サンプラザ中野くん PART1
クルマ、ドライブにまつわるライフスタイルを提案していくコーナー『BMW Tokyo DRIVING DAYS』
毎回、クルマ、ドライブのエキスパートが登場して、その楽しさを伝えてくれます。
今週はミュージシャンのサンプラザ中野くんがご登場。
初めて運転した車についてや「大きな玉ねぎの下で」の誕生秘話など伺いました。
◆初めて運転した車とは?
初めて免許をとったのは大学入学後というサンプラザ中野くん。最初に運転した車は爆風スランプの最初の機材車。マイクロバスをキャンピングカー仕様にして8ナンバー登録をして普通免許でも運転できるようにしたものだそうで、愛称は「大きくてすいません号」。その名前の通りとにかく大きかったそうです。その「大きくてすいません号」に布団を敷いてメンバーで交代交代運転しながら名古屋、神戸、遠くは島根まで運転していたんだとか。この機材車を題材にした歌「THE BLUE BUS BLUES」は平成元年にヒットした「Runner」のB面に収録されています。
時を同じくして、お兄さんから譲り受けた車にも乗っていたサンプラザ中野くん。カセットステレオが聴ける車で、当時のスタッフから「尾崎豊っていうやつがデビューする」と言われて販促用のカセットをもらい聞きながら千葉の自宅まで運転していたときに感動して目に涙が浮かんだ。というエピソードも披露してくださいました。
◆初めて運転した場所、あの名曲の誕生秘話とは?
また初めてフランスを運転した時は、「ラウンドアバウト(信号を使わず、一方通行で車を循環させる交差点)」に興奮。まだ日本にはラウンドアバウトがない時代、しかも左ハンドルだったのでなかなか抜けられずラウンドアバウトを2周、3周は回ったそう。
そして、6月5日に発売されたばかりのサンプラザ中野くんの2ndミニアルバム『大きな玉ねぎの下で』で自身がボーカルを務める爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」をセルフカバーしています。この曲の題材となった武道館の上に乗っている玉ねぎのような飾りを初めて見たのが首都高を渋谷に向かって走行中の車内だったそうで、スタッフから「武道館が見えるよ!」と教えてもらい見たんだそうです。それから3~4年してあの名曲が生まれました。今も武道館近くを運転している時に「玉ねぎ見えないかな?」と探すそうです。