クルマ、ドライブにまつわるライフスタイルを提案していくコーナー『BMW Tokyo DRIVING DAYS』
毎回、クルマ、ドライブのエキスパートが登場して、その楽しさを伝えてくれます。
今週は80‘sに欠かせない方!『私をスキーに連れてって』や『波の数だけ抱きしめて』などの映画を制作し、数々の若者文化を生み出してきた『ホイチョイ・プロダクションズ』の代表取締役社長・馬場康夫さんに80年代のクルマ文化についてお話しいただきました。
◆車は「女の子を喜ばせるツール」
友人に薦められて、MINI CONVERTIBLEに10年乗っていたことがあるという馬場さん。今まで乗った車の中で、一番長い期間だそうです。「4人も乗れるコンバーチブルはそうそうないですよね!」と魅力を語る馬場さん。特にオープンカーにして走っている瞬間がたまらなく好きなんだとか。
70年代にベトナム戦争から帰ってきたアメリカ人達が作った新しいスポーツ文化で一番最初に日本に紹介されたものがテニス、その次に紹介されたものがサーフィンでした。サーフィンをするために車が必要になり、車の上にボードを載せてドライブする文化が流行したのだそうです。
その後、「車を持ってどんなことをして遊んでいるか」ということが格好良さの価値基準になり、「80年代初めから半ばにかけて、車でサーフィンやスキーにいく文化が根付いたんです」と教えてくれました。
◆バブル期の「女の子にモテるノウハウ」とは?
新しいデートスポットができると、若者がこぞって駆けつける時代。その場所のまわりの夜景が綺麗な場所や、海辺などの情報にも詳しくなっていったのだそうです。
馬場さんも、晴海埠頭から東京方面を見たり、「レインボーブリッジが一番綺麗に見える場所」といった情報をメモしていたのだそう。当時は便利な道や橋ができておらず、台場にあるウィンドサーフィンの基地に行くのも一苦労。今ではレインボーブリッジを渡ってすぐに行けますが、当時は遠回りをする必要があったので、そのノウハウを持っていることが重要だったそうです。大井埠頭の先に羽田空港が見えるスポットがあり、そこで女の子と飛行機を見ながら、「いつかヨーロッパでも行こうか…」という話をしていたという馬場さん。「言ってて、バカだね!」と当時を懐かしく振り返っていました。
「当時は景気が良いとは思っていなかったけど、 遊びにお金を使っていなかった若者が、お金を使うようになっていた時代ですね」と教えてくれました。