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2023/12/13

白洲次郎・正子夫妻の暮らした住まい旧白洲邸「武相荘」

明治生まれの実業家で、戦後は外交の最前線で活躍するなど、日本の復興にも尽力した白洲次郎。そして、伯爵家の次女として生まれ、幼い頃から、能や日本の伝統芸能に親しみ、古典文学や工芸、骨董などに関する著書を多く残している、白洲正子。ふたりが戦時中に家族で移り住んだのが、東京郊外にある鶴川村という自然豊かな農村。現在の町田市にあたるこの場所に、ふたりが生涯を通して暮らした茅葺き屋根の家があります。

今回は、白洲夫妻の娘・桂子さんのご主人で、「武相荘」の館長・牧山圭男さんにお話を伺いました。現在ミュージアムやレストランとして一般公開されている旧白洲邸「武相荘」は、白洲夫妻が有名だから公開した訳ではなく、奥様の桂子さんが小さい頃に引っ越してきて育ったこの農村が好きだったからだと言います。昔は周りにも茅葺き屋根の家が多くあったそうですが、どんどん消えていってしまうなか、なんとかここを残したいと思ったのだそう。現在、ミュージアムとして公開されている、茅葺き屋根の母屋は150年以上前から建つ古民家で、もともと別の農家の方が住んでいた家を農地付きで購入した場所。太平洋戦争の始まる前から、日本の敗戦や食料危機を見越して、東京郊外でそういった場所を探していたんだとか。

そんな母屋にふたりが手を加え、ダイニングや子供部屋、ガレージなどを増築していくようなかたちで、作り上げた場所なんですが、二人とも古いものが好きで、食器や家具など古き良きものに囲まれて暮らすということを大事にしていたそう。特に骨董については正子が色んなものを買い集めていましたが、それは見て眺めるためではなく、暮らしの道具として買って使っていたもの。そういったものがほとんどそのまま残っていると言います。牧山さんは「ここはさぞかしお宝のある美術館だろうと思う方がいらっしゃるんですが、確かに白洲正子が使っていた瀬戸の100年も昔の茶碗というのがあるけどそれはべらぼうなお宝である訳ではないし、日常の美しい物っていう感じでは展示をしてありますから、あえて言えば“楽しい暮らしの小さなテーマパーク”という感じで見ていただければ」とおっしゃっていました。

「武相荘」が、ミュージアムとして公開されたのは2001年ですが、2014年からはレストラン&カフェもスタートしていて、こちらも大人気。もともと白洲家のダイニングだった部分や、かつて工作室だった建物からなる、こちらのレストランでは白洲家ゆかりのメニューも楽しむことができるそう。例えば、正子のお里である樺山家の正子のお兄さんが、シンガポールで食べたカレーが美味しくて、持ち帰ったレシピが樺山家のカレーになり、それから正子が次郎と結婚してそれが白洲家のカレーとなったというメニュー。野菜嫌いの次郎のために、苦労をしてキャベツを刻んでカレーライスの横に付けておいたら、次郎は何も言わずに食べ始め、以来ずっとキャベツを付けていたなど、ストーリーのあるメニューも。ミュージアムやレストランのほかに、バーやラウンジ、オープンカフェのスペースなどもあって、ライブやトークショー、骨董市など、毎月色んなイベントも開催しているそうなので、ぜひHPものぞいてみてください。


旧白洲邸「武相荘」
小田急小田原線「鶴川駅」から徒歩15分程
定休日:月曜日(祝日を除く)
※夏季・冬季休業あり

Instagram:@buaiso.official
HP:https://buaiso.com/

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