパークとかっていろんな方がいらっしゃるじゃないですか、私がセラピストをしていて、例えば末期の癌の方とか、もしくは大切な人を失ってしまったって人たちが行く場所ってなんとなく知ってるんですね。そうすると、本当にこれは嘘ではなくてサンリオピューロランドに行ってきたとか、もしくはこのダイアログ・イン・ザ・ダークにきたんですって方が多いんですよね。なのでいろんなお気持ちを抱えた中で、ただ遊びに来ただけじゃなくっていらっしゃるんだなと思うと、場は大きな場所なんだなっていうふうに思うことがあります。
小巻:はい、ありがとうございます。そうですね、コロナ禍の時に休館を余儀なくされまして、4ヶ月ちょっとという長い期間をクローズしたんですね。あの時はいろんなところがクローズして、非常に厳しい経験を余儀なくされたなと思いますけど、その間にたくさんお客様からの励ましのメッセージだとか、ピューロランドに子供の時から行った思い出のアルバムを郵送してくださったりとか、近隣の男性の方がピューロランドの外観をスケッチしたものを名乗らずに守衛のところで館長さんにこれをあげてくださいって置いて行かれたりとか、ものすごく本当にいろんな方に支えていただいてるなっていうのは感じたんですけれど、そんな中で例えばキャラクターに会うだけであればどこかショッピングモールのキティちゃんショーだったりとかでも会えるけれども、コロナ明けでオープンした日に3組のお客様から声をかけていただいてですね、1組目は20代後半の女性2人の可愛らしいコスチュームに身を包んだお友達たちが、館長さんですよねということで声をかけられて、こんなに可愛い居場所を作ってくださって本当にありがとうございますって、もう本当にこれが私たちの生き甲斐なんですって言ってくださったんですね。いやきてくださってありがとうはこちらから言う言葉なのに、そんなありがとうをたくさん言っていただけるなんて、なんて幸せな仕事なんだろうと思ったんですけれど、今度はレストランから出たところに60ちょっと前ぐらいのご夫婦に声をかけられて、私たちはピューロランドにきて仲良く思い出すから、今までなんとかやってこれました、ここは私たちの仲良く戻る居場所なんですっておっしゃってくださって、その時も居場所ってキーワードが出たんですよ。で最後にその日のパレード終わりに車椅子エリアのところで、脳に障害のあるお子さんとお母さんとおばあちゃまが見えていて、ほぼ車椅子というかちょっと寝た状態の方なんですけれど、この子はこのパレードがすごく好きで、ここに来るとキティちゃんたちのセリフを先に言っちゃって、それを見てる自分たちが誰よりも笑顔になれる、ここは私たちに元気をくれる居場所なんですっておっしゃったんですよ。もうこれ言っててまた泣きそうになるんですけど(笑)
志村:うーん私も今涙が出そうです。
小巻:だからテーマパークはいろいろとまだ行き届かないことがいっぱいあってお叱りもたくさん受けるものの、いろいろな方の居場所なんだなと思って、来年35周年を迎えるんですけれど、そして経営が厳しい時も長かったんですが、なんとか、なんとか失くさずにこれからも誰かの居場所であり続けたいなっていう思いで頑張っていきたいなと思っています。
志村:いやーすごい・・・私あのう、サンリオピューロランドが復帰なさった後に、ちょっと元気がなくなった時があったっていうのを伺っていて、だけどそれをV字回復なさったっていうあやちゃんのすごい武勇伝が、ご努力があったじゃないですか、私はあれを知っていてね、どうやってここまで頑張ってこれたんだろうっていうのを、それはね、私の勝手ながらですよ、いろんな経験があったことと、やっぱり自ら猪タイプとおっしゃっていたあの勢いと、そして持ち前のポジティブなお気持ちがきっと合間って繁栄なさったんじゃないかなと思ってたんですが、どうなんでしょうか。
小巻:ありがとうございます。いやそれ奇跡的にV字回復を確かにしたんですけれど、立役者のように言われる度に穴があったら入りたいぐらいな、確かに赴任してからすごくよくなりましたけれど、私がすごくみんなにエンターテインメントはこうした方がいいとか、ショーはこうした方がいいとかっていう指導ができるわけもなく、ただただ人のコミュニケーションのところでもっと部署を超えてコミュニケーション取ることでシーズンがもっと活きるとか、本当に人のモチベーションとか繋がりのところにちょっとだけ自分のコーチングだったりキャリアカウンセリングの経験が活きたというだけのことが、結果的に本当に頑張ったのはスタッフ全員だし、時代もSNSが全盛になって可愛いが映えるっていうことで自然にお客様がプロモーションしてくださるようなこともあったし、いろいろと外的な要因も後押ししてくれてのV字回復だと思っているんですよね。だからたまたまその時代に私が赴任して経営者になってるってこともまたいい時代にやらせていただいてありがたいなっていうのもありますし、できることを、その出会いの尊さっていうことを誰よりもって言ったらおこがましいんですけど、心に刻む経験を持ってるからこそまあ本当にスタッフ一人一人とかお客様とか、お取引先のお方との出会いを大切にしながらやっていこうっていう、ただその一心で頑張ってるだけなんですけどね。あとはスタッフがみんな苦労しながらこの気持ちを汲んで、はい、苦労しながらやってると思います。
志村:なんか私ね、スイッチをお入れになるのが得意なんだろうなって思ってるんです、勝手ながらきっと。なにか、いやみなさんすごく頑張っていらっしゃってるんだと思うんですよね、でもそれがなんかちょっとスイッチをポッて入れて、そこに発見とか、もしくは、あ、わかっていただいてるんだとか、なにかいろんなことをお入れになるのがお上手なんだろうなって、そのスイッチの場所を探すのがお得意なんだと思ってるんです。
小巻:ありがとうございます・・・!
志村:そう、それを本当になんか、本当はね、家庭でも職場でもきっとできるんだと思うけど、そこに持ち前のか、それともいろんなことを学んでいらっしゃった中でお持ちなのかわからないけど、それはあるんじゃないかなーっていうふうに時々お会いした時とかご著書を拝読したりして思ってたんです。
小巻:ありがとうございます。嬉しい・・・(笑)あるかしらそんなものが。
志村:そうそう、今度またいつか教えてください。きっと、だってあんなにあちこちご覧になってね、それをポジティブだけども、この辺りだよって見つけることができるのはそうそうできないと思うんですよ。
小巻:うーん、そうですね、でもその人ならではの、これってこの人だから見えてるんだよねっていうところがピューロランド、ハーモニーランド、大分県にあるんですけど、両方私なんかより全然すごいって思うポイントがみんなの中にあって、そこをただ本当に単純に素直にすごいねって、いやすごーい!それってすごい財産って心から思うのでそれをフィードバックするようにしてるんですよ。
志村:あーそうか。
小巻:だからいろんな仕事でテーマパークできてるんですけれど、もちろん企画する人もそうだし、キャラクターの写真を撮る人もいるし、すっごいこんな苦労あるんだ!っていうのをやっぱり・・・ワンオーワンをやってるんですねずっと社員と、そうするとニコニコ笑いながらオープン前の掃除の様子とかを話してくれると、えーそんな早くからそんなことやってたの!?っていうように、おトイレの掃除なんかのこともそうですし、ものすごいみんなが苦労と思ってなくて、ニコニコしながらこれをやってるんですってお話の中に、いやとてもじゃないけど私はそれできないって思うことだらけでね、それを本当に心から敬服して尊敬して感謝して、もう本当にありがとうねっていう。ただもしスイッチを入れるとしたら、そんなことぐらいしか私はできないですけれど・・・(笑)
志村:いやそれができないんだと思います、普通だとすると。
小巻:うーんそうでしょうかね、でも本当すごいんですよね(笑)
志村:そのすごいって思えることが大事だと思うけど、それをお伝えできて、そして嬉しいじゃないですか。
小巻:そうですね、そうかもしれないですね。
志村:いやそれを今日教えていただいた気がします本当に。
小巻:とんでもない、いやいやいや・・・
志村:私はもっと仲間達のそういうところを見つけていきたいなっていうふうに今思ってます。
小巻:ありがとうございます。季世恵さんはもう本当に大尊敬で!
志村:いやいやいやいや、とんでもない。
小巻:本当にこのダイアログ・イン・ザ・ダークでお目にかかってはいるんですけれど、こんな2人っきりでこんなシチュエーションでお話できる日が来るなんて幸せ者です。
志村:いや私こそです、ありがとうございます。
小巻:ありがとうございます。
志村:憧れのあやちゃん。
小巻:嬉しいです。
志村:あのね、最後なんですけど、このラジオを聴いていただいてる方々にメッセージをいただきたいなと思っていて、もう今で十分なんですけど、明日元気で朝が迎えられるような、そんな一言をいただいてもいいですか?
小巻:はい、そうですね、「なにが起こっても全てはギフト」っていう言葉でしょうかね。
志村:あー本当だ・・・それをあやちゃんにいただいたことで届くんだなと思います。本当にそうですね。
小巻:ありがとうございます。ギフトに変えるのは自分のちょっとした気づき?なにか絶対に教えてくれてるんだよね、起こる物事って。そう思えたら自分がふっと楽になったり、よし頑張ろうって思えるかなーって思ってます。
志村:わかりました。私はまず明日の朝起きたら、同じようにギフトをたくさん感じてきます。
小巻:ありがとうございます。
志村:ありがとうございました、今日も本当に。
小巻:ありがとうございました。