2023年04月30日
4/30 J-WAVE SELECTION「THE SOUND OF OKINAWAN MUSIC〜沖縄音楽いまむかし」
「1日1曲、民謡が生まれる島」といわれる沖縄の音楽にスポットをあて、奥深くて幅広い、その世界をお楽しみいただきました。「チャンプルー(=ごちゃませ)文化」を持つ沖縄…沖縄民謡もまた様々なものと融合し、琉球ポップとして自由に発展してきました。ナビゲータは三線プレーヤーのゲレン大嶋さん。ゲストに沖縄民謡史の専門家で島唄解説人の小浜司さんをお迎えしてお話を伺いました。
<お届けした音楽と解説>
M1:芭蕉布 / 夏川りみ
まずは沖縄を代表する「芭蕉布」から。作曲は普久原恒男です。
4/12にリリースされた『沖縄の音楽 記憶と記録 コンプリート CD BOX』は、沖縄の音楽史を凝縮したコンピレーションCD BOX5枚組で、歌詞+解説ブックレットと沖縄の音楽マガジンが付いた充実の完全保存版! 小浜さんがすべての選曲と解説を担当しました。
このCD BOX1曲目に収録されているのが、富原盛勇「今帰仁宮古ノ子」。
1916年(大正5年)に録音された、最も古いとされる録音で、最近発見されたSPレコードからの音源です。
M2:今帰仁宮古ノ子 / 富原盛勇
そして、沖縄民謡が沖縄から外へ出ていくために不可欠だったのがレコード。中でも中心的な役割を果たしたのが、1927年(昭和2年)に普久原朝喜が大阪で創設した「マルフクレコード」でした。
海外へ移住する沖縄の人々は、故郷を思い出すために多くのレコードを買い、ハワイ、ペルー、アルゼンチンなどへ渡ったといわれます。「マルフクレコード」創業者の普久原朝喜による最初のオリジナルが「移民小唄」です。
M3:移民小唄 / 普久原朝喜
つづいて送りしたのは「ヒヤミカチ節」。現在も愛される楽曲ですが、もともとは、第二次世界大戦後、沖縄の人々の気持ちを鼓舞した作品です。
作詞者の平良新助は、今帰仁村出身。1901年に渡米してホテル経営で成功しますが大戦中には強制収容を経験。その後沖縄に戻り、戦争で荒廃していた故郷を励まそうという意図から作ったのがこの曲の歌詞1番となる琉歌。1948年、この琉歌に山内盛彬が曲をつけ2番の歌詞を加えて広く親しまれるようになります。
その後、照屋林助、登川誠仁、知名定男といった名手たちが関わり、さらに広く知られるようになりました。
M4:三絃ヒヤミカチ節 / 山内盛彬
M5:ヒヤミカチ節 / 登川誠仁
そして、戦後、第一期沖縄民謡ブームを作ったのが、山内昌徳。
戦後、米軍基地のレストランで働くようになった山内の家には米軍払い下げの食糧があり、そのこともあって多くの歌手が集まっては、毎夜セッションを繰り広げていたそうです。そんな中から民謡ブームが起こりました。
BGM:宮古根小・手間とぅ / 山内昌徳
民謡歌手が多く住み、ブームを生み出していたのは、嘉手納基地のまわりに広がるコザ(現在の沖縄市)でした。戦後の民謡の発展は、米軍とは切っても切れない関係にあります。
米軍は戦後まず、広報のためにラジオを普及させますが、やがて、米軍放送の合間に地元の人たちが歌謡曲や民謡を流すようになったそうです。同時に米軍はジュークボックスを持ち込み、これが酒場などだけでなく、美容院などあらゆる場所に普及することになると、ジュークボックスでかけるためのドーナツ盤(EPレコード)がリリースされるようになりました。
沖縄レコード業界市場、初めて1万枚を超えたのが「ちぶみ」と「通い船」をカップリングしたEPでした。
BGM:ちぶみ / 石原節子&城間ひろみ
M6:通い船 / 喜納昌栄
そして、70年代後半、本土の若者たちに大きな衝撃を与えたのが「ハイサイおじさん」です。
M7:ハイサイおじさん / 喜納昌吉&チャンプルーズ
喜納昌吉は「通い船」の喜納昌栄の息子。「ハイサイおじさん」の1972年のオリジナル・ヴァージョンはテレビ番組の主題歌にも使われ、77年のヴァージョンは、赤塚不二夫のジャケットによるシングル盤としてリリース、本土の若者たちにも多大な影響を与えました。その中のひとりがゲレン大嶋さんだったそうです。
BGM:赤花 / 知名定男
その後、知名定男、コンディション・グリーン、紫なども本土に紹介されましたが、それほど大きな話題になることはありませんでした。
しかし1980年代後半になって世界中で巻き起こったのが「ワールドミュージック・ブーム」。そのとき、「ワールドミュージック的な視点」で沖縄音楽に注目が集まることになりました。
その中で注目されたグループが知名定男プロデュースによるネーネーズ、そして、照屋林助の息子=照屋林賢が率いるりんけんバンドでした。
M8:テーゲー / ネーネーズ
BGM:ありがとう / りんけんバンド
そんな中で沖縄音楽に刺激を受けた本土の若者たちの中のひとり、ゲレン大嶋が参加するJUSUの1曲・・・沖縄生まれの著名な版画家、名嘉睦稔が作詞を担当した「風や向かい風」
M9:風や向かい風 / JUSU
「1日1曲、民謡が生まれる島」といわれるのは何故か?
民謡歌手で、地元ラジオ沖縄で民謡番組のパーソナリティもつとめる前川守賢さんに伺ったあとお送りしたのは、新進気鋭の民謡歌手、仲宗根創が歌う「コロナ節。「デンサ節」をもとにして、コロナ禍の生活を歌ったものです。
M10:コロナ節 / 仲宗根創
そして、前川守賢。5月にリリースされる最新アルバム『ちゃーがんじゅう』からタイトル曲「ちゃーがんじゅう」。「みんなで元気に励ましあっていこう!」という曲です。
M11:ちゃーがんじゅう / 前川守賢
これからの沖縄音楽にも注目しましょう。