相原さんはレコーディング
エンジニアとしてキャリアを
スタートし、ビデオソフト制作の
仕事をきっかけに、ミュージック
ビデオの演出・プロデュースを
手掛け、現在は映画監督として
ご活躍されています。過去に
写真家・鋤田正義さんに迫った
ドキュメンタリー映画
『SUKITA 刻まれた
アーティストたちの一瞬』、
東京・銀座のレコーディング
スタジオ「音響ハウス」を
舞台にした映画
『音響ハウス Melody-Go-Round』
などの監督を務めています。
テレビから流れてくる
音楽が好きな、一般的な
小中学生だったという相原さん。
レコーディングに興味を持ったのは
アメリカのバンド、スタッフの
影響だったそうです。
「高校生になると音楽好きの
友達が出来て、いろんな音楽を
聴くようになった中で、
スタッフのファーストアルバムを
ジャケ買いしたんです。
この人達ってもともとスタジオ
ミュージシャンなんですよね。
あとは当時FM雑誌とかも
流行っていて、オーディオも
一つのブームだったんです。
そこからレコーディングに
興味を持って、
エンジニアの職業を知り、
高校2年生くらいから
目指し始めました。」
それまでは大学に行こうと
考えていたそうですが、専門学校に
通うことに決め、その後出会った
人々との繋がりで、エンジニアの
道が開けたと語りました。
若い頃に影響を受けたのは、
CTIというジャズのレーベルを
創設したクリード・テイラーの
作品群。
「クロスオーバーとか
フュージョンが流行った
時代ですね。彼が
やろうとしたことは、ジャズや
ボサノバを一般的に
聴かせることなんです。
ヴァーヴ・レコードでは
『Getz/Gilberto』、その後は
例えば、アントニオ・カルロス・
ジョビンの『Wave』を
手掛けたりして、ジャズや
ボサノバを一般化しようとした
功績は凄いと思います。」
そんな相原さん、実は
レコーディングエンジニアは
2年という短い期間しか
続けなかったそう。
マイケル・ジャクソンの
「スリラー」のミュージック
ビデオを観たことで、映像の世界に
可能性を感じ、会社内の新設された
映像部門に異動したという経緯を
明かしました。しかしその2年は
とても濃密だったようです。
「先ほど話したバンド、スタッフの
皆さんと実際にレコーディングが
出来たんです。それが1981年。
スタッフが来日中に
サリナ・ジョーンズという
ジャズシンガーのバックを
務める企画があって、僕は
アシスタントだったんですけど、
一緒に仕事を出来たのはとても
印象深いですね。メンバーが全員
来ましたから。スタジオにあった
古いローズ・ピアノも、
スタッフのリチャード・ティーが
触ると、レコードと同じ
音がしたんですよ。
本当にビックリしました。」
と話すと、クリス・ペプラーも
ジャミロクワイの
ベーシストだった、
スチュワート・ゼンダーと
一緒にいた時に同じような体験を
したようで、
「弦もいつ変えたんだよっていう
ベースだったけど、
スチュワートが弾いたら別物。
どうした!?っていう(笑)
彼らは触った瞬間に
色々分かるんでしょうね。
テクニック以上の
ものかもしれません。」と語り、
共感していました。
さまざまなミュージシャンの
レコーディングに携わってきた
相原さんだからこそ、見ることが
出来た光景もあったそう。
「一番関わったのは、
サザンオールスターズと
ARBですかね。桑田さんは
スタジオで色々悩みながら
曲を作っていました。スタジオの
ブースに一人で入って、ギターを
持って少しこもるみたいな
感じでしたけど、そういう姿を
見ていてやっぱりスゴいなと
思いましたね。
サザンオールスターズは
デビューして間もないころ、
コマーシャル的な露出の仕方を
していたじゃないですか。
それでスタジオに戻ると
メンバーとスタッフしかいない。
そんな環境が桑田さんも
愛おしくて、
レコーディングが好きだと
おっしゃっていました。」
他にもジャパンのメンバーだった
スティーヴ・ジャンセン、
リチャード・バルビエリや、
キング・クリムゾンの
ロバート・フリップとも
仕事をしたことがあり、当時の
裏話などもたくさん
語っていただきました。
さて、番組では
「大人の☆生
サッポロ生ビール黒ラベル」で
乾杯していることにちなんで、
毎回ゲストの皆さんに
「大人になったと感じる曲」
を伺っています。この質問で
相原さんが挙げたのは、
ジョアン・ジルベルトの
「Aquarela do Brasil
(ブラジルの水彩画)」でした。
「これは日本盤がしばらく
出ていなくて、
たまたま輸入盤を漁っていた時に
見つけたアルバムに入っていた
1曲です。自分が思っていた
以上にスゴいものが聴こえて、
こんな世界があるんだ!と
思いました。ここまで構築された
ものを聴いたことが
なかったんです。エンジニアを
始めた頃なので、
それも相まってというのが
あるかもしれません。」
相原さんは2018年に写真家・
鋤田正義さんのドキュメンタリー
映画『SUKITA
刻まれたアーティストたちの一瞬』
の監督を務めました。
デヴィッド・ボウイや
イギーポップ、マーク・ボラン
などの写真を撮影してきた
鋤田さんですが、
デヴィッド・ボウイが
亡くなったことをきっかけに
企画が持ち上がったそう。
「すぐに鋤田さんのことが
頭に浮かんで、
お会いしたんです。ちょうど僕も
音楽映画の企画を探していた
最中だったので、鋤田さん
のドキュメントをやってみたいと
伝えたところ、話が進みました。」
と経緯を語りました。
そして今月末に公開される、
音楽ドキュメンタリー映画
『トノバン 音楽家 加藤和彦と
その時代』についてのお話も。
きっかけは映画にも出演している
高橋幸宏さんの言葉だったそう。
「前に撮影した音響ハウスの
映画に、幸弘さんにも
出ていただいたんですね。
公開後、幸広さんが
『加藤さんはもう少し評価されても
良いんじゃないかな。僕も話せる
ことあるんだけどな。』
とポロッと言ったんです。
それが頭の中に残っていて、
自分でも加藤さんのことを
調べたら、常に斬新なことを
やり続けていた人だったんですね。
それもあって、映画を作って
みようと思いました。」
ザ・フォーク・クルセダーズ、
サディスティック・ミカ・バンドを
始めとする様々な音楽活動を行い、
ファッションや料理にも造形が
深かった加藤さん。相原さんは
改めて、どんな印象を
受けたのでしょうか。
「実は僕は加藤さんと
お会いしたことがないんです。
ただ、取材をしたり、映像を
見たり、映画を制作していく上で
受けた印象は、すごく
変貌していた人。フォークルから
ミカ・バンドへの変貌って
普通じゃ無いですよね。
ミカ・バンドの後にはボサノバを
やったり、YMOのメンバーと
レコーディングをしたり、新しい
ものに常に貪欲で変貌していく
感じが強くありましたね。」
映画のエンディングで流れる
「あの素晴しい愛をもう一度〜
2024Ver.」は、高野寛さんが
アレンジを施し、
きたやまおさむさん筆頭に
坂崎幸之助さん、高田漣さん、
坂本美雨さん、石川紅奈さんなどが
参加し、5月22日発売のCD
「The Works Of TONOVAN
?加藤和彦作品集?」にも
収録される予定です。最後に
相原さんには公開に向けての
気持ちを伺いました。
「加藤さんを生で体験した人にも、
知らない若い世代の人にも
観てほしいです。
映画だけでなく、CDや本の
復刻もあるので、広く加藤さんを
体験してもらって、加藤さんの
再評価に繋がれば良いなと
思います。」
映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』のウェブサイトはこちらから
さて次回、5/18は、
シンガーソングライターの
miwaさんをお迎えします。
今年でデビューから14年。
これまでどんな音楽に影響を
受けてきたのでしょうか?
ギターを弾き始めたきっかけや、
今、尊敬するアーティストなど
様々な角度でmiwaさんの
音楽ヒストリーを紐解きます。
お楽しみに!
まい泉のポークジャーキー
春の外呑みのアテに最適(相原監督)
脂の甘みが滲み出る
有名トンカツ店のポークジャーキー
黒ラベルとの相性、言わずもがなです
Foots / Stuff
Wave / Antonio Carlos Jobim
Thriller / Michael Jackson
Everyday / Salena Jones
いとしのエリー / サザンオールスターズ
Gentlemen Take Polaroids / Japan
Frame By Frame / King Crimson
Domo / V.S.O.P.
Aquarela do Brasil
/ João Gilberto,
Caetano Veloso & Gilberto Gil
Heroes / David Bowie
Melody-Go-Round (with 銀音堂) / HANA
タイムマシンにおねがい
/ サディスティック・ミカ・バンド
悲しくてやりきれない
/ ザ・フォーク・クルセダーズ
あの素晴しい愛をもう一度〜2024Ver.
/ Team Tonoban
塀までひとっとび
/ サディスティック・ミカ・バンド
相原さんとのトークをうけて
クリス・ペプラーが
選んだ1曲はこちら!